雨とスマホのダブルパンチ

葵月詞菜

第1話 雨とスマホのダブルパンチ

 その日の朝は、起きた時から雨がしとしとと降っていた。どんよりとした曇り空のせいで部屋は薄暗く、見ているだけで気分は憂鬱になってくる。しかし雨でも雪でも警報が出なければ学校は休みにはならない。

「ああ~。雨かあ。これは歩きかなあ」

 普段は自転車通学なのだが、寝坊して遅刻する可能性がある時以外の雨天は徒歩通学にしている。理由は雨合羽を着て登校するとしても顔や髪が濡れたりするのが嫌だからである。――帰りならばもう家に向かうだけなのでいくら濡れても構わないから自転車でも全然構わないのだが。

 椿はいつもより少しだけ早い時間に家を出た。水たまり対策としてばっちりレインブーツを履き、念のためローファーも持って行く。雨の日は荷物も増えるし傘もささないといけないし面倒くさい。

 通学路の商店街を通る時だけアーケードがあるため傘をささずに済む。学校までアーケードが続けば良いのにと無茶なことを思いながら、できるだけ濡れないように慎重に傘をさして歩いた。

「あ、椿ちゃんおはよー」

「かよちゃん。おはよう」

 椿よりも一足早く登校していた友人と昇降口で出会う。

「今日は歩き?」

 傘立てに傘を置いてレインブーツを脱ごうとしていた椿にかよが苦笑した。

「うん、幸い早く起きれたし」

 椿は脱いだレインブーツを靴箱に入れて上靴に履き替えると、かよと並んで教室へ向かった。

「おかげで今朝はログインする時間なかったんだけど」

 アプリゲームのことだ。毎日のログインボーナスを忘れないようにとたいてい朝の時間にログインしている。

「休み時間に忘れずログインしたら大丈夫!」

「そうだね」

 かよは隣のクラスのため一つ手前の教室で別れ、椿はすでに疲れた気分で自分の席に着いた。窓の外を見ると、相変わらずどんよりと曇り空だったが、風が強くなってきたのか窓に細かい雨粒が叩きつけられて流れていった。

 荷物を片付けて一息ついたものの始業までにまだ時間があった。そうだログインしようと椿は鞄の中に手を突っ込んだ。この学校の規則では、授業中以外は特にスマホの利用を制限してはいなかった。

 しかし、いつも入れているポケットの中を探るも指に馴染んだ感触がぶつからない。

「……あれ?」

 鞄を膝の上に引き寄せて他のポケットを含む鞄のあらゆる場所を探してみたが、ない。念のために制服のポケットも探ってみるがない。

「落とした……? いや、家で充電してて……」

 部屋を出る前に充電器を外したところまでは何となく覚えている。だが、スマホを鞄に入れる前に何か別のことに気をとられてそのまま家を出たような気がする。

「……忘れた」

 急に手持無沙汰な気分に陥る。別にスマホがなくても学校生活自体に支障を来すわけではないが、ないとなるとそわそわしてくる。これが依存か。

 椿は大きなため息を吐き、そわそわする心を落ち着かせるように一時間目の数学の準備をし、いつもは読まない教科書を開いた。


 こういう日に限って困ったことは重なるものだ。

 最後の授業が終わる頃、朝の天気は嘘のようにすっかり回復していた。地面にはまだ水たまりが残っているが、それもじきに乾くだろう。椿は授業が終わったという解放感と共に軽やかな気持ちで持って来ていたローファーに足を通した。逆にレインブーツは袋に入れて持って帰る。

 同じく帰宅部の友人と話しながら帰路に着き、友人と別れた頃にそれを思い出してしまった。

「あ、明日朝一提出の課題プリント忘れた」

 いっそ思い出さなければ幸せだったのかもしれないが思い出してしまった。しかもその課題はとても明日の朝早く行って間に合うようなものではなかったのだ。ある程度じっくり考える時間が必要だった。

「――ああ~」

 その場で立ち止まって逡巡する。すでに道のりは半分を過ぎようとしていた。今からなら一度家に帰って自転車であらためて取りに行った方が早いのではないか。

「ううーん、でもなあ……」

 家に帰ると面倒くささが増す。絶対増す。椿は道で立ったままぶつぶつと呟く不審な女子高生になっていた。

(そうだ。あいつに持って来てもらうのは……?)

 ふと名案が閃いた。本日はもう家に帰っているはずの弟のことを思い出したのだ。彼に連絡をしてここまで自転車で来てもらい、荷物と自転車を交換して――つまり荷物は弟に押し付けて――自分は学校に引き返そうと考えた。

「よし、善は急げだ。早速――」

 そこで、はたと気付いた。またもや気付いてしまった。

 そうだ、今日はスマホを家に忘れたのだった。

「……」

 椿はがっくりと肩を落とした。電話をかけようにも、メールを送ろうにもスマホがない。

「うううううう」

 意味不明な呻き声をあげた後、椿は来た道を引き返すことに決めた。かろうじて自宅の電話番号は覚えているが、公衆電話を探している時間があれば学校に戻るか家に帰る方が早い。

「何でこんな日に限って――!!」

 椿は思わず小声で叫んだ。声に出さずにはやっていられなかった。


 やはりこういう日に限って、頭を悩ませることは続くらしい。

 教室に戻って無事に課題プリントを回収し、その資料となるノートも一緒に鞄を詰めて学校を出る頃には、すっかり日が傾いていた。手に提げた鞄と傘とレインブーツの袋が心理的にも物理的にも重いダメージを与えてくる。まだ雨が降っていないだけマシと思うべきか。

 校門を出ようとしたところで、後ろから声をかけられた。

「あれ、椿ちゃん。今帰り?」

 のほほんとした声。椿が校内で一番顔を合わせたくない人物の声だった。

 聞こえないふりをして先を急ごうと思ったが、その動きを読んだかのようにその人物は椿の前に先に回り込んだ。

「帰宅部の椿ちゃんが珍しい」

「……みのり

 幼馴染の稔という男子生徒だった。普段は学年一の美少年で通っていて、周りの女子にちやほやされている。彼に悪気や他意がなくとも一緒に居ると目の敵にされることもしばしばなので、椿は本当に必要に迫られることがない限りは彼に近付かないようにしている。

 だがそんな椿の気など知らず、この男子生徒はことあるごとに見かけては声をかけてくるのだから困る。そう、今のように。

「ちょっと忘れ物をしたから取りに来ただけ」

 仕方なく答えながらも足は止めない。稔は気にすることなくちゃっかり椿の隣に並んで一緒に歩き始めた。

「……何でついてくるのよ」

「僕の家商店街だし? 椿ちゃんの帰り道でしょ?」

「だからって何で一緒に歩いてるの? 一人で帰りなさいよ」

「ええーもう暗くなるし危ないでしょ」

「私は大丈夫よ」

「僕は大丈夫じゃない。一人じゃ怖いんだ」

「……」

 ああ言えばこう言う。椿は頭が痛くなってきて不毛な応酬を切り上げた。

「大丈夫だよ。もう暗いし、僕と一緒に歩いてるのが椿ちゃんだってバレないよ」

「あんた周りの女子舐めてない?」

 わざとらしく溜め息を吐いてやるが彼に効果はない。疲れるからやめよう。

「ていうか椿ちゃん、忘れ物のためにわざわざ引き返してきたの?」

「そうよ。明日朝一の課題プリントを忘れたの。途中で気付いたの」

「一回家帰って自転車で来るとか、僕に連絡くれれば良かったのに」

「だからスマホを忘れたんですう~!!」

 思わず溜まっていた愚痴を吐いてしまった。稔は驚くどころかなるほどな、と納得の表情をした。

「まあスマホを持っててもあんたに連絡はしないけどね」

「遠慮しないでいいのに。課題プリントくらい届けに行ってあげるよ」

 そんなことをして誰かに見つけられでもしたら、また妙な噂をされかねない。この男子生徒と関わることはただの幼馴染であっても難しいことなのだ。

「でもスマホがないと落ち着かないよね。僕はあまり使わない方だけどなかったらそわそわする」

「……それには同感。ログインもできないし」

「ああ、アプリゲーム?」

「そう」

「今はどんなゲームをしてるの? またいつかのアイドル育成ゲームみたいな――」

「何でそんなこと知ってんのよ稔」

「かよちゃんがハマるものはだいたい椿ちゃんに布教されるんでしょ? だから何となく」

 稔が微笑んで小首を傾げて見せる。そのキレイな顔はどこかのアイドルのようだが、残念ながら椿がときめくのは二次元だけだ。まあ目の保養にならないこともない。この意見はかよとも一致している。

「早く帰るわよ。私のスマホが待ってる」

「ええーゆっくり帰ろうよ」

「何でよ」

 椿は重たい足を引きずりながら、何とか早く家に帰るために帰路を急いだ。

 その横を、なぜか楽しそうに稔が歩いていた。


 帰って挨拶もほどほどに自分の部屋に直行すると、机の上に見慣れたスマホがあった。充電は百パーセント完了している状態だ。

「こんな所に置いたままだったのか……」

 ほっとして溜め息を吐きたくなる気持ちをおさえて、椿は日課のアプリゲームにログインした。

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雨とスマホのダブルパンチ 葵月詞菜 @kotosa3

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