私ちゃんと読者のオレと友人たち

葎屋敷

私ちゃんと読者のオレと友人たち



 朝読書の時間、オレはいつも机に突っ伏していた。



「こら! 今は朝読書の時間でしょ!」


 クラスの担任はそう言っていつも怒る。オレはこの担任が好きじゃなかった。


「読書なんてつまんねーよー!」

「いけません! みんなはちゃんと読んでるでしょ?」


 オレは担任の注意する声を弾くみたいに、大きな声をあげた。


「オレ、読書嫌いなんだよ!」


 オレの言葉に顔を歪めた担任がまた口を開こうとしたが、そのときを狙ったかのように朝読書の時間の終了を知らせるチャイムが鳴った。放送用スピーカーから聞こえる鐘の音に、担任は顔を皺だらけにした。


「……明日はちゃんと本を用意してくるのよ」

「ほーい」



 オレが形だけの返事をすると、友人たちが煽るようにクスクスと笑う。担任はオレたちと対する気力がなくなったのか、こちらを睨むだけで教卓に戻った。




 オレが通う小学校では、朝のホームルームの時間の前に読書をする時間を設けている。


 

 くだらないと思った。オレは読書を強制してくる大人が大嫌いだった。





 それは昼休みのことだった。給食当番の仕事を終わらせ、教室に帰ろうと廊下を歩いていたオレに、一人の女子が背後から声をかけてきた。


「カンタロー君」


 その女子はクラスメイトだった。通称「私ちゃん」。そのあだ名の由来は一人称が「私」だからだ。クラスの女子は皆「うち」と自分のことを呼ぶので、私ちゃんは少しだけ周りより大人びて見えていた。


「なんだよ」

「カンタロー君。読書嫌いなの? 朝、そう言ってたでしょ?」


 どうやら彼女はオレが朝読書のときに言ったことを聞いていたらしい。


「悪いかよ」

「悪くはないよ。ただ、ちょうどいいかなって」

「はあ? わけわかんねぇ」


 オレは私ちゃんの言っていることがわからなくて、仲間たちのいる教室に戻ろうとした。


「待って」


 しかしオレは私ちゃんに手を掴まれ、オレは教室に戻れなかった。


「は、はなせよ!」


 女子と手を繋いでいるこの状況が恥ずかしくて、オレはぶんぶんと腕を上下に振った。なのに私ちゃんの手は離れなかった。意外と力が強いらしい。


「ついて来て」


 私ちゃんはそう言うと、ずんずんとどこかへ向かって行く。手を繋がれているオレはそれに引っ張られるようにして歩いた。





 抵抗するオレの言葉なんて無視して、私ちゃんはオレを体育館の近くにある花壇に連れて行った。


「ここ、人来ないし、静かでいいよ」


 そう言って私ちゃんは花壇を背もたれにして地面に座る。そして自分の隣をぽんぽんと叩いた。


「座って」

「な、なんでだよ」

「いいからいいから」


 私ちゃんはオレの手を引っ張り、無理やりオレを隣に座らせる。そしてポケットから何重にも折りたたまれた紙を出した。広げると三枚の紙になっていることがわかる。


「これ、私書いたの。小説」

「……は? 書いた?」

「カンタロー君、読書嫌いなんでしょ? もしそんなカンタロー君が面白いって言ったら、本当に面白いの小説が書けたってことになるかなって。読んでみてくれる?」


 差し出されたその紙を読む気は到底起きなかった。


 なんで小説なんて読まなきゃいけないんだ。そう、思うのに……。私ちゃんが覗くように見つめてくるから、オレはその視線から逃げるために仕方なく小説の文字を追った。


 一枚、二枚、三枚。オレは私ちゃんが書いたという小説に目を通した。


「どう?」


 最後のページの下まで読み終えたオレに、私ちゃんが感想を求めてくる。オレは紙に視線を落としたまま答える。


「……つまんなかった」


 正直な感想だった。私ちゃんの小説は淡々としていて、お世辞にも面白いとは言えなかった。

 オレは視線を私ちゃんの方へ戻せなかった。私ちゃんは「そっか」と一言だけ呟いた。その声は少しだけ震えていて、オレはますます私ちゃんから顔を背けた。





 その日から、私ちゃんは昼休みにオレを教室から連れ出すようになった。そして彼女は花壇の傍で、新しく持ってきた小説を読むように頼んでくる。その度にオレは断ろうと思うのに、握られた手の熱が離れそうになった途端に惜しくなって、結局彼女の読んでは感想を言っていた。


「おれ、こいついらないと思う」

「ここでこうなんの、よくわかんない」

「ここの展開面白くない」


 オレが感想を言うと、私ちゃんは翌日には新しい小説を持ってくる。それを繰り返すうちに、私ちゃんの小説は少しずつ面白くなっていった。


「……」

「……どう?」

「……………ここの、竜を助けるところは好き」


 初めてオレが褒めたとき、私ちゃんがとろけるみたいに笑ったことを、多分オレは一生忘れない。




 ある日の放課後、友人の一人が質問をしてきた。



「カンタロー、なんで最近昼休みにいねぇの?」

「それは……」


 オレは彼らに私ちゃんとの関係を話していなかった。女子とこっそり二人で過ごしていることを知られるのが恥ずかしかったからだ。


「カンタロー、最近私ちゃんといるだろ」

「なんだよ。あいつ、本好きだぞ! 本嫌いなカンタローからしたら敵だろ?」

「て、敵ではねえよ!」


 友人たちの言うことに、思わずオレは強い反発を見せた。彼らは声をいきなり荒げたオレに驚いていた。


「あいつの小説下手だけど、でもうまくはなってるし。それに、えと」

「え、お前小説読んでんの?」

「なんでだよ? お前言ってただろ? 大人が本読めって言うの、いやだって」


 その通りだ。オレは大人に読書を強制されるのが嫌いだった。本を読まないと馬鹿になるぞっていう、親や担任の言葉が信用できなかった。


 それなのに、今は私ちゃんの小説を読んでいる。それがどうしてか、なんて――、


「オレだってわかんねぇよお!」


 オレは半ば泣きそうになりながら叫び、その場から走り去った。


「カンタロー!?」


 友達の声が聞こえたけど、無視して逃げた。





 呼吸が激しくなって、走るのに限界を感じたのは家の近くにある公園の前だった。休憩がしたくて中に入れば、公園には誰もいない。オレはどこか寂しい雰囲気を感じながら、公園のベンチに座ろうとした。


「カンタロー君」


 そのとき、オレの名前が呼ばれた。バッと振り返ると、そこには私ちゃんがいた。


「ここでなにしてるの?」


 私ちゃんは首を傾げ、オレに質問をしてくる。オレは私ちゃんの話をきっかけに友達から逃げたことを思い出し、目頭が熱くなった。


「お、お前のせいだ!」

「カンタロー君?」

「おま、おまえの、おまえのっ」

「カンタロー君、泣かないで?」

「ないてないっ」


 目が熱くて仕方なくて、オレは下を向いた。視界がぼやける中、私ちゃんがオレの頭を撫でていた。





 オレが泣きながら友人たちとのことを話し終えるまで、私ちゃんはいつものようにオレの手をずっと握っていた。


「そっか。友達と喧嘩しちゃったか」

「別に喧嘩じゃない」

「カンタロー君、私のために頑張ってくれたもんね。読書嫌いなのに」

「……そうだけど、でも、お前の作った話は、そんなに嫌いじゃない」


 私ちゃんがオレの手を握る力を強める。オレは私ちゃんの方を向かないまま、ぼそっと本音を漏らした。


「本当?」

「オレは、親とか先生が頭よくなるために読めっていうのが好きじゃないんだ。でも、今は読むのも嫌いじゃなくなった、かもしんない」


 オレがそう言うと、私ちゃんはオレの顔を覗き込んだ。


「頭よくなるのだけが読書じゃないよ」

「……」

「気になる本を探したり、本の匂いに安心したり、感想を誰かと言い合ったり。そういう楽しい全部で読書だよ。でもそっか。カンタロー君、読書嫌いじゃなくなったんだ」


 私ちゃんが目を細めて笑う。オレは一言だけぼそっと言葉を返した。


「うん。多分好きだ」





 翌日の昼休み。オレは友人たちに頼みごとをしようとしていた。


「なあ、頼み事あんだけど」

「いやそれよりさ、お前昨日なんでべそかいてたんだよ」

「ダッセー」

「うるせえな! いいから黙って聞け!」


 オレが友人たちのいじりに耐えられずに叫ぶと、今度はブーイングが始まった。


「お前結局私ちゃんとどういう関係なんだよー?」

「付き合ってんの?」

「夫婦か?」

「ち、ちげえし!」

「隠すなって。カンタローと私ちゃん、ラブラブなんだろ?」


 オレがニヤニヤしている友人たちに反論しようとしたそのとき、オレの背後からスッ、と私ちゃんが現れた。


「カンタロー君と私がどうしたの?」

「うわっ。いつの間に!?」

「ねえ、なんの話してたの?」


 驚くオレを気にすることなく私ちゃんが質問を重ねると、友人の一人が口を開こうとする。


「お前らが――」

「こいつらが小説読んでくれるって話!」


 オレはとっさにその口を塞ぎ、言葉を被せた。


「はあ? なんでそんなこと」

「オレだけじゃ感想の言い合いできねぇし、アドバイスも足んねぇだろ!」

「いや、知んねぇよ、そんなこと! つーか、頼み事ってこれかよ!」

「そうだよ! いいから手伝え! てめぇがこの前天井に穴開けたこと先生にチクるぞ!」


 繰り広げられる俺たちの攻防を見た私ちゃんは首を傾げたあと、ポケットから折りたたまれた小説を取り出した。


「よくわかんないけど、読んでくれるなら助かる」


 私ちゃんは淡々と自分の小説を見せようとする。しかし――、


「あ、でも一番最初はカンタロー君がいい」


 彼女は友人たちには小説を渡さず、先にオレに渡してきた。


「え、う、わかった……」


 私ちゃんに一番と言われたことがなんだか嬉しくて、顔に少し熱が集まる。それをはやし立てる声が後ろから聞こえたので、オレは友人の一人に回し蹴りをかまし、その後喧嘩になった。




 この一件以来、友人たちも私ちゃんの小説を読むようになった。渋々だった彼らも次第に私ちゃんと打ち解けて、感想やアイデアを言い合うようになった。すると中には自分も小説を書く奴が現れたもんだから、私ちゃんも小説仲間ができて楽しそうだった。

 けどオレはそれがなんとなく気に入らなくて、私ちゃんの隣だけは誰にも譲らなかった。そんなオレを見て、私ちゃんはオレの手を握りながら笑っていた。

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