支離滅裂な私が思う読者とは

hitori

第1話

 「いつもゴールの見えない螺旋階段を昇っている。周りは真っ暗。足元と少し先だけがほんのり明るいだけ。同じところをグルグルと回っているようで、でも昇っている。

 いつだって一人。耳元を通り過ぎる風がたまに声を届けてくれる。それは砂漠で飲む一滴の水のように思える。

 人気作家でもない私ができることは、心の池の水面に浮んだ絵の具に息を吹きかけ、描いたものを言葉にするだけ」


 かっこよく書いたつもりが、なんだか情けない文になっている。自分の能力のなさを愚痴り、さも一人頑張っているんだアピールにしか思えない。ああ、ため息がでるほど、ダメ人間が私です。


 私にとって読者とは何だろう。通りすがりの旅人のように思える。

 「いい天気ですね」

 「そうですね」

 そんな会話に深みを創り出す術など、私にはまだないのです。ただ思い描いたものを書いているにすぎないから。

 読者が一人いたら、その後ろに百万人のファンが隠れている。私はそう考えている。なぜなら、私はすべての人に会っているわけではないから。作品に一つのコメントが届いたなら、それは百万人を代表したコメントと受け止めている。

 すべての人に受け入れられる作品など存在しない。高評価と不評が絶えず混在して当たり前。そう考えることで私は虚勢をはっているのです。


 読者とは流れる水のようで、手でつかむことができない。ただ気づいてもらうだけが私にできること。ならば、雷のように、大きな音を轟かせ、一点の力をそそごう。狩人のように、獲物に狙いを定め、一頭だけに矢を放つことにしよう。

 そのためには、自分がどのようなものかを知り尽くし、輝かせられるものと、暗く得体の知れない不気味さを武器にしよう。自分を知らなければ、相手を読者を知ることができないから。

 読者が求めるものなど、私にはわからない。それほどの人生経験も知識も持ち合わせていない。いわば井の中の蛙なのです。人の苦しみと悲しみは理解できる。豊かさはわからなくても、貧しさは理解できる。

 読者は私が歩んできた道に理解してもらえる人たちなのかもしれない。


 絵本や童話だけを書いていれば、何も苦しむことはなかった。小説となると、そこには善と悪、戦いが描かれる。死と絶えず向き合う姿を描くことは、私にとって針の筵。お人好しが歩いているような私、世の中に全くの悪人はいないと思ってしまう。だから優しい話しか書けないのです。いじわるをされても、鈍感な私は気づかない。怒ることは年に二回ほど。子どもたちは私が怒ることに免疫がない。前回、息子を怒ったら家出されてしまった。こんなのんびり屋の作品に誰が共感をするのか。ほんの数人の物好きな変わり者かもしれない。


 仲間はいない。一人で書いているだけで、知人や職場の人たちは知らない。「本は読みますか」と聞いても、興味のない人ばかり。話が合わない。唯一、私の作品をたまに気が向いたときに、息子が読む。私のレベルに合わせてか、厳しいことは言わない。ただ完成させるようにと励ましてくれる。

 そういえば、ゲームサイトの知り合いが「エッセイを毎回読んでます」と言ってくれたときは嬉しかった。遊び仲間にすぎないけれど、見てくれる人がいることは元気をもらえる存在。

 カクヨムでも知り合いができて元気をもらっている。カクヨムなら仲間といえる存在。読者は仲間になる人だと思う。


 私は本当に書くのが遅い。かたつむりより遅い。だから、きっとみんなの眼にはとまらない。でもかたつむりが歩いた跡を残すように、私は明日死ぬと言われても書いているだろう。なぜなんて聞かないでほしい。


 ここで私は何が言いたいのだろう?わからないのです。ただ何の取り柄もない書くだけの私が、広場で「読んで」と叫んでいる。そういうイメージしかない。きっと、みんなとコミュニケーションがとれていないんですね。好きで書いているんだから「まっいいかな」。


 自分を見直すよい機会になりました。読む人いないかもしれないけど、人生のスタンプラリーにします。

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