第十七話 復活の三妖神

「ジン! ハク、ショウ!」

 這いつくばったまま顔を上げて三人を見る。


「やぁ、アオイちゃん……なんだか大変そうだね」

 ハクが、意味ありげににやりと笑った。でもその後ろ、ジンは相変わらずしかめっ面で、額に青筋まで浮かんでいる。


「おい! お前、俺たちに何をした?」

 ジンが怒鳴る。


「これは……もしや、固め契りか?」

 とショウ。

「ふーん……どうやら、固め契りとやらが完了してしまったようだね」

 ハクがそう言って二人を見る。

 何だかわからない会話の後で、皮肉ったようなハクの声が私の耳に響いた。

「ま、こうなっては仕方ない。可愛い女の子に使われるのもまた一興だよ。二人とも」


 にやりと笑うハク。

 やれやれといった表情のショウ。

 そして、ふてくされたようなジン。


 正式な契り? なんのこと?


「っなな、なに? ななっ何?」

 ニセ矢口の慌てふためいた声で、やっとさっきまでの騒動を思い出した。見ると、尻もちをついたまま廊下を後ずさっていく。チサトちゃんはさっきの爆発のショックで床に倒れていた。


「おやおや、我々がいない間に、いったい何が起きていたのかな?」

 相変わらずかるーいハクの声。それが、今はものすごく安心させてくれる。

「おい、大丈夫か?」

 ショウがリビングにうずくまっていた水希ちゃんに手を差し伸べた。

「わ、私は平気……でも、とにかくまたトラブル勃発なの」

 立ち上がりながら水希ちゃんが答える。


「ふん、こいつらだな」

 ジンが廊下のニセ矢口とチサトちゃんを見下ろす。

「ヒトの身体を乗っ取ってるね」

 平然と答えたハクがニセ矢口に歩み寄った。

「ねえ、誰かは知らないけど、さっさと消えたほうが身のためだよ」

「だ、だめ!」

 私が慌てて声を上げた。


「私の友達なの。二人とも身体を乗っ取られてるの。泥水に」

「どろみず?」

「っちち、ちがう! ああ、あいかわらず、しし失礼千万!」

 またもそこに食いつくか、キミは。


「ねぇ、この人たちが霊玉のヌシよ。すっごく強いの。だから降参して矢口とチサトちゃんの身体を返して!」

 ニセ矢口は黙って私の話を聞いていたけど、そのうちにふてくされたような開き直った声で言った。

「っで、でも、ぼくが、ここの身体にいるかぎり、てて、手は出せないよね。いいい、一れん、たたく生」

 ……こいつ、人が下出に出てりゃつけあがりやがって!


「あれ? アオイちゃん、頬が赤いね」

 唐突にそういったハクの一言に、全員が私の顔を見た。

「それに、口の中に出ていた血は?」

 今度はみんなが、ニセ矢口にゆっくりと顔を向ける。


「キミ……ぼくらのアルジに何をしてくれたのかなぁ?」


 ハクが一歩前に出る。床を踏むハクの足音がやけに不気味に響いた。ニセ矢口もそれに気づいたみたい。

「っああ、アルジ?」


 ショウがリビングから声をかける。

「たった今、我らと正式な契りを交わした……いささか不本意ではあるが、これで我らにはこの女をアルジとして守る責が生まれた」

 相変わらず真面目な顔。でも、その内容がすごく気になる。


「ちょ、ちょっと待って。正式な契りって、なんのこと?」

「血と一緒に、アオイちゃんの唾がついたでしょ? それだよ」

 ハクの言葉に、えっ? と思う。


「あ……」

 と声を出したのは水希ちゃん。

「そうか! 契約者の血と唾でそろうんだ」

 と言われても目がテンな私。


「でも、今はそんなことより、目の前のこれを片付けないとね」

 ハクが言った。

 ジンがずいっと前に出る。

「すなおに、その身体を返せ。でなくば塵にしてやる」 

「っここ、この身体に、てて手を出しても、いい、良いのかな?」

 強がるようにニセ矢口が叫ぶ。三人は黙ったまま見ているけど、生意気な物言いで一層怒らせたのは確かだった。


「……キミねぇ、あまりぼくらを舐めないほうがいいと思うよ」

 ハクが、今までにない冷めた声で言うと、倒れているチサトちゃんを抱き起こした。意識がないままのチサトちゃんの顎に手をかけると、かわいらしく開いた小さな口に手のひらを当てる。


「っわ、わわわわわぁっ!!」

 突然叫んだのはニセ矢口。


 その悲鳴を気にも留めずにハクがすぅっとチサトちゃんの口から手を放す。それにつられてあの子の口から、茶色い水の塊がずるぅっと引きずり出されてきた。

 ハクの手で弄ばれるように、泥水の塊がふよふよと宙を漂う。


「水希ちゃん。蓋の閉まる入れ物があったらちょうだい」

 笑顔で言うと、心得た顔で水希ちゃんが空のペットボトルを持ってくる。ハクが水の塊を転がすようにしながら指先をボトルに向けると、泥水が命じられたようにボトルの中に納まっていった。

 水希ちゃんがキャップをギュッと閉める。

「さて……これでこの泥水はこちらの意のままだね」

「っどど、どろみずじゃ、なな、ない!」

 さっきから、そこだけにはかなりのプライドがあるのね、あなた。


「そんなことはどうでもいい!」

 ジンが叫ぶ。

「次はお前だ。引きずり出して、蒸発させてやる」

 ジンの腕がまた赤く光りだした。

「っちち、近寄ると、このか、身体ごと、ふふ吹っ飛ぶぞ。しし四分五れつ」


 後ろで見ていたハクが不意に私の顔を見た。

「ねぇ、アオイちゃん、この中身のヤツとはどこで知り合ったの?」

「高校の旧校舎の裏庭。古い噴水があって……そこの水の妖怪よ」

「ということは、本体はそこにいるのかもね……」

 ハクの言葉に、皆が黙って顔を見合わせる。


「案内しろ」

 唐突に言ったのはジン。


「え?」

「こんな奴に付き合っているのはまだるっこしい。元からすべて干上がらせてやる」

 すぐにも飛んでいきそうな素振りに、ニセ矢口が青ざめた。

「っまま、待ってまって! ぼぼぼくの、は話も、きき、聞いてほしいんだな」

「今さら何を言っている」

 ショウまでが、ニセ矢口をにらみつけながら近づいていく。


「ちょっと待って!」

 いきなり、声を挙げたのは水希ちゃんだった。みんなが一斉に振り向く。


「何でもかんでも力で解決するのには賛成できないわ」

「何を言ってる? こいつはアオイに乱暴を働いているぞ」

 怪訝そうな顔で、ショウが反論した。


「アオイ、あなたは何をされたの?」

「……殴られて、壁にぶつかった。口の中はその時に切ったの」

 それ見たことかと、三人の視線がニセ矢口に向く。


「女の子に手を上げるのは、感心しないなぁ……」

 初めて会った時とはまるで違うハクの口調に、背筋がゾクッとした。こういうのをきっと殺気っていうんだ。


「っまま、待って待って! っごご、ごめんなさい。ああ、謝りますぅ!」

 ニセ矢口が廊下にべたっと座ると、私に向かって土下座を始めた。うわー、カッコ悪い。矢口のこんな姿、見たくないよぉ。


「やめて、やめて。お願いだから、その姿でそれはやめて!」

 慌てて叫んだ私の言葉に、ニセ矢口までがきょとんとしている。後ろで水希ちゃんが、はぁーっと大きなため息をついた。

「ねぇ、あなた。これで分かったでしょう。この人たちにかかれば、あっという間に退治されちゃうわよ。ここは素直に降参して」

 そういうと、ささっとお風呂場に向かう。戻ってきたときにはバケツを抱えていた。

「まずは、その子の身体から離れてここに入りなさい。素直に従えば、この人たちにも手出しはさせません」

「おい、勝手に決めるな」

 ジンが言い返す。

「あら、アオイと一緒に私の指示にも従う約束だったでしょ?」

 む、という小さな声とともにジンが黙り込む。

「でもさ、当のアオイちゃんはどうなのかな?」

 と、ハクも不服そうな声を挙げる。


 私はといえば、ほっぺを殴られたときは絶対に許さないと思っていたけど、いざ形勢逆転して、しかもさっきのみっともない土下座まで見せつけられたせいで、ほとんど戦意消失。

 とにかく矢口兄妹の身体が無事に戻ってくれば、その後は穏便に済ませても良い気がして来ていた。

「ま、まぁ、二人が無事なら、私はそれでも……」


「じゃ、それでいいわね。さぁ、キミ……って性別知らないけど、こっちに移りなさい」

 水希ちゃんがバケツを向ける。観念した様子のニセ矢口が口を開けると、そこから茶色い水がすーっと出て来て、こぼれもせずに綺麗にバケツの中に溜まった。それがずずーっと持ち上がって顔のような模様ができたかと思うと、口にあたる部分がパクパクし始める。

「っほほ、ほんとうに、ゆ、許して、くく、くれますか?」


 私に向かって情けない声を出す泥水に、もうどうでもよい気がしてくる。

「あーもう、あなた次第よ。とにかく、もう悪さはしないって約束して」

「っわわ、わかりましたぁ……もも、もう、さ、逆らいまま、せん」


 脇で、ハクがやれやれって顔つきをしている。

「おい、二人とも甘いぞ。こんな奴の言うことを信じてはだめだ」

 ショウまでが、まだ手厳しいことを言ってた。


「そ、そうかもしれないけど……私は、やっつけるとか、消すとか、そういうのは嫌なんだってば」

 そういって三人を見回した。水希ちゃんだけが納得したような顔で頷いてくれる。

 バケツの泥水が泣きそうな顔をする。

「っここ、このご、ご恩には、いいいつか、か必ず、むむくいますぅ」


 ふぅっと息を吐く私を、ジンがきつい眼差しで見下ろしていた。

「まったく……」

 あの仏頂面がすぐ目の前にある。うわぁ、また怒られるのかな。思わず首をすくめる。


「呆れた女だ。このアルジは」

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る