先生と私

悠井すみれ

第1話

 ミュージアムショップでお会計をしている時に、もう嫌な予感はしていた。絵葉書コーナーの辺りにたむろして、私のほうをみて何やら囁き合っている女の子三人組。派手な装いではないけど、フェミニンな服装や髪型、アクセサリーはこだわりがありそうな、文庫本を手にカフェで語らうのが似合いそうな子たち。いかにも花月シリーズが好きそうな──っていうか、ハーフアップの髪型の子が持ってるトートバッグは、三巻で花音かのんが持ってるのと似てるってファンの間で話題になったやつなような。っていうか、そもそもこの展示会には作中にも登場した画家の作品も出展されてて、いわば「聖地巡礼」だってSNSで盛り上がっていたような。


 ちょっとドキドキしながら、ずしりと重い目録その他の袋を受け取って、ショップの出口に向かう私に、女の子たちが近づいてきた。どの子も、思いつめたような必死の表情で。


「あの!」

「は、はい……何でしょうか?」


 ああ、やっぱり。諦めながら、私は営業用のスマイルを纏って彼女たちに向き直った。


「もしかして、華宮はなみやかおる先生ですか……!?」


 違います。そう言えたらどんなにか良かっただろう。でも、そんなことはできない。


「え、ええ……そうですけど……」

「やっぱり! 著者近影そのままだから……もしかしてって、言ってたんですけど!」

「あの、私たち先生のファンなんです」

「良かったらサインをいただけませんか……!?」


 彼女たちはそれぞれ鞄を探ると、文庫や単行本を取り出した。ああ、綺麗にカバーをかけて大事に読んでくれているそれらの本は、華宮馨の既刊のどれかなんだろう。SNSやレビューサイトのコメントではない、生の読者に会うことができて、そりゃあ私だって胸が熱くなる。なるのは、なるんだけど。


「え、ええ……もちろん、良いですよ」


 幸か不幸か、仕事柄、筆記具は持ち歩いている。緊張に掌に汗が滲むのを感じながら、突き刺さるような女の子たちの視線に息苦しくなりながら、私はどうにかサインを終えた。こんなこともあろうかと、日頃から練習していた「華宮馨」のサインを。


「ありがとうございます!」

「一生の宝物にしますね!」

「こちらこそ、ありがとうございます。……えっと、これからもよろしくおねがいします、ね?」


 ぎこちなく微笑むと、女の子たちは声を揃えてはい! と快諾してくれた。ああ、読者って本当にいるんだなあ。「華宮馨」のファンも。売上とかの数字だけじゃなくて、実感として知ることができるのは冥利に尽きる幸せだ。


「新刊も楽しみにしてます!」

「あの、頑張ってください」

「ありがとう」


 頬を真っ赤にして激励してくれる彼女たちに会釈して、私は今度こそミュージアムショップを後にした。背後で自動ドアが閉まる気配がした瞬間──彼女たちはとても節度あるファンで、私を追いかけようという発想はないらしい──、大きく息を吐く。ずしりとした図録の重みが、急に腕に食い込むようだった。


「あー……どうにか、切り抜けた……!」


 話したのは一瞬だけで当たり障りのないことだし、サインも不審がられてなかったよね? 私、「華宮馨」の評判を下げてないよね?


に連絡しないと……サインしちゃいました、って……」


 スマホを操作して、慣れた宛先にメッセージを送る。ついでに、恨み言を添えるのも忘れない。


 ──先生がショップ限定グッズも欲しいとか言うからですよ。図録だけなら通販もあったのに! もともと読者の間で話題のアーティストだったんだから、私が行ったらこういうこともありますって!


 返事は待たない。直接言ってやった方が早いだろうから。どのみち、図録その他のグッズを届けるお使いだったのだ。、華宮馨先生のもとへ。




 華宮馨は、我が社が発掘した小説家だ。デビュー作の「花月シリーズ」はコミカライズや実写化もされて多くの人を原作小説に、ひいては書店に回帰させてくれた。他社様から出版された別シリーズも好評で、比較的新人ながら人気作家のひとり、と評しても良いだろう。

 ジャンルは、ミステリーやホラー、ファンタジー要素があるものまで幅広く、共通するのは少女たちの繊細な心の機微を描いたどこか耽美な雰囲気だ。雑誌やテレビのインタビューに応じることこそ少ないけれど、公開している著者近影はであることも手伝って、花月シリーズのヒロインのひとり、月乃つきのに喩えられたりもしている。恥ずかしいことこの上ない。


『貴方、月乃みたいな雰囲気じゃないですか? 僕なんかが顔出しするより、貴方が《華宮馨》になってくれたら良いな。それならお受けします』


 華宮馨こと本名九条くじょうけい氏に出版の打診に伺った時のことを思い出す。といっても先生の説得に当たったのは先輩社員で、私は荷物持ちのような立場でしかなかったけど。


『御社のレーベルって著者近影は写真ですよね。こんなおっさんがあんな話を書いてるなんて、読者はがっかりでしょう。僕の本業の関係者に見られても嫌だし──影武者をOKしてくれるなら、イメージ戦略的にも良いんじゃないですかね?』


 本名からしてペンネームみたいな格好良さで、名の知れた企業に勤める一流ビジネスマンで、しかも俳優顔負けの容姿の持ち主の癖に。ついでに、初めて書いた小説で審査員の著名な先生方を驚かせた癖に、九条氏は受賞の段になってそんな舐めたことを言い出したのだ。


成瀬なるせさん……先生もこう仰ってるし……どう?』


 そして、先輩は受賞辞退という大事故のプレッシャーに混乱していたのだろうと、今なら思う。私も同じだったけど。冷静に考えれば説得すべきは社内ルールのほうで、作家の影武者なんていう、バレたら炎上必至の提案なんて受けるべきじゃなかった。でも──当時新人だった私に、そこまでの余裕があるはずもない。


『そ、それで良いなら……よ、喜んで……?』

『良かった! 僕も評価していただけたのは嬉しかったんで──これから、よろしくお願いします』


 九条氏の申し出は、勝手な我が儘としか呼べないものだったんだろう。でも、私が頷いた時の笑顔があまりに爽やかで──不覚にも見蕩れてしまったのは、否定できない事実だった。




 そして私は、美術展の図録を抱えて電車に揺られている。資料の配達と打ち合わせを兼ねて、先生の自宅である高級タワーマンションに向かっているのだ。作風に似合わない実に機能的なインテリアが揃っているし、時に打ち合わせを中断する仕事の電話での受け答えを見ていると「できる」人なのが伝わってくる。そんな人がどうして耽美な少女ものを書けるのか、天は二物を与えたのか人は見かけによらないというか。


「作品は素敵だから質が悪いよね……」


 誰にも聞こえないように──万が一にも華宮馨の評判を落とさないように、ひとりごちる。ごくたまにではあるけど、インタビューのためにメディアの前に出させられたり、それに備えて口裏を合わせたり、女性作家が知っていそうな美容やスウィーツの知識を教えたり。編集者としての本来の業務以上の心労を負わされている自覚はある。今日みたいなお使いだって、こういう関係だから余計にややこしく難しくなってしまう訳で。──でも、作品の面白さがそんな苦労を帳消しにしてしまうんだから私もちょろい。他の出版社も、直接の担当者は事情を承知してはいるだろうけど、私が影武者を務めている都合上、他社よりも何かと有利なのも否定できない事実ではあるし。


 と、スマホが新着のメッセージを通知した。華宮先生が、私の愚痴を兼ねた報告を見てくれたらしい。


 ──ありがとうございました。スワロウテイルのマドレーヌを用意したので許してください。


 私が教えた、私の好きなお店を挙げられて、むう、と唸る。先生がインタビューで言及してくれたおかげで、私自身ではちょっと行き辛くなってしまったお店でもあるから。私の好みを把握したチョイス──でも、元はと言えば全部先生が悪い気もするし、足元を見られるのは腹立たしいから少し駄々を捏ねてみる。


 ──読者さんを騙してしまった心苦しさを抑えるには、フィナンシェも必要かもしれません。


 送ったメッセージに既読のマークがついたかと思うと、次の返信は早かった。


 ──成瀬さんもチーム華宮の仲間ですから、嘘にはならないと思います。直接読者さんに触れられるのはむしろ羨ましいです。


「もう……!」


 悪びれない答えに、思わず声が漏れてしまう。こういうことをさらりと言えるから、先生はズルいのだ。出版に関わるすべての人を仲間と見做して、読者のほうも向いていて。無茶なことをさせる割に、そういうちゃんとしたところを時に見せられると、どきりとしてしまうのだ。ギャップ萌えというやつ、なのだろうか。非常に悔しい。悔しいのに──嬉しい。だからもっと悔しい。


 ──読者さんのためにも、新作も期待してます。プロット、後でお聞かせいただけるんですよね?

 ──もちろん。楽しみにしていてください。


 悔し紛れに送ったメッセージに対する回答も堂々としたものだった。実際、楽しみなんだから私も本当にちょろいものだ。

 私は──先生の担当の編集者で、影武者を務める腹心の「仲間」で、最初の読者でもあるんだから。

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