第3話

 私は、和也と名乗った少年を上から下まで見た。


 玲子にはっきりと姿が見え、言葉も交わせるくらいなのだから、よほどこの世に強い未練を抱いた幽霊なのだろう。だが、私が守るまでもなく、和也に悪霊の気配はなかった。


「えーと、私達は出張占いをしていて、今日はその、幽霊相手の占いをと思いまして」

「はい」

「はい、うん、はい……」


 和也はわずかに目線を下にやったまま、口を閉ざしていた。秀平も、何かを言うことはなかった。


 長い長い沈黙が、場を埋めていった。何かを企んでいるのではないかと疑うほどには、和也は何も話さなかったし、秀平も何も話しかけない。


 だが何かを話しかけたい気持ちはあるのか、中途半端に浮かせた片手は和也のほうを向いており、「えーと……」と聞こえるか聞こえないかくらいの声にならない声を、時折発している。


「あの、占いをしてまして……」

「はあ。具体的にどういうことを?」

「え、と……。そ、そうですね、生きてる人相手だと、運勢だとかを見てこれから先起こる良いことや悪いことだとかを占うので、それを死んでいる人にも、と思っているのですけど……。ほ、ほら、生きていたときの悩みだとか、死んだ後の悩みだとか、そういうものの解決策を占って、成仏できるお手伝いが出来ればいいな、と……。出来ればの話ですが……」

「そうですか」


 再び沈黙。その場で声を発する者が一人としていなくなる。風と共に、困惑が流れていく。


 この和也という幽霊はなぜ客用の椅子に座っているのか。秀平は痺れを切らしているだろうに、その疑問を向けることが出来ないでいるようだった。秀平の両手が所在なさげに宙をさ迷っていたとき、和也の伏せられていた目が上がった。


「わからないんです」

「え?」


 秀平が聞き返す。和也は真っ直ぐに、秀平を見つめ返す。


「わからないんです。何を占ってほしいか。そもそも僕、成仏したいのかどうかもわからないんですよね。なので、僕が何を占ってほしいのか、占ってくれませんか?」

「……はい?」

「教えて下さい。僕は、何を占ってほしいのでしょうか?」


 秀平はぽかんと口を開け、固まった。「どうしたんですか?」と和也が聞いた、そのときだった。


 遠くから、車の走行音が聞こえてきた。どんどん近づいていっている、と思ったとき、暗い森の中に突如眩い光が飛び込んで来た。車の明かりだった。


 止まった自動車の開いたドアから出てきたのは、数人の若者達だった。彼らは秀平の姿を目にするなり「えっ、誰?」「やば!」などと騒ぎ始めた。


 秀平は彼らと目が合った途端、びくんと大きく肩を震わせた。間もなく、慌ただしく占いのセットを片付け、レンタカーに積み込み始めた。助手席に乗るよう命じられた玲子は、「占いは? 練習は?」と戸惑いつつ聞いた。


「変な占い師見つけたとかSNSに書き込まれちゃたまらん、撤退だ!」


 秀平はそう答えた。が、冷や汗を浮かべわずかに体を震わせている様からして、おおかた若者達が怖かったのだと察せられる。


 秀平は、夜半の時間帯に占いをしていた時期があるのだが、そのとき毎日のように酔っ払いややんちゃな若者に絡まれ続けた結果、すっかり怖じ気づき、夜半での占いを行わないようになった。秀平にとって先程の若者達は、幽霊や心霊スポットよりも遥かに怖いものとして映っただろう。


 早く出発するぞと、秀平がギアを握ったときだった。ふと秀平は顔を上げ、バックミラーを見た。その目が見る見るうちに見開かれた。


「君、なぜここに?!」


 秀平が勢いよく振り向き、声を荒らげた。玲子も振り向き、直後にきゃあと悲鳴を上げた。


 レンタカーの後部座席の隅に、あの和也が腰掛けていたのだ。和也は「だから、何を占ってほしいかを占ってほしいんですけど」とあっさりした調子で言った。


 乗り込んできた和也を、秀平は追い出さなかった。呆然としている玲子と目を合わせ、次いでその後ろにいる私を見てから、窓の向こうを確認して、こちらに好奇の眼差しを送る若者達を見た。秀平は一つ小さなため息を吐いて車を発進させた。


 秀平と玲子の住むアパートにお邪魔した和也は、あまり広いと言えない、砂壁に畳の部屋をぐるりと見回してから、秀平に勧められて、居間の中央に置かれているちゃぶ台についた。


「えーと、君に聞きたいことがあるんだが……」

「はい」


 秀平はちゃぶ台を挟んで和也の正面に座った。


「君は、その、地縛霊じゃなかったのか?」

「よくわかりません」


 うーん、と秀平は腕を組んだ。それは私も気になっていた。あのトンネル付近に漂っていた霊は、そのほぼ全てが地縛霊だった。

 なのに、和也がこうして移動できて、あのトンネルから離れられたということは、自在に移動できる浮遊霊という種類に分類される。が、浮遊霊ほど未練が弱い幽霊とも考えにくい。


「お父さん、お父さん」


 その時、秀平の隣に座っていた玲子が、控えめに秀平の服の裾を引っ張った。


「お茶、出さなくていいの?」

「お茶?」

「うん。何も出さないって、とても失礼だよ」


 咎めるように言った玲子は、和也のほうに顔を向けた。


「ごめんなさい、何もお出ししなくて。それに、こんな狭い場所で」


 頭を下げる玲子から、最初和也を目にしたときの怯えはすっかり消えている。その代わりに、別の感情を抱いているようだ。


「ううん。気にしないでいいんだよ。えっと、確か玲子ちゃん、だっけ」


 和也が玲子ちゃん、と呼ぶと、途端に玲子の頬が、赤く染まった。玲子は、和也のほうを見ないようにしながら、勢いよく立ち上がった。


「お茶とお菓子を今から用意します!」

「玲子、幽霊はものの飲み食いが出来なくてだな」

「でも失礼な家の子って思われたくないもん!」


 台所に飛び込んでいった玲子を見た後、私は明るい場所で見る和也の顔をまじまじと観察した。


 和也は全体的に線が細く、体も鍛えられてるとは言い難い。が、垂れ目がちの二重は、人に穏やかな印象を与えるだろう。目鼻立ちは整っており、端的に言うなら美男子と言えた。現代風に言うなら「イケメン」だ。


 頬を手に当て浮き浮きとする玲子を見る秀平は、眉間に皺を刻んだ。


 私は十二年前呼び出されたとき、秀平に「もし玲子をたぶらかしでもしたら、いくらご先祖様でも容赦しない」と脅されている。


 守護霊なので守護している玲子本人には見えないことはわかってるのにそんなことを言って牽制してくる秀平だから、今の和也と玲子を見て思うところが生まれたのだろう。秀平は仮にも相談者の前だというのに、正座からあぐらをかく姿勢に変えた。


「んで、直球で悪いけど。君はどこで、いつ死んだんだ?」


 ややぞんざいな口調で秀平は尋ねた。一方の和也はそんな秀平を意に介した様子もなく、考えるように目を伏せた。


「死んだのは、あのトンネルです。十五歳のとき、交通事故に遭って。確か、三十年前のことです」

「えっ、じゃあ君は生きてたら僕よりも一つ年上ってことに?」

「はあ、そうなんじゃないでしょうかね」


 和也はどこかぼんやりとした口調であるものの、礼儀正しくしっかり質問に答えた。どちらが年上かわかったものじゃないと思ったら、本当に年上だった。

 台所から玲子に睨まれた秀平は、軽く咳払いをしてまた正座の姿勢に戻した。


「三十年近くもさ迷っているとは……。いや、数百年以上成仏できない霊も多くいるのだが……。とにかく、それだけ長年さ迷っているのに、成仏できないかわからない、と?」

「車にぶつかったとき、ああ僕死ぬのか、って思いました。次に気がついた時、一瞬とても痛かったことは覚えてるのに体がなんともなっていないのを見て、ああ僕死んだんだなって思いました。死んだのになんであの世に行けてないんだろう、と不思議に思いました。周りにいる人達は皆物凄く未練を残しているみたいでしたが、僕はああ死んだんだなって思ったとき、悲しいとか辛いとか何も感じませんでしたので……」


 淡々と語られた話を聞いた秀平は腕を組み、唸った。これは難しい話だ。成仏できない理由が本人もわかっていないとなると、霊本人を説得するにしても何をするにしても、骨が折れる。


「なら、なんで僕達のところに?」

「劇的に人生が変わるって言葉を聞いたら、体が自然に」

「じゃあ君は、劇的に人生を変えたいと?」

「よくわかりません」

「……」


 更に強く腕を組んだ秀平は、やや俯いた。眉間にかなり深い皺が寄っているのを見るに、面倒な案件を持ってきてしまったなどと思っているのだろう。私がそう思っている。会話の練習という名目で連れてきた幽霊が一発早々、このような骨の折れる案件だとは。


 相変わらずどこを見ているかわからない和也の前に、麦茶と氷が注がれたコップが一つ置かれた。頬を赤らめた玲子が、もじもじとしながら差し出してきたものだった。


「あの。ど、どうぞ、和也さん」

「あ、ありがとう。でも僕、飲めないんだけどね」

「いいんです、わたしからの気持ちなので」


 照れ隠しかそそくさと和也の傍を離れた玲子は、もう片方の手に持っていたコップを、ぞんざいに秀平の前に置いた。それは水道水だった。


「お茶じゃないのか……?」

「そんなことより、なんでろくなものが無いの? 玉露とかさ。お客様にお出しできるものが何も無いじゃない。お菓子も切れてたし」

「玉露なんて買えるはずないだろう……」

「お茶もお菓子も、せめてもう少しいいものを買い置きしておいていいんじゃないの?」


 棘のある玲子の言葉と態度に、秀平は何も言えず口ごもっている。いつもの光景すぎて、さしてじっくり見る価値もないと思ったとき、突如和也は吹き出した。

 驚いたように揃って秀平と玲子が和也を見ると、彼は「すみません」と口元を隠しながら、目を細めた。


「いや、二人とも凄く仲が良いなあと」

「まあ、仲が良いといいますか、わたしがお父さんを逆に世話しているといいますか……」

「か、完全に否定できないものが……」

「やっぱり仲が良いじゃないですか。僕の家は親が厳しかったので、ちょっと新鮮な光景です」

「まあ、とにかく……。幽霊となった以上は、必ず現世に未練が残っているものなんだ。自分では気づいていないだけで。だから和也くんには、何かやり残したことがないか、思い出してほしいなと思っている」

「本当に無いと思うんですけど……」


 和也は困ったように顔をしかめる。


「今すぐじゃないよ。とりあえず、今日はもう遅いし、明日以降考えよう。今日はゆっくりしていってくれ」

「何もないし狭いところですがね」

「玲子……」


 二人の勧めに、恐縮そうに頷く和也のことを見下ろしながら、私は腕を組んだ。


 秀平も言ったように、幽霊というものは、現世に未練を残している。むしろどんなものであれ、未練を残さなければ幽霊になれない。己が死んでいることに気づかない場合の霊も、何かしらやり残したことや、やりたいと思っているものがあることに変わりはない。


 だが和也は、本当に未練が無いように見える。自分が死んでいることにも気づいている、自らの死を受け入れている。にもかかわらず、成仏できない。まず無い案件だなと、私は思った。

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