第2話

 大きな口を開けている怪物のようだ。一体使われなくなってから、どれだけの年月が経ったのか。目の前にあるトンネルはすっかり朽ち果て、寂れていた。トンネルの中は一寸先も見えない闇が立ちこめており、奥から風が吹き込んできている。


 石で出来たアーチ部分には堅く蔦が絡まっており、上の部分に駆けられたトンネルの名称が書かれた鉄の看板も、錆びてなんと書いてあるか全く読めない。


 他にあるのは生い茂る草木とそびえる樹木、その隙間から向こうに広がる闇、虫の鳴き声。そして、占い師だった。


 秀平の隣の席に座り、片手に『神ヶ崎シュウの霊感占い』ののぼりを手に持つ玲子は、片手で足をぞんざいに掻いた。


「ねえ、蚊がいっぱいいて痒いんだけど」

「が、我慢しろ玲子! 生活のためだ! しかし全然出てこないな、ここは心霊スポットじゃないのか……?」


 ここが近隣で有名な心霊スポットというのは、玲子が調べたネットの情報にあった。


 藤野峠という山にある、「旧藤野峠隧道」という名称のこのトンネルは、とにかく出るという噂が多い場所だ。


 噂がはびこり始めたのは三十年前にトンネルで崩落事故が起きてからで、その事故で多大な犠牲者を出して以降、度々目撃情報が出たり、車が不可解な事故に遭ったりなどして、段々と心霊スポットとして定着していった。


 「新藤野峠トンネル」が出来て以降、この「旧藤野峠隧道」には、時折肝試しに訪れる人以外、一切人気の無い場所となった。その肝試しをした人達も、ネットに不可解な体験や奇妙なものを見たという旨を書き込んでいる。


 玲子がネットを駆使して見つけたこの場所に今日、レンタカーを借りて秀平と共にやって来た。


 ネットなどであまり舗装されていない山道を進んでトンネルの前に辿り着き、車から降りた秀平は、周りを見回して一言、「いるな」と言った。


 折りたたみ式テーブルを立ち上げ、紫色の布をかけ、その上に水晶玉と「卜」の字が書かれた灯籠型のランプを置き、持ってきたパイプ椅子に秀平と玲子が腰掛けて待つこと一時間。占い屋に寄ってくるのは、蚊しかいなかった。


「もう車に戻っていい?」

「い、いや、もう少し待ってほしい! ……なぜだ、気配は感じるのに!」

「っていうか本当にいるの?」

「いる。それは間違いない」


 秀平はきっぱり断言した。私はさすがだなと思った。確かにここには、数多くの地縛霊が漂っている。


 十二年前、玲子が生まれたときに私を降霊術の応用で呼び出した秀平は、私が生前陰陽師だったと知るや、大層驚いていた。適当に呼び出してみたのに、まさか一発目でそんな大物に当たるなんて、というようなことを言っていた。


 だが同時に、私も秀平に対して驚いていた。先祖の霊を直接呼び出して、生まれたばかりの我が子の守護霊になってほしいと直々に頼む。陰陽師としての血筋が私の代で途切れたというのに、この時代になってそれ程までの霊感がある子孫がいるとはと、たまげたのだ。


 そのとき聞いた話によると、秀平は既に二歳の頃から、力の片鱗を見せていた。誰もいない空間をじっと見つめていたり、言葉がある程度喋れる年齢になると、外出している最中に突然何も無い場所を指さして「あのひと、なにしてるの?」と尋ねたり。


 成長して、今まで見えていたものが幽霊という存在だとわかる年齢の頃になると、その幽霊をいる場所を見つける精度が更に上がった。心霊番組や心霊写真を見ているとき、「これは本当だよ」「これは嘘だよ」と、その真偽を易々と暴けたりと、媒体越しでも霊を見つけられるようになった。


 更に成長を重ねると、秀平側から接近できるようになったという。つまり話しかけること、会話をすることが出来るようになった。幼少の頃は、霊ははっきり見えるものの、会話までは成り立たない程には、霊感が弱かった。だが思春期になった頃には、普通に霊と会話をすることが出来るようになるくらい、力を得ていた。


 口下手で、人と接するのを苦手としている性格は、昔から変わらない。彼はその性格が災いして学校で孤立していた頃、寂しさを霊との会話で日々紛らわせていた。その頃、幽霊は未練を残して成仏できないものと知っていたが、その未練というものも様々なのだと、会話を交わすことでよくわかったと、秀平は語った。


 喧嘩した親友と仲直り出来ないまま死んだ者。好きな人に告白出来ないまま死んだ者。まだ幼い子供を置いて死んでしまった親の霊。死んでいることがわからず、親が迎えに来るのを待っている幼い子供。夢半ばで死に、道を絶たれた者など……。

 話していると、彼らは皆、確かにこの世で生きていた等身大の人間だということがひしひし伝わってきたと、秀平は遠い目をしながら言った。


 幽霊と言葉を交わせられる秀平が、幽霊に強く同情し、肩入れするようになっていくのにそう時間はかからなかった。だが、これは大変危険なことなのだ。


 霊との距離を詰めすぎた秀平は、結果霊に見入られ、ある日悪霊を見抜けず取り憑かれ、危うく三途の川を渡りかける事態となったのだ。

 その際お祓いに行った神社で、類い希な程の強い霊感を身につけていることを知らされた。秀平はそのときまで、自分がそんな強い霊感を持っている自覚がなかった。


 あまり霊に近づきすぎないようにと注意を受けた秀平は、それ以降霊と適切な距離を持って生きることを決めた。心に誓ったとおり、秀平はそれからしばらく、幽霊とあまり関わりを持たずに生きてきた。

 こうして大人になった秀平は、就職し、結婚し、子供が生まれ、私と出会ったわけだ。


 私は、子孫がこんなに強い霊感を持っていることに、非常に感動を覚えた。だから、守護霊になる頼みも引き受けた。その代わり、いずれその霊感の力を強く活かせる仕事に就いてもらいたいと言った。


 秀平ももうすっかりいい大人なわけだし、若い頃と違い、幽霊と深く関わっても、踏み込みすぎないよう適切な距離感で接せられるだろう。この強い霊感を活かして、何か霊能力関係の仕事をすれば、たちまち有名になれるはずだ。


 有名になれば、霊能力関係繋がりであるとして、先祖である陰陽師、つまり私の存在にいつか辿り着く。そうなれば私の名は、有名になった秀平と共に、現世中に広まっていくのだ。私はそう企んだのだ。


 そのときの秀平は、「考えておく」と全然考えていなさそうな顔で答えた。それでも、この霊感の強い子孫を放っておくのが惜しくて、私は守護霊となった。だがそれから十年近く、秀平は霊とは無関係に生きてきた。だが、三年前、思いもがけず転機が訪れた。


 秀平が、それまで勤めていた会社を首になった。要領の悪い秀平は同僚からも上司からも興味の対象外、むしろ嫌われていた節まであったため、これといった昇進もないまま、会社から追い出された。


 彼はそれから半年間就職活動に専念していたが、四十代の秀平を雇ってくれる場所はなかなか見つからず、そもそも口下手が災いし面接で落ちまくり続けていた。


 あるとき秀平は、一念発起して占い師になることを決めた。秀平曰くこの決断は、「九割方やけくそだった」


 この時代、特にそういう家系が続いたわけでもない秀平が、陰陽師や霊媒師になるのは難しい。だが占いならば、少なくとも上二つよりは、簡単に開業出来る。何より自分には強い霊感がある。本物の力がある。

 多少口下手でも、評判が評判を呼び、間違いなく流行るだろう、占い師として食べていけるだろう。やけくそ状態の秀平の頭は、そんな将来設計を描いた。


 そうして秀平は、主に相談者の先祖の霊や守護霊などを呼び出して、知りたいことや不安を言い当てる、霊感占いを始めた。


 繰り返すが、秀平の力は間違いなく本物だ。だが、実力を身につけているからと言って、自動的に流行るとは限らない。それは秀平の占いの評判が、全てを物語っている。


 だから今日、秀平はここに来たのだ。ずばり、幽霊相手に会話の練習を行い、話術を向上させること。その目的の為に。


 幽霊相手ならばネットに批判を書き込むことなどないし、悪い噂が広まることもないだろう。そういう玲子の提案を秀平が呑んだのは、やはり今月の家賃に危機が迫ってきたからだろう。親に頼るのはさすがに恥ずかしかったらしい。


 玲子を連れてきたのは、また悪霊に取り憑かれたりしないよう、私に守ってもらうためだ。私は顔も頭も良いが、守護霊としての力も非常に強いという自負がある。


 だが、悪霊どころか、普通の幽霊も、誰も寄ってこない。木陰に身を隠し、ちらちらとこちらを窺うばかりだ。まあ、幽霊相手に占いをする占い師など珍しく、故に寄りつけないのだろう。おろおろする秀平に痺れを切らしたのか、突如玲子が立ち上がった。


「あなた、占っていきません?! あなたもどうぞ! さあ寄っていって下さいなっ! あなたの抱えてること、是非ともお聞かせ下さいませ! 必ず力になります! 劇的に、人生が変わるかもしれませんよ!」


 明るい玲子の大声が、周囲の空気を揺らした。同時に、秀平と玲子のちょうど正面。道路を挟んだ向こう側に生える木の後ろ側の空気も、僅かに揺らいだ。


 だが秀平も玲子もそれに気づかなかった。息を吐きながら椅子に座った玲子に、秀平は「き、急にどうしたんだ?」と狼狽えた。


「これくらい堂々としなきゃ駄目だよ、売り込みなんだから。多少大袈裟に言ってもいいの」

「ここにいるのはもう人生が終わってる人達で……」

「そこは訂正しなくていいんだよ」


 私は、ぼそぼそ呟き合う玲子の肩をそっと叩いた。玲子が不思議そうな顔で後ろを振り返り、次いで正面を見た。


 彼女の体が、びくんと大きく跳ね、固まった。秀平も、不思議そうに、顔を正面へ向けた。


 二人の前に、十四、五歳ほどの少年が立っていた。


 まるで闇に溶け込むように佇む少年は、真夏だというのに詰め襟の学生服を着ていた。


 しかしそんな暑そうな服を着ているというのに、顔色は青白い。ぼんやりとした虚ろな目が、秀平と玲子の両名を見つめていた。秀平は勢いよく立ち上がった。


「あっ、い、いらっしゃいませ!」

「……どうも」


 青年は、ぺこりと浅く頭を下げた。秀平がどもりながら椅子に座るようすすめると、青年は一瞬の間の後、折りたたみ式テーブルを挟んだ向こう側の、相談者用の椅子に腰掛けた。


 一連の光景を、玲子は身を竦ませて見ていた。彼女も秀平ほどではないが霊感はあるものの、秀平ほど霊に慣れているわけではない。背後からでも、玲子の怯えきった表情がわかるようだ。


「お名前をお願いしま、あっ自分は神崎秀平ですが、あの」

「……和也です」

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