第33話 コンラッド⑧

 二番目に作ったタブレットをアンジェラから貰ったコンラッドは、ウィング家の家令を通して会社に連絡をしてもらい、しばらく仕事をすることが出来た。

 自分のサインが必要なものは、あとでアンジェラに頼らなくてはいけないだろうか。無理はさせたくないから、伸ばせるものはギリギリまで伸ばせるよう手配しておくが……。


 このタブレットのおかげで文字のやり取りはできるものの、手紙と違って手元に読んだ内容を取っておくことが出来ない。その為必要なことは毎回メモが必要であるが、こちらが受信するチップを起動させない限りメッセージが消えない為、特に問題はなかった。本当にすごい発想と技術力だ。


「閣下?」

 エドガーの抑えた声に顔を上げる。

 ちらりと時計を確認すると、五時を少し回ったところだった。

 エドガーがくいっと顎をしゃくるほうを見ると、メロディたちと三人であれこれ作業をしていたアンジェラが、ソファですっかり眠ってしまっていた。ずっと眠そうな感じだったからもっと早くにウトウトするかと思っていたのに。

「案外時間がかかったな」

 ベッドに行けと言ったところで聞かないのは分かっていたから、みんなでそれとなく彼女が力を抜けるよう誘導していたのだが、ようやくうまくいったようだ。


「パパ、アンジェラ様をベッドまで運んでくださる?」

 彼女を起こさないようメロディが小さな声でそう頼んできた。

「ああ、そうしよう」


「俺、風呂を作ってきますよ。先生喜ぶだろうし」

 今朝見つけた泉を使うのだろう。この別館にも浴室はあるが、コンラッドの力ではそこまで湯を貯めるには少し困難だった。

 だからエドガーの、アンジェラに少しでもゆっくりさせてやりたいという気持ちが伝わり、了承した。彼がアンジェラを心から慕っていることがよく分かる。

 もし彼が同世代だったら、アンジェラを巡って手強いライバルだったかもしれない。


「だったらシドニーを連れて行くといい」

「ありがとう、そうします。メロディも行くかい?」

「そうね、――行くわ。私も手伝う!」

 チラリとコンラッドを見たメロディは、父親が頷くのを確認してから了承をした。

 エドガーとシドニーがついていれば大丈夫だろう。


 そのエドガーはいくつか窓の外を確認すると、

「閣下、少し派手にやっちゃってもいい?」

 と言うので、よくわからないが了承した。

 エドガーはヴィクトリアとジョナスの子だ。多少奇想天外なことをしてもおかしくない。そう思うと少し笑えてくる。


 エドガーのことは一時本気で自分の子かもしれないと思ったこともあって(計算してみたらすぐに分かったことなのに)、奇妙なくらい親しい存在に感じられた。最後に会ったのは十年くらい前だったか。よく見れば彼の妹とよく似ているのに、よくそんな思い違いをしたものだと笑いがこみ上げてくる。

 これは腕白で飛び回っていると、なかなか会わせてくれなかったヴィクトリアに文句でも言うべきか。


 もっとも言ったところで、どうしてそう考えたのか根掘り葉掘り聞かれた上で、からかい倒されるところは目に見えるのだが。

 彼女はコンラッドがヒィズルにいたことは知っているが、多分当初の予定通りカーサ地方にいたと考えているだろうし、アンジェラと関わっていたことなんて想像もしていないだろう。

 彼女は不用意に噂話はしない。現にコンラッドの前でアンジェラの話をしたことは、卒業以降一度もないのだから。




 その後すぐにアンジェラを部屋に運びベッドに横たえても、彼女はぐっすり眠ったままだった。

 彼女の靴を脱がしてから、静かに上掛けをかけてやる。

 コンラッドはベッドのそばに椅子を持ってくるとそこに座って、静かに深くため息を吐いた。


 すやすやと眠るアンジェラの顔は安らかで、ただ眠っているだけだと分かることが幸いだ。眠っている顔は無防備で幼く見えるくらいだが、間近で顔を見れば目尻に薄いシワが見える。彼女の笑った顔が自然と思い浮かび、知らず口の端が上がった。

 笑顔の多いアンジェラは、年を重ねるごとに目元の皺が深くなっていくのだろう。昨日の朝そう見せていたように、実際に年をとってもかわいい女性になっているであろうことが容易に想像がつく。


(一緒に年を取っていけたらいいのに)

 お互いの髪が白くなった時、隣で笑いあえたらと願わずにはいられない。


 この人を想う気持ちが蘇ってしまった今、若いころと同じように彼女に触れたい気持ちは、時に抑えがたいほど強かった。でもそれと同じくらい、いや、それ以上にアンジェラを労りたい、大事にしたいと思う。


(たとえ彼女がバケモノだろうと、それは変わらないだろう)


 少し前にエドガーがアンジェラのことをそう評したとき、昔ヴィクトリアから言われた言葉が頭の中に響いた。


『でも隣に立つなら、守ってくれるよりも一緒に戦ってくれる人ではないとだめよ。それくらい、あの子の抱えているものは大きい……』


 昨日街に行く途中、急に苦しんでいたアンジェラの姿や、矢を放つアンジェラ。コンラッドでさえ見れば分かるくらいのエドガーの強い力を抑え、コントロール出来るよう手を入れる姿。

 ヒィズルでの勇ましい姿。

 人並外れた発想力と、実現力。

 彼女の優しい笑顔や、労わるように触れてくる手。コンラッドを見つめる、紫色に染まった目。

 様々なアンジェラの姿が一瞬のうちに浮かんだ。


 エドガーにバケモノとはどういう意味だったのかと尋ねると、彼は『あの人は月の女神だから』と言うのでドキリとした。

 一瞬学生時代の仮装の話かと思ったけれど、どうやら神話の方を指しているらしいことが分かる。今はアンジェラを休ませる方が先決だからあとでと言ったエドガーは、十六歳の少年というよりはいっぱしの男だった。


「君は何と戦っている?」


 月の女神は狩猟と女性を守る神。

 何度も死んでは生まれ変わる再生の女神でもある。


「アンジェラ。私は貴女が好きだ」


 小さく口にしたことで、それをまだ一度も言葉にして伝えてはいないことに気がついた。できるだけ想いを言葉にしようと必死で話したはずなのに、肝心のことが言えてないなんて。


 アンジェラが好きだ。

 十代の頃の控えめでありながら輝く笑顔も、ずっと年上のふりをして群がる男どもや魔獣を簡単に蹴散らす姿も。どんな名前でも、いくつでも、彼女が誰であってもコンラッドはきっと彼女を好きになる。

 まるでコンラッドの魂の中にアンジェラという枠がぽっかり空いているように、そこを埋められるのは彼女しかいないとさえ思う。


 月の女神のように、何度生まれ変わっても自分は彼女を愛するんじゃないかと思って、その感傷めいた気持ちに笑いがこぼれた。いくつになっても恋をすると男は詩人になると言ったのは誰だったかな。



 アンジェラから間もなく元の世界に戻れるだろうと聞いても、コンラッドは正直複雑だった。今なら彼女がこんなにそばに居るのに、戻れば多分彼女は離れる。

 もしかしなくても逃げられてしまう。

 ナタリーの代わりに仕事で来てくれているのだから、アンジェラはしばらく通ってくれるはずなのに。たとえそれがなくても、一緒に仕事をしようと誘ってくれたのに。それでもチャンスはここにいる間だけだと己の勘が告げていた。


 惹かれているのは自分だけではないと。ふとした時の彼女の眼差しを思い出すとそう信じたくなる。


(貴女が強く生きられるという、思い出の相手は誰なんだ?)


 その男のことを忘れたら彼女は自分だけを見てくれるだろうか。


 少しだけ開いている唇に触れたくなったものの、キスはダメだと言われているのであきらめた。眠っている女性にさすがにそれはできない。

 もう一度キス出来たら、きっと彼女は――。


 ふわりと浮かんだ甘やかな空想に首を振り、代わりに前髪をかき上げてその額に口づける。

「これは頑張っているあなたへのご褒美だよ、アンジェラ」

 彼女が子どもたちにしたのと同じで、キスではない。


 その考えに満足して頷くと、コンラッドはカーテンを引いてからそっと部屋を出た。



 コンラッドが暁の狼だと聞いたというグレンから、【母のことで話がしたい】と通知が入ったのは、コンラッドがリビングに戻ってすぐのことだった。

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