昔話「ぷろっと」

篠騎シオン

昔々あるところに

昔々あるところに、一本の『ぷろっと』がありました。

それは村一勤勉な弥七が、物書きになることを夢見てこしらえたものでした。

ですが、村人達は自分の仕事に手一杯で弥七の『ぷろっと』に見向きもしません。そんなもので米がたくさん実るわけじゃない、弥七は阿呆だ、というのが村人の総意でした。


しかし弥七は諦めませんでした。自信があったのです。この『ぷろっと』はとてつもなく売れると!

そのためには認めてもらえる所に行かなければなりません。



早朝、誰も起きださないうちに弥七は旅立とうとします。

しかし、一人気付く人が。彼の母様です。


「弥七」


母様は弥七を呼びとめ、何かを彼の手に握らせます。

確認してみると、それは貧乏な家には大金である銀貨でした。

慌てて返そうとすると、母様は言いました。


「お前は私の大事な子だ。野垂れ死んで欲しくはねぇ」


母様は優しく弥七の背を押します。


「その金使って立派になって帰ってこい!」


「必ず」


弥七は決意し家を後にしました。



その後、弥七が向かったのは都。

趣味人生、知識人など、たくさんの人がいます。

農作業に明け暮れて『ぷろっと』を見てもくれない村人達とは違って、きっと自分の才能を見出してもらえる。

心躍らせながら弥七は、かつて行商人から買った本に載っていた『出版社』の場所に向かいました。


「ごめんくだせぇ!」


のれんをくぐった弥七が声をかけても、『出版社』の人間は見向きもしません。皆、忙しく動き回っています。

どうしようかときょろきょろしていると、後ろから咳払いが聞こえました。

振り向くと小太りの男が迷惑そうにしています。


「どいてくれるかね?」


男の上品な服から、彼がこの出版社のお偉方であることは弥七にもすぐわかりました。少しひるんだ弥七でしたが、すぐに持ち直して頭を下げ『ぷろっと』を差し出します。


「おらの『ぷろっと』読んでくだせぇませんか」


「そんなもの見るわけなかろう。帰りたまえ」


弥七の言葉遣いか、その行為にか、出版社の中でくすくすと笑いが起きる。

弥七はめげそうになるが必死に叫んだ。


「おら、成功しないといけないんです。村の、母ちゃんの期待を一身に背負ってきているんです。どうか、一度、一度だけでも読んでくだせぇ。きっと面白さがわかります」


弥七の中で永遠とも思えるようなぴりぴりとした時間が続きました。

そこに、救いのような優しい声が響いたのです。


「いい若者だな。私の所で面倒見よう」


顔を上げると、小太りの男の後ろにひょろながいぼさぼさ頭の、しかし身なりはちゃんとした男の人が立っていました。


「先生! いいんですか? 読みもしないで?」


小太り男が、ひょろなが男に言います。

ここで先生と呼ばれるこの人に面倒をみてもらえる、弥七は天にも昇る思いでした。


「いいんだよ。私はこういう勢いのある若者が好きでね。大事なのは大物になりたいという飢えと根性さ。さあ、行こう」


そう言ってひょろなが男、もとい先生は弥七を自分の後ろに引っ張ります。


「打ち合わせはまたでいいかな?」


「ええ。でも先生、そんな才能ない文士たちなんか集めて大丈夫ですか」


「いやあ、私の刺激になるからね」


小太り男と会話を終え、先生は『出版社』を後にしました。

やっと自分の『ぷろっと』を読んでくれそうな人に出会えて弥七は嬉しい反面、これからどうなるのかと心配になりました。





「さて、見せてもらおうかな?」


「これです」


先生の家で弥七は、『ぷろっと』を手渡しました。先生はそれを受け取りぺらぺらめくります。

弥七はその間、先生の奥さんが淹れてくれたお茶をすすりました。

ひどく言われたらどうしようか、と弥七は内心びくびくとしておりました。


「これは素晴らしいね、早速『小説』にしてもらえるかな」


しかし返ってきた反応はとてもよく、弥七は喜んだと同時に大変焦りました。

学のない弥七には『小説』がなにかわからなかったのです。

そもそも弥七が『ぷろっと』と呼ぶものを書いたのだって、行商人の持ってきた古本に書いてあったというだけなのでした。


あれよあれよという間に、弥七は先生の家に世話になることが決まり、母様からもらった大事な銀貨は生活費としてとられていきました。

弥七にとって幸いだったのは、先生の家には彼以外にもそうした文士が集まっており、『小説』を書くにあたっての基本は彼らから学べたことです。


弥七の『ぷろっと』は文士仲間にも大好評でした。褒められる度、弥七はとてもいい気分になり筆が進むのでした。



弥七は必死に『小説』を書きました。

魂をかけて、命を削って。


「か、書きあげたぞ!」


数か月の後、弥七の命の結晶がついに出来上がりました。

弥七はもう、いっぱしの作家になった気持ちです。

彼は興奮しながら、文士や先生にそれを読んでもらいました。

しかし、周囲の反応は鈍いものでした。


「いや、これは、ねぇ、……」


先生は渋い顔をして弥七に言います。これにはいっぱし作家の弥七は納得できません。


「先生には面白くねぇくとも、『読者』のみんなは違うはずだ!」


弥七はもうこの生活の中で『小説』を読む『読者』の存在を知っていました。そして彼らならと訴えたのです。

やさしい先生は、弥七の『小説』を数冊『本』にして読者に試し読みしてもらうことを約束してくれました。


弥七は、評価が覆る日をワクワクしながら待ちました。

しかし、待っていたのは悲しい現実。


「同じ結果だったよ、面白くないそうだ」


弥七は相当なショックを受けました。食事も喉を通らないほどに。

そんな状態を心配してか、先生の奥さんは弥七に故郷に帰るよう言います。

体を壊す前に、と。

弥七は、急に母様の味噌汁が恋しくなって、帰郷を決めました。

もう、物書きの夢は諦めると。

しかし、弥七にも一つだけ諦められないことがありました。

自分の子である『本』を持ち帰ることです。

弥七は先生と相当やり合い、なんとか『本』を一冊もらうことが出来ました。

作家名の書いていないその本に、弥七は初めての署名をするのでした。



そして、弥七は故郷へと旅立ちます。

来るときは短いと感じた道のりは遠く、心にはぽっかりと空いた穴。

その穴を塞ぐように、毎晩弥七は自分の本を抱いて寝ました。


ある夜、弥七が夜更けに目を覚ますと、目の前が輝いていました。

とうとうおらは死ぬのかと思いましたが、よくよく見てみれば光っているのは弥七の書いた『本』。

どうしたことかと動こうとしますが、弥七は金縛りにあったように動けません。

そして弥七は不思議な声を聞くのです。


『魂をかけたものには幸せの種が宿るのです』


弥七はその声を聞いて再び眠りに落ちました。


そんな不思議な夢を見た次の日、ついに弥七は故郷へと着きました。懐かしい気持ちで見渡すと、村は弥七が出発した時よりも幾分かくすんで見えました。


「弥七! 戻ったんだな! こっちは米も野菜も実らんで大変だったんだぞ」


その原因は幼馴染の三郎太の言葉ですぐにわかりました。

なんと弥七がいなくなった村は凶作に襲われていたのです。

食べ物がなく、皆、苦労していました。

そんな時に自分は『小説』なんか書いて遊んでいたのか。

そう思うと弥七は苦しい気持ちでいっぱいでした。


「なあ、お腹いっぱいになれるもの作ってきたんだろ?」


期待のこもったまなざし。

その言葉に弥七はつい見栄が働いてこう言ってしまうのです。


「おう、この『本』さえ使えば。みんながお腹いーっぱいになれるぞ!」


言ってすぐに後悔しました。しかし、弥七が止める暇なく、三郎太は村中にそのことを触れ回ってしまいました。三郎太の声に皆が家から顔を出します。自分のつまらない見栄のせいで、皆にぬか喜びを……。

弥七の母様も顔を出します。


「弥七! 本当、なのかい?」


「母様……ごめんなさい」


母様を見た弥七はもう限界でした。膝から崩れ落ちた彼の様子を見て、皆どういうことか理解し戻っていきました。

一人残される弥七を母様は静かに抱きしめます。

夕飯には味噌汁すら出ず、弥七は空腹のまま眠りにつきました。

いつものように、『本』を抱えて。



「なにをやっている!」


そんな怒号で弥七は目を覚まします。

何だと思っていると、弥七は大変なことに気付きました。あの『本』がないのです。

慌てて外に出ると、村長ともみ合っている三郎太の姿が。


「弥七が言ってたんだ! この本を使ったらみんなお腹いっぱいになれるって」


その手には灰入りのバケツがありました。

そして近くの焚火の中に見覚えのある切れ端。弥七は理解します。

三郎太が自分の大事な『本』を燃やしてしまったことを。


弥七は目の前が真っ暗になりました。

子さえも、自分は失ってしまったと。


「あっ」


もみ合っていた二人の声が響きます。

灰入りのバケツは宙を舞い、村の田畑に降り注ぎました。

人々の絶望が村を包み込んだ、その時。


「えっ!」


一人が声を上げました。

弥七もつられてそちらを見ます。

彼の目に、灰をかぶった稲がみるみるうちに黄金色に輝き、こうべを垂れていく様子がうつりました。


「弥七様の奇跡だ」


誰かが言いました。

その年は、村の歴史一の豊作となったそうです。

こうして、弥七は『本』の力で村の危機を救ったのでした。

弥七自身にもどうしてそうなったのかはわかりません。

村人は弥七に感謝し、今までの態度を詫びました。




ですが、皆に感謝されても、弥七の心は満たされません。

弥七は何もせず空を見上げることが増えていきました。




しかし。






ある日。






ぽつり。


空を見上げる弥七の頬をなにかがぬらしました。

それは彼の涙ではなく、空からの輝く雨。

一粒、二粒。

ぽつり、ぽつりと振ってきたそれは、弥七の空っぽの心に注がれていき、そして——弥七は新しいひらめきを得ます。





そう、『ぷろっと』の。






弥七はその日から生気を取り戻し、ばりばりと『ぷろっと』と『小説』を書いていくのでした。




めでたしめでたし



……弥七の書いた本が、先生名義で出版され大流行したのは、また、別のお話。

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