アラカルト2 ~小牧原美心とアカシヤの救徒~

【アラカルト2 ~小牧原美心とアカシヤの救徒~】


 ママとの思い出は、夕方の景色が多かった。

 十六時頃になると、私はママと一緒に色んな人の家に本を渡して回っていた。救心活動だ。ママは難しい話をしていて、当時七歳だった私はよく分かっていなかったけど、そんな私でも分かっていた事が二つあった。

 一つ目は、私が本を渡すとよく受け取ってもらえる事。

 二つ目は、私が人に本を渡すとママが喜んでくれる事。

 大体一時間ほどの活動の後に、ママはいつも肉まんを一つ買ってくれる。今日も頑張ったねと言って、私の活動で人が救われたかもしれないと頭を撫でてくれた。

 それがとても嬉しかった。


 その後はいつも会館に行く。夕飯もそこで会の人たちと食べることが多かった。

 基本的にアカシヤの救徒は、困っている人を放っておけない様な人たちの集まりだから、会にいる人たちはみんな優しい。私もそこが居心地よかった。

 みんなでお祈りをして、食儀をしていると、大体いつも十九時ごろに小走りな足音が聞こえてくる。仕事終わりのパパだ。私は足音が聞こえると玄関まで迎えに行く。そして扉が開いたら、驚かすようにパパに抱き着いていた。スーツから香るタバコの匂いが好きだった。パパはいつも困ったように笑っていた。その顔が好きだった。ママや周りの人たちも、私とパパを見て笑っていた。その光景も好きだった。

 帰りはパパとママとで手を繋いで歩く。その時に私は色んな話を聞かせてもらった。人間の尊さ、心の大切さ、アーカーシャのクオリア、選別の日。私はどれも本当の意味で理解出来ていなかったのだと思う。でも、それが正しい事だと、信じて疑わなかった。


 小学校は大変だった。なんせ周りにいるのはみんな没心人だったから……。

 ある日私は同じ班の人たちに食儀を教えた。みんな意味なんて分からず、子供特有の好奇心で面白がって一緒にやってくれて、私はとても嬉しかった。でもその時、食儀の途中で担任の先生に見つかって、私は職員室に呼び出された。


「変なことを教えないで」


 先生は私にそう怒った。

「変な事じゃないもん。ご飯を食べる時はそうしないといけないんだもん」

 私がそう言うと先生は怒鳴った。

「違います! ご飯を食べる時は『いただきます』食べ終わったら『ごちそうさま』って言うの!」

 私は生まれて初めて人に怒られた。怖かったけど、それ以上に先生の言っている言葉の意味がまるで分からなくて、私は泣いた。

 泣きながら「間違ってないもん」「パパとママはそう言ってたもん」と訴えたが、通じなかった。

 この時私は、パパとママの言っていた『心の通っていない器だけの生命』という言葉をはっきりと理解した記憶がある。この先生は没心人。心が無いから何を言っても理解できないのだと……。

 その日から私のクラスメイトを見る目が変わった。この人たちはみんな没心人で、私は救徒。いつかみんなを救ってあげたいと、この時の私はそんな夢すら抱いていた。


 ……しかし、私の夢はすぐに疑問に変わった。

 小学二年生になってみんなとの関りが増え始めた頃、私はもう、他の人たちに心が無いとは思えなくなっていた。私が困った時は助けてくれるクラスメイト。昼休みに一緒に遊んで笑ってくれるクラスメイト。その顔を見ていると、どうしても私と同じ心を持った人間と思えてしまう。

 もう一年経つと不満も増えてきた。みんなと一緒にご飯を食べれない。みんなと一緒に運動会が出来ない。クリスマスイベントも、初詣も、私は参加できない。……そしてみんなと友達になれない。……みんなと恋バナが出来ない。


 高学年になった頃から、私は救心活動に行くのが嫌になった。もし玄関を開けた先に、クラスの子がいたらと思うと足が震えてくる。ママと一緒に本を配っている所を見られたらと思うと、背後ばかりが気になってしまう。……それでも私は『救心活動を嫌だと思っている私』をママに見せたくなくて、必死に笑顔を作って歩いていた。


 ちょうどその頃、私は好奇心の末に、独りベットの中でのいけない行為を覚えた。きっかけは学校の保険の授業。その行為がアカシヤの救徒で禁じられている事も知っていた。だからこそ私は、授業でその話を聞いた時に強い好奇心に駆られたのかもしれない。

 ……ううん。そんなの言い訳で、ただ単純に性の芽生えに抗えなかっただけだ。

 初めての日は、果てた後に強い動悸に襲われて本当に怖かった。罰だと思った。薄れかけていた信仰が、罰を目の前にして甦った。

 結局私はその日から、教えに背いているという罪悪感に苛まれてもなお、その行為を止めることが出来ずにいる。止めないとと思っていても、週に何度も手が伸びてしまい、その次の日には一人で会館に懺悔に向かっていた。皮肉なことにその姿は敬虔な信者そのもので、私は何度も賞を受賞して、会報にも写真が載って全国に配られた。死ぬほど恥ずかしかった。

 しかし今でもその行為と罪悪感が、私とアカシヤの救徒を繋いでいるのかもしれない。


 中学に入ると、私の生活は更に肩身の狭いものになった。

 私が宗教に入っている事は周知の事実で、みんなそんな私を腫れ物の様に扱う。中には私の信仰の事を知らないふりをして話しかけてくれる人もいた。けどその人たちも時間と共に去ってゆき、気づいたら『カルトちゃん』なんてあだ名までついていた。

 中三になって進学を考える時、私は名古屋から出て一人暮らしをする事を決意した。私の信仰を知る人がいない土地で、初めからやり直す事を目標にしていたのだ。

 パパとママは了承してくれた。私が表彰を受けるほどの敬虔な信者だと信じて疑わなかったからだろう。しかし条件として挙げられたのが、一つ上のランクの学校を目指すことだった。勉強は得意ではなかったが、私は必死になって頑張った。

 そして第一志望だったここ蓋身学園の合格発表の日。

 私はこの日を、きっと一生忘れない……



 電車を乗り継いで一時間半。思っていたよりも人の多いこの町で、私は立っているのもやっとな程の緊張感の中、受験票を握りしめて校門をくぐった。ママに着いたよとメッセージを送ると、すぐに既読がつき『緊張してない?』と返事をくれた。あまりの早さに笑えて、少しだけ気が楽になった。

 駐車場を抜けて、人の流れに沿って歩いていると、メインエントランスの壁に人だかりが出来ていた。そこに掲示板があるのだろう。

 一歩一歩その人だかりに向かって歩を進める。近づくたびに心臓の音が大きくなり、周りの歓声や泣き声が耳に入らなくなる。

 人をかき分けて奥に進み、ぱっと顔を上げると、一番最初に目に飛び込んできた数字に凄く見覚えがあった。325番。私は目を擦った。そして自分の受験票を確認する。325番。

「ひぃっ」と軽く声を漏らして手に持っていたスマホと受験番号を落としてしまった。慌てて拾い上げて、もう一度番号を確認する。どちらも325番だ。


「……受かってた」


 一番最初に目に入った数字が自分の受験番号だったなんて、そんな奇跡本当にあるのかと何度も何度も疑ったが、疑っても疑っても、事実なのは変わらなかった。

 私はすぐにママに着信を入れた。ママもすぐに出てくれる。

「ママ! 受かってた! 私、受かってた!」

「……ぁあ、おめでとう、本当におめでとう……!」

 ママのすすり泣くような声が聞こえてくる。大袈裟だなと、またちょっと笑えた。



「美心。本当に良かったわね……。毎日しっかりお祈りしたおかげね」



「………………え?」


 頭が完全に真っ白になった。

「美心が毎日しっかりお祈りしたから、ちゃんと合格できたでしょ。ママ本当に嬉しい……。帰ったらパパと三人で一緒に報告と、感謝のお祈りをしましょう」


「…………うん」


 ママは喜んでくれている。私の躍進を、私の為に涙を流して喜んでくれている。いつもと変わらない、優しいママの声。

 でも私はなんでか傷ついた。


 スマホをポケットにしまい、受験番号をぼーと眺めた。蓋身学園は、私の元々の学力じゃ到底入る事の出来ない学校で、私は寝る間も惜しんで毎日毎日必死で頑張って、その結果たどり着いたのがこの奇跡の光景。

 そう思うとさっきのママの言葉がズキンと胸に突き刺さり、何か大切なものが壊れた様な気持ちが消えてくれなかった。

 力を無くした手から受験票が滑り落ちる。風に煽られて飛んで行ったが、もうどうでも良くなってしまった。


「おっと」


 後ろで声がした。気に留めるつもりは無かったのだが、肩を叩かれた。


「これ落としたよ」


 声の主はそう言って私の受験票を突き出す。ぼやけて顔が見えなくて、その時初めて自分が泣いている事に気がついた。


「おーい、あの……」


 私が動かないせいで声の人は戸惑っている。ハッとして私は涙を拭き、その人から受験票を受け取った。

「ご、ごめんなさい……」

「その、なんつうか、落ちても補欠合格があるから、受験票とっておかないとマズいと思いますよ」

 その男の人はばつが悪そうにそう言った。何故か私はその顔を見たら少しだけ笑えてきた。だって本当に申し訳なさそうな顔で言うんだから。

「大丈夫。ほら、私合格だそうです」

 受験票を掲示板の隣にかざしてその男の人に見せた。するとその人は水を得た魚の様にパァと顔を明るくして私の手を握った。

「おぉマジか!! おめでとう!! 実はオレも合格なんだよ!」

「あ、あはは」

 さっきまでとのテンションの違いに、私は正直少し引いてしまっていた。

「いや、テストマジで難しかったよなぁ。君も相当勉強した?」

「……え?」

「いや、そのペンだこ見れば全部分かるわ。お互いお疲れ様。頑張ったな」

「……」

 名前も知らない人だけど、私はその言葉を聞いてまた涙が出てきた。

「お、おい……ちょっと、大丈夫か……?」

「ご、ごめんね。大丈夫。ちょっと嬉しくて涙出てきちゃった」

「まぁ気持ちは分かるけど、それで受験票無くしたら元も子もないからな。今度はしっかり持っておけよ」

「うん!」

 そう言うと彼は遠くの方で友達を見つけた様で、手を振ってその人の名前を呼んでいた。

「じゃあオレちょっともう行くよ」

「うん。あ、あの……名前教えて」

「オレか? 俺は吉祥寺雪輝。ごめん、もう急ぐわ! じゃあ同じクラスになったらよろしくな!」

 彼は笑顔を残して走り去って行った。


「吉祥寺雪輝……。吉祥寺君。雪輝君。じょーじ君? ユキキチ……テルキチ。なんちゃって……」


「……友達になれたりするのかな」


 それが不可能な願いとは知りつつも、私の友達や恋人と言った関係への憧れは、日に日に知らないふり出来ないものへと成長していくのだった。

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