小牧原美心はいただきますが言えない 9

 名駅を桜通口から出て納屋橋方面に広小路を歩く。背の高いビルの足元ではたくさんの人達がそれぞれの方向を向いていた。雪輝を挟んで車道側を歩いている來華が、自転車とすれ違う為に一度後ろに下がる。その後歩みを速めて元の位置に戻るが、しばらくするとまた向かいから、今度は白髪交じりのサラリーマンが歩いてきた。これをもうかれこれ数度繰り返しており、來華は諦めた様に二人の後ろを歩くことにした。

 風が次第に冷たくなる。前方には大きな橋とカラフルな飲み屋街、そして風を冷やす堀川が見えた。道が広くなって、來華もようやくまた雪輝の隣で歩けるようになり、満足そうに二人の横についた。

 橋の手前でメインストリートからそれて、風俗店を横目にビル群の中を進んでいく。美心はスマホのマップに集中している様子だったが、雪輝は無意識か、両脇に並ぶ風俗店の看板の文字を目で追っていた。それに気付いた來華は無言で彼のふくらはぎを蹴った。


「いたっ。なんだよ急に」

「すけべ」

 そう言われて雪輝は少し顔を赤らめた。

「いや、気になるなだろ」

「ふーん」


「なに話してるの?」

 二人のやりとりに美心もスマホから目を離して入ってきた。

「なんでもない。つかこの道で合ってるのか?」

「うん。もうすぐだと思うよ」

「でも東京で人気だった割には、変な所にあるのね。私はてっきり栄とかに行くのかと思ってたわ」

「そうだね。なんか空きビルのフロアを二つ使ってるらしいよ。あっ、あれじゃない?」


 そう言って指さした先には『―クビキリさん―廃校からの脱出』とおどろおどろしい文字で書かれた看板が立っていた。

 三人はそのままビルの中に入る。入口に立てられている案内に受け付けは三階と書かれており、エレベーターに乗ってその階に上がった。


「いらっしゃいませ」

「予約していた吉祥寺です」

「はい、少々お待ちください」


 看板の文字と同じように、このフロアもホラーちっくな作りになっている。來華は周りをぐるりと見渡して息をのんだ。


「お待たせしました。優待チケットの方いただいてよろしいでしょうか」

「あぁはい」

 漆野から貰ったチケットを渡す。

「ありがとうございます。先ほど入られたお客様が次のフロアに進みましたらスタート出来ますので、しばらくの間あちらでお待ちください」

「はい、ありがとうございます」


 受付の隣の待合室に案内され、三人はソファーに腰かけた。


「でも凄いね、このチケット結構高いらしいのに」

「あぁなんか漆野の親がここの運営の株持ってて、その優待チケットなんだと。あいつホラー系苦手だから、それで貰ったんだ」

「そうなんだ。東雲さんはホラー大丈夫なの?」

「え、えぇ。問題はないわ」

 そう言う來華の顔には見て分かる程の不安の色が浮かんでいる。

「……大丈夫か?」

「……多分」

 何が? と蹴りでも飛んでくるかと雪輝は思っていたが、意外にもしおらしい声が返ってきて驚いた。

 來華は漆野の「ホラー要素」という言葉で、要素程度なら問題ないと高を括っていたが、実際に入ってみるとここは、要素というにはあまりにもホラー色が強い。むしろそっちが主成分と感じられる出で立ちだった。

「無理そうならやめてもいいぞ」

「そうだよ、私もちょっとドキドキしてるもん」

「いいえ問題ないわ。……多分」


 來華は気を紛らわすように机に置いてあった冊子を手に取る。そこにはゲームの設定とルールが書かれていた。



 ―クビキリさん― 廃校からの脱出

 他人の友情を憎む悪霊『クビキリさん』

 廃校に閉じ込められたあなた達は襲い来る『クビキリさん』から逃れつつ、無事に脱出する事が出来るのだろうか……!


 ルール

 クビキリさんはターゲットを探しながら校内をうろついています。もし見つかってしまったら、クビキリさんは手に持った大きなハサミで襲い掛かってきます!

 逃れる方法は一つ。それは『友達の名前を呼ぶ』事だけ。クビキリさんに友達の名前を聞かせると、今度はその人がターゲットになります。

 自分が助かるために友達を犠牲にする……他人の友情を憎むクビキリさんらしい行動ですね。


 制限時間はワンフロア三十分。

 脱出成功とは別に、トゥルーエンドがございます。



「身を隠しながら問題を解いていくようね」

「うぅよりドキドキしてきた」

「作戦考えておこうぜ」

「そうね。とりあえず私は、そのクビキリさんというものに出会ったら吉祥寺君の名前を呼ぶわ」

「なんでだよ!」

「私は走って逃げきれる気がしないし、小牧原さんにつけるのも申し訳ないし。あなたしかいないでしょ」

「……まぁ」

「誰か一人がおとりになって、他の二人で問題を解く。これが恐らくセオリーね。となると誰がそのヘイト役に適任かと言うと、一番生存率高そうなあなたという事になるわ」

「……くそぉ、その通りだな」

「じゃあ中では私と東雲さんがペアで行動をするって事?」

「そうね」

「分かった! じゃあよろしくね、東雲さん」


「吉祥寺様。準備が整いましたので受付の方までお越しください」


 案内の呼ぶ声が聞こえてきた。

 雪輝たちは少し緊張した面持ちで指示通り受付に向かう。


「こちら紙に皆様の呼び名を記入してください。ゲーム中に悪霊が判断するための物ですので、ひらがなで構いません」

「あーなるほど」

 雪輝は頷いて紙に「きちじょうじ」と書いた。ふと横を見ると、隣にいた來華は紙に東雲ではなく下の名前の「らいか」と書いている。

「あれ? 下の名前で登録するのか?」

「ええ、ごめんなさい。あまり無暗にこの苗字を使いたくないの」

「あぁなるほど」

「そっか、有名人だもんね」

「私自身が有名なわけでは無いのだけどね……。とにかく中では二人にも、私の事を來華と呼ぶことを許すわ」

「なんでそこで偉そうなんだよ」

「光栄な事なのよ?」

「そうですかい……」

「よーし。じゃあ私も美心で登録しよっと」

 そう言って紙に「みこ」と書いた。

「私も二人に、美心と呼ぶことを許しまーす」

「小牧原まで……」

「ん? 誰って?」

「……美心まで」

「よろしい」

「そうですかい……」

「せっかくだからテルキチも下の名前で登録しようよ」

「いや、俺はいいよ」

「吉祥寺君の下の名前って、輝吉であってるの?」

「ちげーよ。雪輝だよ。それはこま……美心が勝手に言ってるだけで」

「そうそう。雪輝の吉祥寺でテルキチ。クラスでもまぁまぁ浸透してたよね」

「お前のせいでな」

「へぇ、ずっとテルキチが本名なのかと思ってたわ」

「んなっ、まじか……クソ、こうなったら今日ここで覚えさせてやる」

 雪輝は紙に書かれた「きちじょうじ」の文字に線を引いて、その下に大きく「ゆきてる」と書いて來華に見せる。

「いいか、俺は雪輝だ! 美心も今日はその変なあだ名じゃなくて本名で呼ぶように!」

「えー、テルキチの方が呼びやすいよー」


「あのーそろそろよろしいでしょうか?」


 三人のやり取りを案内のスタッフが腹立たしそうに眺めていた。雪輝らはその視線と声色で不機嫌さを察し、申し訳なさそうにいそいそと書いた紙を提出する。するとスタッフは受付カウンターから出て待合室の先にある扉まで先導した。


「この扉の先は、廃校二階の廊下となっております。下へ続く階段は防火扉で閉ざされ、その扉にも南京錠がされております。三十分以内のそのカギを開け、次の一階フロアに進めなかった場合はゲームオーバーとなりますので、頑張って鍵を探してください」

「分かりました」


「それでは、行ってらっしゃい」


 スタッフは扉を開く。

 さっき言われたスタッフの説明通り、その扉の先には、暗い廃校舎の廊下が真っすぐと伸びていた――

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