第十九話 追憶の泥濘

「ちょっ! 何、これ!?」


 ――飛んでる! そ、空、飛んでる!


 周りを見ると、みんないる。水希ちゃんも、ジンもハクもショウも。それに、あのバケツも。

 身体が透き通ったみたいで、下には街並み。それをグングン追い抜いて、凄い速さで空を飛んでる。


「キャーっ! すごーい、すっごーい!」

 水希ちゃんは大はしゃぎ。

「こ、こんなことして、大丈夫なの」

 私が叫ぶ。

「大丈夫だよ。姿は誰にも見えないからね」

 ハクは余裕で笑っていた。


 やがて、私たちはとあるお家の庭に降り立った。でも足元もふわふわして地面を踏んでるという感触はおぼろげ。


「ここが、矢口の家?」

 おそるおそる私は訊いた。

「そうだね」

 ハクが頷いて、辺りを見回す。

「家の中にも入れるけど、あんまり余計なことはしたくないなぁ」

「その辺に捨てておけ。それで終わりだ」

 ジンは相変わらずにべもない。

 ハクは肩をすくめたけど、結局矢口の家族に見つからないうちが一番だということで、ドアにもたれかけさせるように二人を置いて、とりあえずここは一件落着。


「さて、次はこいつだな」

 ショウがバケツを見て言った途端に、私たちはまたビュン! と飛び上がった。

 あっという間に、今度は学校の旧校舎裏。昔の噴水の名残の前。


「よいしょっ、と」

 降り立った私たちの身体が次第に色を取り戻して、やがて普通の感触になった。

 誰もいない、ひっそりとした校舎裏に立つ私たち五人。とバケツ。


「フーン……確かに、こういう奴らが好みそうな場所だねぇ」

 ハクが辺りを見回しながらつぶやく。


「おい、出ろ」

 ジンが凄みのある声をバケツにかける。中からトプン、と音がした。

「おい……聞こえないのか」

「っわっ! わっかかり、まましたぁぁ!」

 バケツから勢いよく泥水が飛び出すと、ザブンっと池に戻る。

 その時、思わず私は声に出していた。

「ねぇ、ちょっと待って!」


 何ごとかと、みんなが私を見る。池の水面が少し持ち上がると、そこにまたふにゃふにゃした顔が浮かぶ。

「……っは、はいぃぃ、なな、何で、し、しょうかぁ~」

 泣き出しそうな声。ほとんど無意識のうちに私は訊いていた。


「あなた、本当の名前はなんていうの?」


 へ? という顔の泥水。水希ちゃんも三人も意外な顔をしている。

「泥水って言われるのをずっと嫌がってたよね? じゃ、あなたの本当の名前は何ていうの」


 池の水は、しばらく無言だった。いきなりそんなことを言われて戸惑ったのか、なんだかそわそわして落ち着きがなくなって、と言っても水なんだけどさ。

 やがて、か細い声が聞こえた。


「っぼぼ、僕は……み、みずた、ゆういち、と、いい、言います」


 え?

 思いがけず人の名前を言われて、水希ちゃんと私の目がテンになる。


「やはり……もとは人だったか」

 ショウが納得したような顔をしている。

「知ってたの?」

「まあな。一目見れば、ほぼ分かる」

 あとの二人も同じような顔つき。


「ねぇ、人なんだったら、なんでそんな姿になったの?」

 その私の言葉に、顔が浮いた池の水はぽつりぽつりと昔のことを語りだした。


 ――っぼぼ、僕は、さ、三十年ほど前に、ここ、この高校にいた、学生ですぅ。


 名前は、水田優一。

 彼の話によると、引っ込み思案でおとなしかった性格が災いして、格好のいじめの対象だったそうだ。

 体操着や上履きを隠される、知らぬ間に机の中やロッカーにゴミが詰め込まれる。ちょっとした言葉や行動の上げ足を取られて、常にはやし立てられる。

 今のように、何かあれば学校側がすぐにネットで叩かれる時代とは違う。彼へのいじめは、一見ちょっとした仲間内のからかいごとのようにカモフラージュされ、教師や学校も親身になって対応したわけではなかった。


 そしてある時、クラスメイトの財布がなくなるという事件が起きた。


 もちろん彼が犯人ではない。だがそうでありながら、持ち物検査で彼のカバンの中から空になったその財布が見つかった。

 彼は犯行を否定し、なによりクラスの全員が彼の仕業ではないと分かっていたはず。だが、その場の流れというのか、一部の心無い者たちの扇動によって、彼は犯人であるかのようにつるし上げられた。場の雰囲気が、彼を餌食にしてさげす嘲笑あざわらうというステージに当然のように成りかわっていた。


 ――っくく、クラスの、み、みんなが、言いました。 っどど、どろぼう水田! 


 ――どろみず! って。


 実情を知らぬ教師にまで疑いの目を向けられ、彼はその出来事を親にすら言い出せず、翌日、嫌がりながらも親に急かされ学校にまでは来たものの、自分を取り巻くのは今まで以上に残酷なクラスでの仕打ち。

 とうとう耐え切れなくなった彼は、休み時間にこの旧校舎の屋上から身を投げた。

 下にあった噴水へと飛び込み、さして深くもない水底に激突。彼の人としての一生はそこで終わった。


 だが、彼が姿を消したことすら気にかける者もなく、親からの申し出でやっと捜索が始まったものの、彼の身体は池に棲みついていた澱んだ気の塊に取り込まれ、今も行方不明の扱いとなっているらしい。しかも、彼が人でなくなった後に知ったいきさつでは、いじめの事実は学校、生徒の一切から否定され、結局は家庭内トラブルによる失踪として、あいまいに処理されたという。

 ほどなくして旧校舎は使用されなくなり、この人造池もそのまま放棄された。


「……あなたは、お父さんやお母さんには、会っていないの?」

「……っこ、こんな姿で、あ、会えるわけ、なな、ないじゃないですか」

 彼の言葉には、何も言い返せない。

 

 ――っぼぼ、僕は、ふふ、ふつうに、いい、生きたかった。っふふ、普通に、と、友だちを作って、ふ普通に、すす過ごしたかった。


 ――いい、生きてるうちは、でで、できなかった。のの、のづちめだけが、はは話し相手に、なってく、くれた。かかっ、彼女も、お、同じだったから。


 え? と戸惑う。あのメリベの女の人も同じ?


「お前、どうやってこの女のことを知った?」

 ジンが池の水に訊く。


「っぼ僕は、水があれば、い移動でできます。ああ雨の日に、ここ校舎に、行って、よ様子を見てたら、っのの、のづちめの気をまとった、そ、その人がいて」


 え、私が? あのメリベの女性の気をまとうって、なに?


「なるほどね。僕らがいない間にやってきたそののづちめという奴に、アオイちゃんは術を掛けられたわけだ」

「そんなの……私知らないよ」


「だがそれはともかく、アオイに手を挙げた罪は残る。今後はここでじっとしていることだな」

 ショウの言葉に池の水はまたしゅんとなった。そのままするすると元の水面に戻りそうになった時、私はまた声を挙げた。

「あ、あの、ちょっと待って……ねぇ、ミズタ君!」


 いきなり、ザバーッて、池の水が持ち上がる。

「っぼ、ぼくの、なな、名まえ、を?」


 ちょっと照れ臭い気がしたけど、思い切って言う。

「その……たまにおしゃべりするくらいなら、私がここに来てあげてもいいよ」


「っえぇっ? で、でも、ぼぼ僕は、あ、あなたを殴って、しし、しまいました」

「うん。確かにあの時は、絶対に許さないと思ったけどね……」

 口の中はショウに治してもらったけど、あの時のイメージはまだ残ってる。


「でも、あなたは私より、ずっとずっと酷い痛みを抱えていたんでしょう?」


 しばらくみんな無言だった。ちょっと今までとは違う空気が流れていることが分かる。


「……っほほ、本当に、いい、いいんですかぁ!」

「いいよ。その代わり、私たちには二度と危害を加えないでね」

「っもも、もちろん、ですぅぅ! っああ、ありがとぉぉぉ!」


 今度は、ザブンッ! と豪快に水しぶきを挙げながら、泥水改め妖怪ミズタが、躍り上がるようにして元の池に戻る。


 しばらくして水面が元のように静まると、私は四人を見回していった。

「……私のこと、お人よしだって思ってる?」


 なんだか、涙が出そうになってくる。そんな私に、水希ちゃんが近づいてきて優しく抱きしめてくれた。


「ううん。いい子だね、アオイ。私の自慢の従妹だよ」

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

シールドナイツ ~JKと妖怪たち~ はらおのこ @haraonoko

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ