第30話 メール①

 アンジェラは自分用にあてがわれている部屋に入ると、ドアの前でズルズルとへたりこんで両手で顔を覆った。

「ううっ、地中深くに埋まりたい」


 大丈夫だと訴えたにもかかわらず、コンラッドにお姫様抱っこされたまま館に帰ることになってしまった。

 メロディの強い説得と期待に満ちた目に負けたのだ。


「パパかっこいいわ、素敵! アン先生お姫様みたい」


 あの目を見てしまうと、まんざらでもないコンラッドの手から降ろしてくれとはとても言えなかった。

 アンジェラ自身は汗だくで、とてもじゃないがお姫様とは程遠い状態だったのに。

 どうにか力を振り絞って、汗でぬらしてしまった彼のシャツと自分に清浄の魔法をかけたのは、ごく当たり前の気遣いであって乙女心ではない。ぜったいちがう。


「はあ。ちょうど正午だし、矢を召喚しなきゃね」


 思ったよりも色々と時間がかかってしまい、気付けば約束の時間だ。

 気力を振り絞って矢を召喚すると、思った通りボリュームアップした矢文を手にして、どっと力が抜けた。

 息子への労いの気持ち半分、疲労で泥のように眠りたいのが半分。

 ここが異世界のため、時空を超えた物質の召喚は普段の何倍も負担がかかる。質量が増えればそれだけ力も余分にかかるわけで。

 魔法石があるだけましとはいえ、それは力の回復が早いだけで疲れるのは同じなのだ。


 神社のおみくじよろしく複数結ばれた文の中から、息子が使っている薄い青色の紙を開く。これはドランベルの印が透かしで入っているものだ。

 ざっと目を通していくとヴィクトリアからのメッセージが最後に追加されていた。どうやらグレンが使いを送った後、そのままドランベル家に来てくれたらしい。車を使えば一時間の距離だけれど、自宅に待機していることが出来なかったのだろう。


 大きく深呼吸してからほつれた髪を急いで結い直し、頬を何度かぺちぺち叩いたり唇をかんで血色よく見せると、手紙を束ねてポケットに入れて階下に降りた。


 とりあえず人の気配があるダイニングに向かうと、すでに昼食の準備が始まっている。内容はスープと簡単なパンだけなので食事を済ませた後、コンラッドとメロディ、エドガーを伴ってリビングに移動した。

 ソファーセットの奥にコンラッドが腰かけ、その正面にアンジェラ。隣にメロディ。エドガーはコンラッドの後ろにある窓にもたれかかるように立つ。

 シドニーがお茶を入れてくれるのを待ってから、アンジェラは手紙の束を取り出した。


「旦那様。うちの息子によれば、昨日ウィング家の別館が消えたことは、まだ世間には知られていないようですわ」

 何でもないことのようにグレンからの手紙を持ってそう言ったアンジェラに、コンラッドは訝しげな顔をした。

「それはいったい?」

 不思議そうにしながらも、アンジェラが目の前に並べたウィング家家令からの手紙と、コンラッドの会社の副社長ハリーからの手紙を渡すと、真剣な目になって目を通し始める。


「エドガー。ヴィクトリアは今ドランベル家に来ているらしいわ」

「そうなんですね。お手数をおかけしてすみません」

「いいえ、全然。上手くいってよかったわ」



 昨日街に行っても勇者の話は届いていなかった。

 ざっと調べた限り、今この世界での一般的な情報伝達手段は伝書鳩のような鳥を使ったものや早馬、もしくは閃光弾のような光を使ったものらしい。通信魔法が使える特殊な魔術師がいるような場合はともかく、アンジェラが前世にいた日本のように一瞬で伝わるというわけにはいかないことが分かった。

 エドガーの話では、彼を召喚した魔術師の一人がゴルド家にある古い鏡を通して話をすることが出来るらしい。色々条件は限られているようだが、それならゴルド家にアンジェラからグレン経由で連絡を入れて、そこから魔術師に連絡を入れたほうが早いと踏んだ。


 エドガーが向かっていた城の位置はコースリアだという。アンジェラの前々世では地方の一領地に過ぎなかった土地だが、前勇者のリンや前々世のアンジェラにはゆかりのある土地だったので、大体の距離感が分かったことも大きい。

 うまくいけば二、三日で、エドガーの迎えが街に来るだろう。



「アン先生。どうやってお手紙を受け取ったんですか?」

 メロディが不思議そうに問いかけると、コンラッドもハッとしたように顔を上げた。先ほどまでとは違うその表情にアンジェラは、(やっぱり家や仕事のことが気がかりだったわよね)と頷く。コンラッドはかなりの仕事人間だと聞いていたから、内心かなり焦りがあるのではと思っていたのだ。


「手紙はね、矢につけて飛ばしたのよ」

「矢?」

「そう。昨日飛竜を倒すのに、私が弓矢を召喚したのを見たでしょう?」

「はい」

「あれは普段、ドランベルの自宅に保管してあるの」


 その言葉にメロディだけではなく、コンラッドまでもが「えっ?」と声を上げた。

「旦那様はあれを、ヒィズル人の使う破魔の器だと思ってらっしゃったようですけど、実は違います。わたくしはヒィズル人のように武器を身の内に納めておくことが出来ません。代わりに、決まった場所において、魔力で引き出しているのですよ」

 メロディはよく分からないまでも「へえ」と呟いたが、コンラッドの方は目を見開き、懸命に理解しようとしているのが見て取れる。


 しんと静まってしまった為、シドニーが小さく

「アンジェラ様の魔法の使い方は、独特かつ奇天烈でらっしゃいますね」

 とつぶやく声がやけに大きく響いて、アンジェラとエドガーが同時に吹き出してしまった。

「いやだわ。エドガーまで笑わなくてもいいじゃない」

「いやぁ、さすが俺の師匠だと思って」


 アンジェラの魔法の使い方が独特で奇天烈に見えるのは発想の違いでしかない。

 それはアンジェラの場合単純に、見てきたものや知識の違いだ。特に前世の日本では、初めて当たり前に「学ぶ」と言うことをした。一般人がごく普通に文字の読み書きを習える世界なんて、それまで見たこともない。世界には情報が溢れ、病弱で学校に通うことや外に出られることが稀だったにもかかわらず、本やテレビ、タブレットを使ってあらゆることを見聞きすることができた。

 自分が覚えている記憶の中で、単純に好奇心を満たしたり、生きるためではない知識を一番詰め込んだのが前世だ。日本人だった頃の影響で今世では、前々世、前前前世の経験も生かせるようになったと思っている。


 面白そうに肩を揺らすエドガーを睨むふりをして、アンジェラは肩をすくめた。

「魔力と剣が化け物級なんて呼ばれているエドガーと一緒にしないでくれるかしら?」

「いえいえ。淑やかなふりして化け物なのは先生のほうですよ」


 アンジェラに向かってズバリ化け物だと言ったエドガーに、コンラッドがはっと息を呑む。コンラッドに睨まれたエドガーが小さく肩をすくめるが、一方でメロディが「アン先生は化け物じゃないわよ」と口を尖らせた。そのままアンジェラの手を引いて耳に口を寄せると、

「独特なのは、色々な世界で様々なことをご覧になったからでしょう?」

 と囁くので、アンジェラは肯定の意味でにっこり微笑む。頭のいい子だと思った。


 何か期待している風のメロディに少しだけ首を傾げると、

「私にもご褒美をくださいませんか?」

 と小さな声で言っておでこを指さす。私も頑張ってますよと小さく主張する姿がなんとも可愛らしい。

 「ええ、もちろん」と、先程エドガーにしたようにメロディの額にキスをすると、彼女はへらっと笑って頬を染めた。そのミルクを飲んで満足した子猫のような表情に、アンジェラは思わず胸がときめいてしまう。

 昨日の毛を逆立てた子猫のような姿もかわいらしかったけれど、やはり可愛い女の子の笑顔は格別だ。


(はあ、癒やされる。今なら撫で繰り回しても怒らないわよね?)

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