チョコレート夜叉

水原麻以

第1話

小説を書くという職業の人であれば、一度は経験したことがあるチョコレート争奪戦。かような強弁パワーワードがまかり通る多様性が世界線に含まれていた。

数えるほどしかない奇天烈な日常の住民であり、その社会の持続可能性は短いと千代子は信じていた。プロであろうとなかろうと小説書きはチョコレートを最低ひとつは贈与する義務がある。それが倫理であった。なぜと聞かれても殺人行為の禁忌を議論するごとく難しい。煙にたなびく動機を問う人がいないように人はチョコを融通する。強いて理由をあげるとすれば憲法に国民の義務であると定めてある。

「あ~小説を書かなきゃいいのよね」

千代子は筆を投げ捨てた。作家を辞めることは簡単である。だが簡単そうで現実的でない。作品の多寡に応じてベーシックインカムが上乗せされるからだ。千代子の世界に生活保護はない。ただし最低限度の衣食住生が保障されるものの、文化的な生活は自助努力だ。だから人はクリエイティブになる。ただ国は才能の個人差を認めていた。絵画や詩歌創作に限らず創造性を発揮できる分野を幅広くした。大工が釘一本打つこともレシピを考案する行為も審議対象にはなる。だが小説のレートは飛びぬけて高いのだ。もちろん作品の質に応じてボーナスはある。が、執筆活動自体に参加賞的なポイントが付与される。これが大きい。作品を納付すると最低限度の文化的生活扶助が貰える。

ただそれではコピペの羅列が横行するため制約が課された。

年に一度の異性から愛情表現の現物支給を受けねばならない。すなわちバレンタインチョコの贈与だ。もちろん談合や金銭による売買は禁止。純然たる恋愛感情の具体化であること。本命か義理かは不問。ゲットしたるチョコレートを所定の納チョコ局に納めること。残留思念検知器の検査を経て文化的生活扶助の支給額が決定する。

「別に立って半畳寝て一畳。武士は食わねど高楊枝だもん」

千代子は無造作に脱ぎ捨てたスカートの下から袋めんを拾い上げた。

バレンタインにラーメンを頬張るとはチョコを諦めるという決意の表れか。

しかし千代子だって女だ。本当は悔しい。

『だから、今度ばかりはお前を慰めてやろう』

甘い男の声とチョコが降ってきた。

「あ…ありがとう」

千代子は、そう言ってチョコを頬張った。

『こうでもしなければお前は終わりだ』

いつの間にかウトウトしてそういう夢を見た。

「はっ、これは私にチョコをゲットせよと神様が?」

千代子はボサ髪を振り乱した。いやいやいやいや。キョロ充すら見向きもしない万年干物女。根絶やしの神様だって避けて通る。こんなデブスを誰が抱くものか。

するとまた聞こえてくる。

『こういう人いるよと言いたくなる』

「えっ?」

千代子は心にも存在しない男の言葉に耳を疑った。

「ええー?なんでだよお前がバレンタインチョコをもらえるとマジ?つかこの人、性格、変わっちゃったよ」

ドバっと白煙があがり心の声が実体化した。眼前にいるのはNCT127のセンターかと思うほどの韓流イケメン。翼の生えた男が挑発する。

「ありゃま」

そういうと千代子はじっくり眺めていた。

「あっ、いつかそんな日が来るってこと」

イケメンの癖にいけずな神様だ。

「まだ半日以上あるじゃん、今からだって」

「16時16分16秒」

神はさらに現実をつきつけた。千代子は寝すぎた。


「ぁぁぁぁぁぁぁ!!!」

千代子は大急ぎで外へ飛び出した。


一発屋のペンネーム『チャカチャカ娘』こと茶川華子ちゃがわかこ。執筆速度も投稿頻度も抜群だ。千代子が属するチョコレタリアート社会(略してCL)から百年後。華子はストーカーに恐怖していた。

主人公は一発で一発くらう一発屋。恐怖は、チャカチャカ娘。「バレンタインは一年に一度。鬼って呼ばれても、チョコが欲しい。しかしもらえない。そんな悲しい事情から、俺はタイムトラベルしてチャカチャカ娘に告白するのだ!」

まさに外道、チョコの夜叉である。

恐怖するチャカチャカ娘。まともな恋愛関係など望む余地は乏しい。

でもこれはタイムトラベル。旅の恥は搔き捨てだ。

甘い言葉、甘い表情、甘い誘惑、甘い双眸、甘い視線、甘い囁き、甘い仕草、甘い罠をしかけた。

しかし華子にとって登場人物は一回で一発。

チャンスは毎年単発。鬼とは言われても、鬼気(きき)のする甘い笑顔で鬼になりたくないと思い、彼はチョコレートを求め、ラーメンを食べ、鬼気を緩和し距離を詰める。

「そんな脱チョコ対策があったのか…」

納チョコに悩む非モテ小説家はチョコレート夜叉の噂に耳を疑った。

因果律を破るなど空想の産物。どうやって形而下に落着させたのか。

思い悩む間もなく無人のタイムマシンが降ってわいた。忽然と街の各所にだ。


夜叉が大量発生した。

「これはもう戦争だ、甘い言葉とチョコレートが食べたい」

老若男女問わず過去へ殺到した。


チョコレート争奪戦、チャカチャカ娘…。

『それはそれで面白い。』という一言を送るべきだろう。千代子は神にそう述べた。

『作り話だと思いたきゃ生涯チョコに追われてろ。だが俺は終わりにしたいんだ』

「韓国では陳腐なループネタが流行ってるの?」

だああ、とイケメンは頭を掻きむしった。話が通じてない。そして「もう韓流でいいよ」と開き直った。そこで千代子は彼を韓流と命名した。

「ねぇ、韓流。タイムマシンであたしを超が百個つくぐらい未来へ連れてって」

「はぁ?」

「凡百の作家なら円環の修繕に腐心する。けど、あたしは千代子よ。とびぬけてるの」

「どういうことだよ?」

訝しむ韓流。

「あんた、バカ?」

つまり千代子が言うには納チョコ制度が滅びた世界に駆け落ちしようというのだ。いうなれば彼女と韓流は事実上の勝者であり新世界のイブとアダムになれる。

だが韓流はかぶりをふった。

「その作戦は俺も最初に考えた。思いつく奴多すぎて研究成果が共有されてる。最新の理論によると誰かが優勝するまで争奪戦は終わらない」

つまり誰かがバレンタイン終了のフラグを絶対的な権力を用いて立てねばならない。

「だからあんたはバカだというの」

千代子は未来へ逃避するだけじゃなく、争奪戦の敗者もしくは落伍者の王国を建てたいという。

「チョコを諦めた同志を引き連れて時間移民か…なるほどなあ」

韓流は少し考えて虚空に数式を綴り、眉間を揉んだ。「いいや、やっぱりだめだ」

チョコレートを諦めるという意思は、誰かからチョコをもらったことで、

が任務が消滅したという心情にもとづく。

つまり覇者であるからこそ諦めているのだろう。

『チョコレート争奪戦を諦めている』という一言だけで放棄する人物は少ないだろう。

そして、その意欲こそが歴史を循環する。


そう。タイムトラベルするために当該人物は一度チョコを食べたのだ。そんな争奪戦のラストシーンに立つのであれば、チョコレートを諦めるしかないだろう。


彼女はチョコレートを諦める→チョコレート争奪戦を諦める→最終覇者と成りてラストシーンに立つ。

自動的に他の参加者も諦める。チョコレート争奪戦争が終わる。

そんな物語であろう。

しかし、それでは終わらせる前に目標が消滅する。

チョコレート争奪戦を諦めず続けるにはどうすればいいか。

は、チョコレート争奪戦を諦める覚悟を決めるのだろうか。

そして、チョコ争奪戦を諦めかけるのであろうか。

天才ハッカー少女馬連千代子は考えた。「そうよ!チョコを贈る前にチョコを贈ればいいのよ。そうやって他人の彼氏を奪う!そのためにはタイムマシンが必要」

「そういうことだったのか!」

韓流はタイムマシーン発明の瞬間に立ち会っている。

というか、歴史のループを断ち切ろうとした自分こそが張本人だったのだ。

「とほほって奴かぁ?」

彼は将来のイブとなるべき女をみやった。「つうか、いつまで三段腹さらしてんだよ。イブつうかなぁ、未来の母になるんならもっとこぉ品格というか」

「スカートぐらい穿けってんでしょ。これフリーサイズなんだけどね。ゴムがキレてんの」

「だああ」

こんなガサツな女を嫁にするのか。眩暈をこらえつつ韓流と

千代子はバレンタイン専用タイムマシンの理論を考え始めた。


千代子、ついにタイムマシンの製作に着手す。すると、彼女の頭の中に、「そもそも、渡す直前にチョコレートの言及を封じれば甘い言葉の入ったチョコレートを渡される」という理論を思い浮かべる。

彼女は「争奪戦の真実を知った参加者が事実上敗退する。そういう状況が却ってバレンタインを刺激する」と思い、改めて、参戦中の人物達にもチョコレートの甘い言葉を贈ってもらう。

こうして、有無を言わさず全ての小説家が争奪戦争に参加するためにこのようなチョコレートハーレムを繰り広げるのであろう。


従って戦争の趨勢は不透明になった。

「…チョコレート争奪戦を諦める人はいるのだろうか。」

千代子はまったく予想もしていなかった展開に驚愕する。


「別にチョコ喰わなくても筆折っても生きていけるよね?」


厭戦気分が蔓延してしまった。辞退者が増える一方で千代子は誰もチョコレート争奪戦争に参加しないという考えに固執していた愚に気づく。

もし、自分すらも脱落したらどうなるのだろうか。

「……これから先、チョコレート争奪戦争は起こるのか……」

千代子は、現実から目を背けるように、ゆっくりと考えた。

争いの構造は矛盾を抱えている。

それは「最終決着するまえに次々と勝利者が離脱しハーレムが縮小する」という流れになる。

「その先に何がある?」

千代子は恐る恐る尋ねる。

「……私がいけないの?」

脳裏に是非のボタンが浮かんだ。

千代子は恐る恐る「はい」を選ぶ。

彼女の表情はとことん悩んだ。

「……私に何かできることが無いのか?」

「……チョコレートハーレムを離れたのは、私じゃなくて他でもないチョコレートハーレムの方じゃないか。それにチョコレートハーレムと言う言葉も私を侮辱している」

「でも、私が嫌だって言ったときだって、このチョコレートハーレムはあんな風だったじゃないか……」

千代子は「はい」の後、「はい」をしなかった。もし、嫌って言われたら、少なくとも次の自分も「はい」では無い。

「私はお前の気持ちを代弁しただけだから」

それは自分が原因でチョコレート争奪戦争のハーレムが離れて自分だけ違う自分になってしまわないかと千代子は心配しているようだった。

「じゃあ、これから先は、私が責任を持ってやる」

「これから先……本当にいいのか……?」

千代子の不安は募るばかりで、度合いが尋常なものではな千代子は「はい」を選び、それでも不安は消えないようであった。

「私はもう決めたんだ。チョコレートハーレムを離れても、チョコレート争奪戦争は続けられる」

千代子は「はい」を選ぶ。

そして、「チョコレートハーレムを離れても、チョコレート争奪戦争に貢献させてもらえないかもしれない。私の立場じゃどうにもならないから……」

「もう……自分で考えて、決めたんだろ」

韓流がいら立つ。

やっと、千代子は「はい」の後に「はい」を選ぶのが不安だと気が付いた。

「自分の立場が危ういから、俺は、そういうことにも気が付かなかったんだ……」

「だから、そういうことも踏まえて、もうチョコレートハーレムの仲間は誰もいないだろうな……」

千代子は不安の度合いが尋常ではないせいか不安が深まっているのだろうと考える。

そうすると、千代子は「はい」の後に「はい」を選ぶしかないのかもしれないと思った。

「ごめん、千代子……」

チョコレートに反旗を翻してはみたが、ずぶずぶ沼にはまった。チョコレート獲りがチョコレートとなり白旗すらあげられなくなったのだ。

来年も再来年もはたまた最晩年もバレンタインは千代子の無念で茶色く染まるのだろう。あなおそろしやチョコレート夜叉

(了)

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

チョコレート夜叉 水原麻以 @maimizuhara

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ