小牧原美心はいただきますが言えない 22

「じゃあ、クラス出し物は脱出ゲームという事で、賛成の人は手を上げてください」


 教室の前に立つ美心がそう言うと、思い思いの歓声と共に、全員が手を上げた。彼女はそれを見渡してから満足そうに微笑む。

 その後、クラスの中でも活発的な女子生徒数人が、壇上の美心の元に集まった。手伝うよという楽しそうな声が、後ろの方の席に座っている雪輝の元にも届いてくる。彼女は一瞬だけ少し困ったような顔をしたが、その中の一人に板書を頼み、それ以外には「またいろいろ決まったらお願い」と笑って席へ返した。


「あいつ、結構人望あるよな」

 雪輝がそう呟くと、前に座っていたリョウが振り向いて答えた。

「小牧原さん優しいからね。それに、僕らが喧嘩してからの、良くなかったクラスの雰囲気を取り持ってたのも小牧原さんなんだ。アレ以来余計にクラスの中心感出て来てるよ。まぁ、当の本人は気づいてないかもしれないけど」

 雪輝はホームルームの進行をしている美心見た。次に教室を見渡す。リョウの言う通り、会議は美心を中心に進んでいた。彼女の秘密を知っているからこそ、この光景に美心の努力を感じていた。


「テルキチー」


 と、急に名指しで呼ばれて雪輝はハっとした。周囲の視線が雪輝に集まる。

「ちょっとテルキチ、話聞いてる?」

「ん、あぁすまん。ちょっとぼーっとしてた」

 そう応えて前を見ると、書記になった女子生徒が黒板に『運営補助』と書いていた。

「ほら、テルキチは実際に脱出ゲーム参加したことあるし、私の補助お願いしたいんだけど……」

「オレがか?」

 すると、周りから「いいんじゃない」とか「やってあげなよ『テルキチ』」などと、少し茶化すような声が上がる。

「いいかな?」

 美心は雪輝を見て微笑んだ。きっとクラスに戻ったばかりの自分を気にして居場所を作ってくれているんだと、雪輝はすぐに分かった。

「うーん。まぁ。そうだな、構わんよ」

 と少し素っ気ないような返事だったが、雪輝がそう答えると教室内に拍手が響く。それが少し気恥しかったのか、唇を尖らせて顔を赤らめた。


 その後は、美心と雪輝を中心にしてホームルームの話し合いが進んでいく。脱出ゲームの構成や内容を詰めていった。雪輝がたまに美心の横顔を盗み見ると、その表情はとても楽し気で、その分当日に訪れるであろうハルキの事が心配になるのだった。





 その頃。相談室で一人、本を読んでいる來華はどこかそわそわと落ち着かない様子だった。数分おきに時計を見つめ、本のページはなかなかめくられない。ふと、いつもは雪輝が座っていた向かいの机に目をやっては、足を延ばしてその椅子を軽く蹴ってみる。つま先に気にならない程度の痛みと、ひんやりとした冷たい感覚を覚え、少し退屈そうに本を閉じた。

 すると誰かが階段を上ってくる音が聞こえてくる。來華の表情に少しだけ緊張の色が浮かぶ。扉が開かれると、そこに立っていたのは神原だった。

「あぁ、いたか」

 神原はそう呟いて、部屋の中に入る。そのままその向かいの席に腰掛けた。

「……どう、でした?」

 來華が恐る恐るといった具合に尋ねる。

「話はつけた。次の休み時間にここに来るってさ」

「……ありがとうございます」

 そう言って頭を下げると、神原は少し不安そうな視線を送る。

「頼まれたから話してみたが……本当に大丈夫か?」

「……他に彼に会う方法が無いので」

 雪輝が教室に戻った日、來華は神原にある頼みを話していた。それはもちろん、文化祭の日に来るであろう、ハルキに関する事だった。

 すると神原が、ため息まじりに呟く。


「二年三組の琴弾藍那。人呼んで『合コンの女王』……君の苦手なタイプだろ?」


「えぇ」

「って、即答か」

「仕方ないですから。それに、琴弾先輩は私達に借りもあるはずですので、断れないと分かってましたし」

「あー。アレは笑えたな」

 神原は何かを思い出すようにして視線を上に向けた。

 するとチャイムが鳴り響き、授業の終了を告げる。神原が立ち上がって窓際に向かい、そこから外を見降ろすと、その数十秒後には、遠くからものすごい勢いで走ってくる噂の琴弾の姿が確認された。


「おいおい……あいつもう来たぞ」

「……変わらないですね」

「イノシシかよ」

 遠くで小さく見えた琴弾がずんずんと大きくなっていき、やがて階段を駆け上る大きな足音に変わった。


「久しぶりー! 東雲クン!!」


 その琴弾の大きな声と共に扉が勢いよく開かれた。

 上がった息に合わせて、位置の高い二つ結びの髪と大きな胸が揺れる。


「……お久しぶり、です」

 來華の冷ややかな視線を受けながらも、琴弾は神原の隣に座った。

「いやー。弘彦クンから聞いた時は驚いたよ。まさかあの東雲來華が合コンをセッティングして欲しいって言うなんてねぇ。どしたの? 独りでいるのが寂しくなっちゃった? もー、言ってくれればお姉さんが傍にいてあげるのにぃ。そんでそんで、東雲クンはどんな男が好みなの? 恋バナしよ恋バナ! まずはそこから始めないとね!」

 座るなり琴弾は前のめりにまくし立てた。來華は睨むように神原に視線を送る。

「……おい、一気に喋るな」

「あーごめんごめん。で、なんかあったの? 東雲クンが合コンなんて、何か訳アリなんでしょ?」

 琴弾は声のトーンを落として、割と真面目な表情を見せた。


「……栄工業高校の、とある生徒と会う機会を作ってもらいたいんです」

「名栄工かぁ、知り合いはいるよ。あそこ、校則が緩くてお洒落な男子多いから、結構人気なのよね。お目が高い」

「分かってるとは思うが、東雲は別に出会い目的じゃないからな」

「だとは思ってたけど、で、誰に会いたいの?」

 すると神原はパソコンを取り出して、ハルキのSNSを見せた。

「こいつだ。フルネームはやり取りから確認するに、恐らく内山春樹。アカウントはもう鍵がかかってるから、ここからしか見れないが、一応写真もアップされている」

「ふむふむ。なんかやんちゃしてそーな見た目だね。アタシのタイプじゃ無いわこりゃ」

「そういう事はどうでもいいんだ。聞きたいのはこいつと会話の場を作れるかどうかだ」

「言ったけど、名栄工にはちゃんと知り合いいるし、この子に彼女がいなければ多分難しい話じゃないと思うよ、っていうか、こういう感じの子は彼女がいても来そうだけどね」

 その言葉に來華の目が見開く。

「……本当ですか?」

「えぇ。まぁやってみないと分かんないけどね。二人には借りもあるし、幼馴染の弘彦クンの頼みとあっちゃ、何としても漕ぎ着けて見せますよ」

 そう言って琴弾はあざといウインクを見せた。

「……よろしくお願いします」

 來華が頭を軽く下げると琴弾は立ち上がり、扉に向かった。

「じゃあワタシはもう行かなきゃだから、また進展があったら連絡するよ」

「あぁ、頼むぞ」

「弘彦クンも、早く彼女作りなよ」

 琴弾は振り返って悪戯っぽく言った。

「フン。僕にはあかねちゃんがいる」


 そう答える神原に向けられた琴弾の視線は、先程までの小悪魔的な表情とは打って変わって、どこか彼を憐れむような、悲しいような、そんな痛みを孕んだものになっていた。





 テスト期間を終えると、文化祭の準備がいよいよ本格的になり始めた。

 校内を少し歩いただけでも、作りかけの飾りや小道具の転がっている様子が、そこら中に広がっている。クラスも美心を中心にまとまり、雪輝の目からも順調に準備が進んでいるように見えた。


「吉祥寺君。買い出しの申請、先生に出して来たよ」

 女子生徒がプリントを片手に教室に入ってきた。教室内は机を後部に寄せられ、絵の具とダンボールの匂いが充満している。

 ベニヤ板に塗装中だった雪輝は、その女子生徒の声に振り返り、立ち上がって教室内を見渡した。

「今から行くか。誰か手の空いてる人は……」

「あ、ごめん。私は部活の出し物の手伝いに行かなきゃだから……」

 女子生徒が申し訳なさそうに言ってプリントを手渡す。すると少し離れた所で作業中だった美心が、二人の方を見て手を上げた。


「じゃあ私行くよ。こっちも絵具足り無さそうだもんね」

 足元に乾かしている途中のダンボールや板が転がっている中、美心は飛び跳ねるようにしてそれらを避けつつ、雪輝の元に駆け寄った。

「じゃあお願いね、小牧原さん。あと、吉祥寺君が寄り道しないように、ちゃんと見張っててね」

「りょーかい」

「信用ねえのなオレ」


 すると美心は教室内で作業中の生徒一人一人に、他に必要なものが無いか聞いて回った。廊下から雪輝はその様子を見守るようにして眺めている。美心に話しかけられた生徒はみな楽しそうな顔を見せ、同じくらいに明るい笑顔を美心が返す。この光景に何か思うところがあるのか、雪輝の眉にシワが寄った。教室を一周した美心が雪輝の元に戻り、楽しそうにその腕を引いて「行こっか」と微笑む。雪輝のため息のような笑いと共に、そのまま二人は校舎を後にした。

 二人は学校を出て二十分程歩き、駅前通りに向かった。川沿いに昔からある文房具店で絵具を購入し、そのまま割と小奇麗な駅構内に入る。駅の向こうには大型のショッピングモールがあったが、今回はそこには向かわず、敷地内にある百円ショップでリフォーム用の壁紙とテープ類、装飾として使う食器などを購入した。再び駅を出るころには、二人の両腕は荷物で塞がっていた。


「もう一人お手伝いを頼めばよかったね」

 帰り道を歩きながら、美心はそう言って笑う。

「だな。帰りに追加でダンボールを貰えるところ探そうと思ってたけど、こりゃ無理そうだな」

「うぅ……失敗したよ」

「明日親父に貰ってオレが持っていくよ。今日はもうある分だけ作ってお終いにしようぜ」

「吉祥寺君の家、ダンボール沢山あるの?」

「青果店なんだ」

「へぇ知らなかった。お店どこにあるの?」

「割と学校の近くなんだけど、説明するの面倒だし、吉祥寺青果店で検索してくれ」

「あっ、そういえばそう書いてある車見た事ある!」

「あぁ、それうちの親父のだな……ここら辺の飲食店によく配達してまわってるから」

「そうだったんだ」

 

 するとヴヴっと、美心のポケットでスマホが揺れる音がした。

「あっ」

 振動に気づき、スマホを取り出そうとするも、荷物が邪魔をする。

「一度持つよ」

「ありがと」

 雪輝は指を二本立てて突き出す。美心はその指にビニール袋をかけた。

「……重っ」

 美心は歩きながら、空いた片手でスマホを取り出す。

「クラスグループの方にメッセージが入ってる」

「何か言ってる? 追加で何か買ってきてって言われたら、この荷物の写真でも送ってやってくれ」

「ちょっと待ってね……あー今日の放課後ご飯いく人募集だって。買い出し関係ないやつだね」

 そう言って美心はスマホをポケットに戻して、雪輝に預けた袋を受け取った。


「……テルキチは、行く?」

 どこか少し寂しそうに言った。

「タケル達が行くなら行くかな」

「そっか」

「……お前も来ればいいじゃん」

「わ……私も? え? 本気で言ってる?」

 スマホを触りながらも止めなかった美心の歩みが止まった。

「本気だぞ?」

「だってそんな……私は食儀もあるし」

「それはオレが何とかしてやるよ、場所を選べばバレずに出来る所もあるはずだろ?」

「でも、私はそもそもみんなとは……」

「深いかかわりを持てないと?」

 美心は黙って頷いた。


「……美心はどうしたいんだ?」


「……私?」

 下を向いていた美心の顔が上がり、雪輝にきょとんとした視線を向ける。

「信仰の事はひとまず置いといて、小牧原美心はどうしたいんだ?」

「……」


 美心は黙り込む。

 駅前通りの信号機から流れるメロディーが、美心にはやたら大きく聞こえる気がした。


「……置いとけないんだよ。アカシアの救徒と私の気持ちは、切り離して考えられないんだよ」


 どこか悲しそうに言う美心の顔が、雪輝の目には印象的に映った。


「そっか」

「ううん、ありがと。テルキチの気持ちは嬉しい。でもごめん……今はまだ、私もよく分からないんだ」

「何が?」

「何だろう……自分がどうしたいか、なのかな……。確かにね、アカシアの救徒の言ってることは、ちょっとおかしい所もあるって思ってる。テルキチに心が無いなんて私には思えないし。……でも、裏切れないんだよ」

 尻すぼみに美心の言葉から力がなくなっていく。


「……パパやママ、園田さんや会のみんな。私が赤ちゃんの頃から助けてくれたみんなの信仰を……裏切れないよ」

 美心は呟くように言った。

 その言葉に雪輝は「……そうだよな」としか返すことが出来なかった。

 そして、そうとしか返すことのできない自分が、少し情けなく思えた。

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