心理学・哲学的観点におけるラブコメの法則

土呂

第1話 恋愛とは哲学だ

 俺は高3の大学受験で私立青春大学の心理学部に合格した。長かった受験勉強も終わり、大学生活が始まるわけだが、俺は何より恋愛がしたい。心理学部を専攻したのは、臨床心理士りんしょうしんりしに将来なることも視野にいれてるわけだが、それ以上に女性心理について、より詳しく知りたいという想いがあった。


 俺、三国圭一みくにけいいちは容姿や運動神経はよく、女性にはもてた。ただ、俺自身、女性と会話すると、緊張で赤面し、まともに話すことが出来なかったのだ。今日の天気とかテレビの話とかの知識があっても頭の中で情報を整理できず、気が萎えてしまうのだ。「圭一君、土日って何してるの?」とか聞かれても、いつも「特に何もしてないよ、」しか語句が浮かばず、話が弾まない。そんな自分を変えたくて、俺は青春大学を選んだ。そこは元々女子高だった大学だが、去年から男女共学になったばかりで女子の割合が圧倒的に高い。「女子が多いなら恋人作れる確率が高いだろ」という想いもある。そして、そんな俺が今関心を向けているのが、引き寄せの法則だ。心理学というより自己啓発の分類に入るだろう。


 一人暮らしをすることになった俺は片道10分の電車に乗り、電車を降りたら徒歩20分の道を歩く。桜舞う並木道、春の訪れを感じる中、俺の視界に移るものは女子だ。


「ようやく大学生になった感じがするな。絶対彼女作ってやるからな!」


 高校時代はサッカーばかり打ち込んでいたため、色恋沙汰いろこいざたはなかった。


 クラスに入ると、女子は学校が始まってまだ日が浅いというのに、すでにグループができていて、席は自由なのだが、どの席に座っても、いずれかの女子のグループ付近の席に座ることになり、非常に気まずい。授業中は女子大ならではの香りというか、清楚な雰囲気が生まれる。とてもじゃないが、緊張して授業の内容が頭に入らない。


 授業が終わり、食堂へと向かいオムライスの食券を買い、ぼっち席に座る。そして俺は俺の彼女を作りたいという願望を現実のものにすべく、自己啓発の一つの法則、引き寄せの法則について、思考を巡らせる。思考は現実化する。


 女子に話しかけるのは気まずい、彼女なんて出来ないというイメージを捨て去り、最高の恋人と付き合う自分をイメージし、彼女とラブラブにテーブルで「あーん」とイチャイチャする自分をぼっち席に座りながら、宇宙に発信するように懇願こんがんし、昂揚感こうようかんを得る。引き寄せの法則は受け身で待ってるだけでは実現しない。イメージをプロセスに変え、人生の質を上げる。例えば、自分の気のある女の子に「おはよう」とか「こんにちは」とか毎日挨拶するだけでも良い。それだけで「私にいつも挨拶してくれる人だ―」という認識を徐々に埋め込むのだ。イメージして行動に移す。行動を移さない人間に好機は訪れない。


 ただ、恋愛に置ける引き寄せの法則だけでなく、ビジネスに置ける哲学的法則でも言われていることだが、結果は基本的にすぐにはでない。そりゃ、当たって砕けろ的なノリで「付き合ってください」と言って、恋人関係になれる奴もいるだろう。ただ、それは稀なケースであって、本質的には結果には選択肢を考え直すために必要な時間を神様が与えてくれるという認識がある。根本的に将来、その恋人と長く付き合うには、物理的な問題もあるが、それ以上に精神的なプロセスを踏むことが大事になるだろう。一時的な青春を謳歌おうかするか、一生をかけて愛する人を作るか。俺はどちらを望んでいるかと言えば、後者になる。青春ラブコメとは単的にいえば、恋愛におけるプロセスをニヤニヤしながら楽しむところにあるのかもしれない。なら、俺の青春は?俺は青春がしたい。その「青春」というワードは後者の考えというより前者の要素が重点的に重視されがちだが、俺は前者も大事にしつつ、末永く付き合っていきたい。「ぼっち席で思考は整理した、あとは試行しよう」あたりを見渡す。


 食堂ではグループで固まっているものもいるが、必ず1人はグループに属していない子もいるはずだ。「おっ」茶髪にさらっとした髪に綺麗な顔立ちの子が一人。よし、あの子に話してみるか。勇気を振り絞れ俺!革命は勇気ある1歩から始まるんだ。


「あ、あの」


「は、はい、なんでしょう?」


 おどおどした様子でこちらを見た女子の容姿を見て、近くで見ると、より可愛くて俺はおどおどした素振りをするが、深呼吸して一旦、気持ちを落ち着かせる。「あの、となり座ってもいいですか?ちょっと話相手が欲しくて」と緊張していう俺に彼女は「いいですよ」と言って席を横にずらす。


 さて、ここからが本番だ。何も1日で彼女と親密な仲になる必要はない。今は平静を装って、「この人とまた話したいなー」という意識を顕在意識ではなく、潜在意識に埋め込むのだ。


「こんにちは、俺、三国圭一といいます。あなたの名前を聞いてもよろしいですか?」


「は、はい、堀本加奈ほりもとかなといいます」


 なんと謙虚な子だろう。ここからさらに、話を広げられたいいが、今までの俺なら女性と話すことすらままならなかったが、いつか女性と話せる日が来た時のために、いろんなアーティストの曲を聴いていたのだ。共通の音楽の趣味を持っているというのは非常に共感を持てる。


ただ、、、


「すみません、私、あまり音楽聞かなくて」と彼女は返す。


 まあ、人生にはこういうこともある。引き寄せの法則は必ずしもいい結果だけを引き寄せるものではない。当然、いいイメージではなく、悪いイメージもあらゆる形で現実化してしまうのだ。音楽の趣味は話題にはできなかったが、逆に言えば、彼女は「音楽の趣味を話題にするのが苦手」という事実も分かったのだ。ここで逆転の発想だ。


 興味がないなら興味を持ちたくなるような話題にすればいいのだ。「今、俺このアーティストのこの曲よく聞くんだけど、聞いてみる?」と加奈さんに提供し、彼女はうんとうなずく。


 サビが終わるところで、彼女は「これ、いい曲ですね」と感心を持ってくれたようだ。飯を終えて、加奈さんは「また、話そうね」と丁寧語からため口になり、変化を感じた。理論は分かっていても、結局は最初の1歩を踏み出さなければ、引き寄せの法則は働かない。イメージをするのは大切だ。毎日、「どうせ、俺、彼女なんてできないだろうな」と思いながら、登校していれば、それはおのずと表情にも現れている。これを哲学の分野で言えば、宇宙の波動として表現される。


 努力は必ず結果を生みだすという意見には賛否両道あるが、根本的に見れば、それは恋愛でも当てはまり、多面的に見れば、その理論は哲学的に間違っていない。俺が話しかけた女性が加奈さんの場合はたまたまうまくいったが、他の女子ではうまくいかないかもしれない。それは結果は出ないというかもしれないが、よく考えてほしい。例えば、うまくいかなかった女性をAさんとしよう。加奈さんとはこのきっかけで仲良くなれたが、Aさんとはうまくいかなかった。ほら、うまくいかないという結果がちゃんと出ただろう。つまり、先ほども述べたが、引き寄せの法則は必ずしもよい結果を引き寄せるわけではないということだ。さて、この展開から俺と加奈さんはお付き合いする流れになるのだが、その過程には当然いろんな事象があるだろう。それらも含めて恋愛はラブコメと呼べるのだ。

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