アラカルト1 ~吉祥寺雪輝と東雲來華~



【アラカルト1 ~吉祥寺雪輝と東雲來華~】


 俺の名前は吉祥寺雪輝。夏休みの明けた九月の初週。俺は放課後の教室で、友人だった大宮タケルと笠原リョウに暴力を振るった。

 退学を覚悟していたところ、謹慎五日目に現れた冴島先生のおかげで俺は、相談室登校という形で学校に戻ることが出来た。先生と学校側でどういったやり取りがあったのかは知らないが、異例にも、俺の処分に関して、いち相談室教諭に全権が委ねられる事になったのだ。

 相談室には常連がいた。一年上の神原裕彦先輩。特に問題を抱えているわけではないのだが、冴島先生に恋心を抱いていて、彼女に会うためだけに授業に出ず、毎日相談室に通っている変わった先輩だ。恋愛マンガを描いていて、その取材のためにストーカー行為を繰り返している事が、問題と言えば問題だが……。


 そして同じクラスの東雲來華。

 父親が日本中から嫌われている財務大臣の東雲源次郎で、彼女もその影を背負って生きている。小学校の頃から人に嫌われて生きてきたらしく、目つきが鋭くて、ずっと独りでいる無口な子だ。

 ……本当に無口な女の子だった。


「東雲ってよく本読んでるよな」

「……」

 無視。

 相談室生活が始まって初日。冴島先生と神原先輩もいない、二人きりになった時間に、俺は彼女に声をかけてみたのだが、東雲來華は眉をピクリとも動かさず、静かに本のページをめくるだけだった。

「何を読んでるんだ?」

「……」

「もしもし?」

「……」

 また無視。

 少し趣向を変えてみようと、今度は彼女の顔をじーと見つめてみる。教室で何回かすれ違ったことはあったけど、向かい合って座って、じっくりと彼女の顔を見たのは初めてだった。少しキツイ目つきと不健康そうな白色の肌が特徴的で、それが嫌われ者のイメージと相まって、良くない印象を周りに与えていた。しかし、よくよく見るととても整った顔立ちだと思った。鋭い目つきの中で、深い青の綺麗な瞳が、文字を追うために小刻みに揺れる。本が面白いのか、たまに目尻も少し下がる事がある。笑っているとは言い難いが、穏やかで、女性的で、彼女にしか出来ない笑顔だと思った。無視された後なので少し癪に障るが、そう言った特異な表情とか、片手に収まりが良さそうな顎のラインとか、主張の小さい鼻とか、知れば知るほど綺麗な人だなと感じた。


「……ジロジロ見ないでくれる?」


 ようやく口を開いてくれた。

 というか、東雲來華の声を聞いたのはこれが初めてかもしれない。


「すまん。あまりに美人だったからつい」

「……」


 和ませるつもりで言ったらまた喋らなくなってしまった。

 その後数十秒程の沈黙が出来たが、しばらくして彼女が本を持って立ち上がった。どこに行くのかと思ったが、そのまま俺を挟んで奥にあるソファーに向かい、生徒相談用のパーティションを使って、俺の視界から身を隠したのだ。


「ちょっとちょっと、ゴメンって。暇だから何か話そうよ」

「私は暇じゃないわ」

「結構暇そうだったけど!?」

「……」


 ピシャリとパーティションで分断され、会話はそこで終わった。流石に少しイラっとしたが、喋りかけるなオーラを纏っている中で話しかけた自分も悪いと思い、諦めて机に突っ伏した。外で賑わう体育の楽しそうな声を聞いて、俺は初日からもう教室が恋しくなった……。

 それから一週間。俺と東雲の間にこれといった会話が生まれることは無かったが、その代わり神原先輩とはよく話すようになっていた。先輩はマンガに詳しくて、オススメの作品をいくつか借りた。俺からは格闘ゲームを貸したりして、普通にクラスの友達と話している感じだった。俺は部活動に入っていなかったので、初めて『先輩』と呼べる人が出来て、ちょっと嬉しかった。


 九月二十三日。月曜。

 その日は朝から学校中が騒がしかった。毎日相談室と自宅の往復だったせいで知らなかったが、どうやら球技大会の日だったらしい。

 もちろん俺は参加不可。別に学校に来る必要もなかったなと考えていたところに、冴島先生が面倒な仕事を持ってくる。

「朝のホームルームの間にバレーボールのコートの設営を手伝って」

 相談室に入って来て開口一番がそれだった。部屋には俺と東雲がいた。恐らく神原先輩はこうなる事を予知して今日は朝から教室にいたのだろう。

 東雲は無言で立ち上がって先生の元に歩いていく。俺もため息は出たが、仕方なくその後ろをついていった。

 この学校の球技大会は、球技大会とは銘打ってはいるが、種目はバレーボールだけだった。昔は他にも種目があったようだが、男女混合で出来て、接触の少ないバレーボールだけが残ったとの事だった。場所は体育館と校庭の両方を使う。メインは校庭のコートで、体育館は試合前の練習用のサブコートだった。俺と東雲が設営を手伝うのは体育館の方で、他の教員たちは総動員で校庭の設営をしているため、体育館に用意する二つのコートは俺たちに完全に任されてしまっていた。

 ていうか準備ぐらい前もってやっておけよと言ってやったが、前日は校庭も体育館も、どちらも運動部の練習試合で使用していたようで、こんなギリギリの設営になったと聞かされた。

「ここはサブだから、開会式が終わるまでにやってくれればいいよー。ちょっと時間あるし、慌てて怪我しないように落ち着いて作業してね」

 なんて珍しく教員らしい事を言った先生は、手を振って体育館を出ていこうとする。

「ちょ、え? 先生戻るの!?」

「あたしは校庭の方手伝わなきゃだから」

「二人でやれって言うのかよ」

「十分でしょ。何かあったら呼んでちょうだい」

 そう言って本当に体育館から去っていった。


「マジか……」

 ため息をついていると、隣に立っていたはずの東雲は、もう体育倉庫に向っていた。やる気があるようには見えないから、ただ早く終わらせたいだけなのだろうが、切り替えの早さと行動の速さは尊敬する。

 後を追って中に入った。暗くて、汗と埃の臭いのする独特な空間。正直言って俺は嫌いじゃない。小中学生の頃もよく友達と忍び込んで、マットの上でプロレスをしたり、ロイター板で遊んだりしたいい思い出がある。

 東雲はバレーの支柱を前に佇んでいた。何をしようとしているのか、その後ろで数秒ぼーと眺めていたが、彼女は一人で支柱をラックから取り外し始めた。

「……あっ」

 想像以上の重量が両手にかかったのか、小さく声を漏らして体が崩れる。その時、外れた支柱が他の支柱にぶつかったのが見えた。

 背筋にヒヤッとしたものを感じた瞬間、とっさに東雲をマットの方に突き飛ばした。ラックから落ちた支柱が地面とぶつかって重量感のある鈍い音が響いた。

「あぁビビった……」

 東雲はマットの上で髪を乱し、あっけにとられたように目をぱちくりさせていた。状況が整理できていないのかもしれない。

「どっか痛めてないか?」

「……えぇ」

「なら良かった」

 そう言うと俺は、マットの上で倒れている東雲に無意識に手を差し伸べていた。本当に無意識だったので、次の瞬間には「何マンガのキャラみたいなことしてるんだよ」と、急に恥ずかしくなった。手を引っ込めようとした時、以外にも彼女はその手を取ったのだった。

「……その、ごめんなさい」

 立ち上がった彼女は、髪を整えながらそう言った。

 そこはありがとうの方が嬉しいぞ、と思ったが、流石にそれは格好つけすぎな気がして気持ち悪かったので、言うのをやめた。

「この学校は運搬車無いのかよ」

「あそこにあるわ」

 彼女は倉庫の奥を指さした。そこには壊れた運搬車が置かれてある。

「……なるほどね」

「支柱なんて触ったの初めてだったから、見た目より重たくて驚いたわ」

「まぁだろうな。一人じゃ無理だから二人で運ぶぞ」

「……えぇ」


 落下した支柱を二人で担ぎ上げる。そんなに重たく感じなかったが、東雲はプルプルと震えて一杯一杯の様子だった。普段クールな分なんか少し可愛らしく思えたが、いつ限界を迎えるか不安でハラハラしたので、二本目から俺が一人で運ぶことにした。すると彼女にしては珍しく「一人で大丈夫なの?」と心配してくれた。

「大丈夫だよ。東雲はネット運んできてくれ」

「……分かったわ。でもキツかったら怪我する前に言いなさいよね」

 彼女は意外に優しい。

 俺は少しだけ衝撃を受けた。


 それからの手際は良かった。支柱を立てて高さを調整する。ネットから伸びたロープの片端を、反対側の支柱にいる東雲にフックへ取り付けてもらい、こちら側のロープを滑車通して巻取器に装着。後はネットの張りを見ながらゆっくりと巻取器を回していき、ネット下部の紐を支柱に括り付けた。

 無事他の生徒が来る前に二コート分の設営が完了し、二人で完成したコートを眺めていた。

「少し歪んでいるわ」

「まぁ練習用のだしいいんじゃないの? ていうか多分バレー部員が作り直すよ」

「作り直す?」

「こういうイベントの時って、その部活の奴らがやたらイキるじゃんか。だからこだわってる所をアピールしたいバレー部の奴とか、手際よく直す姿をアピールしたい奴とかが、どうせ格好つけてすぐ作り直し始めるよ」

「なるほど。馬鹿ばかりなのね」

「……おいおい。もっとなんか歯に衣着せた言い回しはないのか」

 話していると体育館の外からざわざわと人の声が聞こえてきた。もう開会式も終わって移動が始まったのだろう。

「さて、終わったし戻るか」

「ええ」


 それから俺たちは、一日をいつも通り相談室で過ごした。

 と言っても、俺は冴島先生からのノルマとして与えられている校内清掃の奉仕活動の為、午前中は無人の校内を掃除して回っていたのだが、ノルマを終えて相談室に戻ると、東雲が一人でポツンと窓から校庭の様子を眺めているのを見つけた。

 その時に思った。普段彼女はあまりに平気そうな顔をしているが、やはり人に嫌われて平気な人なんているはずがないのだと。

 彼女の見つめる先で、楽しそうに声を張ってバレーをするクラスメイト達。そこにはどうあがいても東雲來華の居場所はない。彼女が特別何か悪い事をしたわけでもないのに。

 ヘイトという感情のミームはとても複雑だ。まるで意識のウイルスと言ったところだろう。東雲來華が何をしたところで、そのウイルスの感染者は全てを否定的に捉えてしまう。そして一挙手一投足から馬鹿に出来るところを探し出し、吊し上げて笑いものにする。

 正直言って俺もそのウイルスの感染者だったのかもしれない。彼女の顔をじっくりと見るまで、俺の東雲來華に対するイメージは「目つきの鋭い、無口な子」だったからだ。その瞳の奥に隠された色んな表情を見ようともせず、クラスのミームに則って彼女を判断してしまっていた。

 窓の外を眺める東雲來華の横顔を見て、俺は自分が恥ずかしくなった。


 夕方。校庭も体育館ももう片付けられ、生徒の帰宅も散り散りになった十七時前。冴島先生の手伝いで体育倉庫の整理をしていた。終わった後に俺は、ふと思い立って倉庫からバレーボールを一つ盗み、相談室に向かった。

 彼女が残っている確証は何もなかったが、少しだけ予感があった。

 外から見ると電気はついていた。階段を昇って部活塔の一番奥まで歩くと、やはり彼女の靴が置いてあった。

「まだいたのか」

 窓際の壁にもたれてぺたりと床に座り込み、静かに本を読んでいた。その情景がどことなく寂しさを助長している気がした。

「何かよう?」

 無視されるかと思ったが、以外にも彼女は俺の顔を見て応えてくれた。

 俺は手に持ったボールを彼女に投げる。少し驚いた表情をしたが、本を持ったままボールをキャッチした。

「おーナイスキャッチ」

「……なんのつもり?」

「いやさ、今日一日みんなが楽しそうにバレーしてたのに、俺手伝いだけで何も出来なかったからさ、ちょっと付き合ってもらおうと思って」

「今から?」

「そ。どう?」

「……」

 流石に断れるかな。

「……いいわよ」

「えっ」

 俺が驚いていると、彼女は立ち上がって机に本を置いた。

「誘っておいて何驚いているの? 校庭だと人目につくから、ここの下でいいわよね」

「お、おう」


 俺たちは階段を降りて外に出た。外はもう薄暗く、こんなに日が沈むの早かったけ? と季節の変わり目を感じさせられた。

 そんな事を考えていると、東雲がフワッとボールを投げる。俺はとっさに構えて、そのボールをトスで彼女に返した。

 綺麗に曲線を描いて彼女の頭上に向かったボールだったが、当の本人はトスの構えのままあたふたと右に左に動き、振ってきたボールは手に捉えられる事無く、そのまま顔面に落下した。

「ぷっ」

 両手を上にあげたまま硬直する様子を見て、俺は堪えられなかった。

「もしかして、運動苦手?」

 俺がそう尋ねると、彼女はボールを拾い上げ、無言で近づいてきた。

「……」

 目の前まで来た彼女は、そのまま俺の右足のスネをつま先で蹴り上げる。

「イって!」

「苦手? 誰が? 暗くて見えなかったのよ」

「いててて……何も蹴らなくても」

「いいからもう一回」

 ボールを手渡される。

「お、おう」

 元の場所に戻る彼女に、俺はもう一回トスを上げた。

 スカッ。と、音まで聞こえてきそうな勢いで再びトスを外して、ボールは床に落ちる。

「ぷっ」

 俺はまた笑いが堪えられなかった。

「笑うな!」

 顔を真っ赤にして彼女は怒鳴った。色白の肌だ、暗くても分かる。

 すると校舎の方から、数名の生徒が駐輪場に向かって歩いてきた。それに気付いた東雲は、暗がりになった部活塔の階段の闇に、逃げる様にこそこそと潜り込む。何となく俺もつられて階段に入り、彼女の隣に座り込んだ。

「別に他の奴らから逃げる必要なくないか?」

「私が遊んでいる所なんて見られたら、きっとまた話しのネタにされるわ」

「どんな?」

「あいつ、俺たちの税金で遊んでたぞって」

「そんな奴おらんだろ」

「いいえ。嫌われ者っていうのはそう言うものなのよ。楽しんでるところを見せたらからかわれて、優れている所を見せるとやっかみを買って、たまに失敗すると無能と笑われる。私はあいつらの共通の敵で、サンドバッグで、笑いと会話のネタだから。何をしても非難されるの」

「だから逃げてるのか?」

「逃げる? ちょっと違うわね。これでも戦っているのよ」

「戦ってる……?」

「そう。私は自分の父の仕事に誇りをもっている。誰に何を言われても、お父さんは国民みんなの為に、自分も家族も犠牲にして戦っているって知っているから。だから私も、誰に何を言われても自分のプライドだけは手放さない。今のもそう。あいつらに話のネタを渡して、みすみす楽しませたくないから隠れたの」

「なるほどね」

 強い人だと素直に思った。

 俺にはずっと見続けた悪夢がある。それは泣く少年の背中を、何もせず見つめるだけの辛い夢。彼女の話を聞いて、俺は何となくその夢の事を思い出す。俺もこの人の様に強かったらなんて、少し思った。

 駐輪場に向かっていた人たちはもう見えなくなって、辺りはまた静かになった。ボールで遊んでいたのはほんの数分だと思っていたのに、気づけばもう本格的な夜の景色になっている。立ち上がって真っすぐ視線を向けると、向かいの校舎の窓に月が映っているのが見えた。帰るかと俺は呟いて校舎に背を向け、相談室に荷物を取りに行こうと階段を上った時、背中にポンという軽い衝撃を受けた。振り返ると、床にボールが弾んでいて、東雲がこっちを見ていた。窓に反射していた月明かりが彼女の右頬をぼやっと照らし、笑うなと怒っていた時よりも、より鮮明に紅潮した頬が目に飛び込んできた。

「……その、ありがと」

「なにが?」

「……朝、助けてくれたでしょ」

「あぁ、っはは。次からは気をつけろよな。ホント危ねぇから」

「ええ。あと……バレー、誘ってくれて」

「それは俺がただ遊びたかったからで……つか、こっちこそ付き合ってくれてありがとな。楽しかったよ」

「えぇ。……あと」

 何か言い淀んでいる様子だった。俺は少し緊張しながら次の言葉を待ったが、彼女は少し考えるように視線を動かしてから、唇を固く結び、無言で俺の元まで階段を上ってきた。

「東雲?」

 軽く俯いて、視線を合わそうとしてくれない。顔を覗き込もうと少しかがんだ時、彼女の右足が俺の左のスネをこつんと蹴りぬいた。

「いてっ」

 驚いて倒れそうになるが、彼女によって支えられて、ギリギリバランスを保つ。

「なにすんだよ!」

「二回目に笑った時蹴り損ねたから。これはその分」

「……お前」

「階段だから手加減してあげたわ。感謝なさい」

 『こつん』でもスネは痛いんですよ。

 と、言ってやりたかったが、彼女の次の言葉でその気は失せた。


「また明日ね」


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