第9話 シラユキ皇女

「なんてことなのかしら……」


 ここは倭国。国鳥にわとりが朝を告げると共に受け取った手紙を読んで、シラユキは愕然とした。

 通常なら馬車で数日かかる道のりを早馬で不眠不休の全速力で駆け抜け新記録を打ち出してきたという使者はその手紙を渡すとげっそりとした顔でその場で倒れてしまったらしい。

 何事かと早速手紙に目を通せば、なんと内容はあのセレーネに関しての重要事項だったのだ。この手紙を持ってきてくれた使者は丁重におもてなしせねばと温泉宿へお連れするようにと侍女に申し付けた。


 長い艶やかな黒髪を邪魔にならないように結い上げ、黒曜石のようだと称賛される瞳をキリッとつり上げる。雪のように白い肌は怒りに紅潮し、さくらんぼのような唇がその怒りを言葉にした。


「今から隣国へ使者を!わたくしの大切なセレーネ様を害した隣国の王女の罪を認めさせますわよ!」


 シラユキはこの倭国の皇女であり、セレーネの国の第一王子アレクシス王太子の婚約者でもある。











 シラユキがセレーネと初めて出会ったのは今から8年前のこと当時シラユキは11歳だった。


 この時シラユキはとある国の第一王子の婚約者候補として選ばれていて、もうすぐ顔合わせの日が控えていた。

 倭国から出たことのないシラユキにとって文化も言葉も全然違う国に嫁ぐなど不安でしかなく、顔も見たことのない婚約者に会うために向こうの言葉を勉強するだけの日々が続くのにも辟易としていた。しかも自分の他にも数人の候補がいるらしく競わなくてはいけないらしい。シラユキが選ばれれば倭国がさらに栄えるだろうと大人たちは張り切っているが、当の本人はあまり乗り気ではなかった。

 そんな日々が続き、簡単な会話が出来るようになった頃、とうとう顔合わせの日が来てしまう。



 倭国からその国へは馬車で数日かかる。子供にとってはかなりの距離だ。

 これでもし婚約者の方が嫌な人だったらどうしようと思う。婚約者に選ばれなければそれはそれででいいが、これから行く国は倭国とは髪色も瞳の色も全然違うと聞くし、もし話し方が変だったらバカにされるかもしれない。と憂鬱だった。

 その時のシラユキは冒険物語をよく読んでいたのでその内容に影響されていたのもあるかもしれない。


 そんな不安だらけで行われた顔合わせ。


「はじめまして、アレクシスと申します」


 目の前に現れたその人はプラチナブロンドの髪と本でしか見たことのない蒼い宝石のような瞳をした同い年の王子殿下。まるで物語に出てきそうなアレクシスにシラユキはひと目で心を奪われる。それは他の婚約者候補の少女たちも同じようでみんな顔を輝かせていた。

 そしてキラキラと輝く婚約者の姿に自分が急に恥ずかしくなった。こちらに到着して身支度は整えたものの、何日も馬車に揺られて疲れ果てた自分の顔はきっと酷いものだろうと思うと泣きたくなってしまった。

 こちらの国の正装は倭国とはまったく違っていて、用意されていたドレスは初めて見るものばかり。ドレスは素敵だったが自分の黒髪や黒い瞳が浮いているようにも見える。

 他の婚約者候補たちはみんなドレスがとても似合っているのに、自分は地味過ぎるのではとさらに落ち込んだ。


「は、はじめてまして。シラユキと申しました」


 それぞれがひと言づつ挨拶をしていき、シラユキの番になった。緊張しながら頭を下げればアレクシスは天使のような微笑みをシラユキに向けた。


「こちらの言葉がお上手ですね」


「べ、べんきょー、するした。でも、はつおん、にがて……ゆるす、ください」


 勉強してるときはもっと流暢に発音できていたのだが、今は緊張と恥ずかしさで舌がもつれる感じがした。

 こんなことでは嫌われてしまうかも……。そう思いうつむいた時。


「クスッ……なにあのしゃべり方。まるで田舎者ね」


 室内に小さな笑い声が響いた。

 アレクシスたちの周りにいた婚約者候補の少女たちが焦った顔色を見せる。誰かがシラユキの発音を笑ったのだ。思わず呟いた陰口がこんなに部屋に響くとは思ってなかったようでそれぞれがお互いに罪を擦り付けあっていた。


 やはりおかしな発音だったのだと、シラユキは恥ずかしさに耐えられなくなり「ごめんでした……!」と、その場を逃げ出してしまった。


「シラユキ皇女……!」


 アレクシスはシラユキの後を追おうとしたが、逃げ出したシラユキに対して「王太子に対して不敬だわ」と再び陰口を呟いた婚約者候補たちに鋭い視線を向けてからその光景を黙って見ていた国王にこう言った。


「父上、僕はシラユキ皇女を追いかけます」


 それだけ言い残し走り去る息子の姿に国王は「なるほど」と頷いたらしい。ついでに追記すると、シラユキと一緒に来ていた倭国の使者たちは血の気が引いた顔をし慌てて国王に頭を下げ、アレクシスが発言する前にシラユキを追いかけた。が、シラユキの行動にもう自分たちの命はないと悟っていたそうだ。




 とんでもない事をしてしまった。とシラユキは後悔が渦巻く。いくら言葉の発音を笑われたからって挨拶の場を逃げ出すなんてあってはならないことだ。こんなの、婚約者に選ばれるどころか倭国を訴えられるかもしれない。

 そう思いながらも足は止まらず、どこをどうやって進んだのかいつの間にか庭へたどり着いていた。その時、木陰で体を小さくしているとすぐ近くから声が聞こえた。


「婚約破棄だぞ!」


 そんな、とんでもない事を叫ぶプラチナブロンドの髪をした少年。そして、その少年を呆れた顔で見ている少女がひとりいた。少年の方は先程のアレクシス殿下にそっくりだったのでたぶん弟なのだろうとわかったが、その態度はまったく似ていない。なんとも偉そうにふんぞり返っている。


「このお菓子を俺に食べさせないと婚約破棄だぞ!」


「オスカー殿下、何度も言いますけど婚約破棄なんて言葉はそんなに簡単に口にしていい言葉ではありませんわ。それにあなたは自分の分のおやつをすでに食べ終えたのでしょう?一応王子なのですから、人のものまで欲しがるなんて恥ずかしいことはなさってはいけませんわ。……それにこれは私が手作りしたルドルフのおやつです」


 発音するのは苦手なシラユキだが、聞き取りは完璧だった。どうやらこの少年は少女の手にしているお菓子をよこさないと婚約破棄すると、めちゃくちゃな事を言っているようだ。


「いやだいやだ!早く食べさせろーっ!ふごっ!んぐぐっ……」


 地団駄を踏みながら暴れる少年に少女はため息をついて「わかりました」と手に持っていたクッキーらしきものを少年の口にめいっぱい押し込む。

 喉に詰まったのか少年が口を押さえてじたばたしているが少女は助けるでもなく死んだ魚のような目で悶える少年を見下していた。


「まったく、犬の餌まで欲しがるなんてとんだ欠食王子ですわ。成長期の男児はよく食べるとは聞きますけど、この酷さは……。まぁちょっと失敗して中が炭のように硬くなってしまっていたのでいいですわ。ルドルフには新しく作り直します。そういえばルドルフならどんなに硬くても食べるから気にしなかったけど、オスカー殿下も歯が丈夫ですのね」


 そうぼそっと小声で言い捨て、少女が側に待機していた侍女を呼び持ってこさせた水を少年の口に流し込むと、少年はやっと口の中のものを飲み込んだ。


「お、俺は犬に勝ったぞ~っ(セレーネの手作りは犬だろうと渡さないぞ!あーんって食べさせてもらえたし!)」


「それはよろしかったですわね(犬の餌を寄越さないと婚約破棄するなんて、どれだけ飢えてるのかしら?あとで城の料理長に言ってオスカー殿下のご飯はいつもの倍にしてもらうようしなくてはいけないわね)」


 たぶん婚約者同士であろうこのふたりの会話が噛み合ってない気がしてならない。いつの間にかシラユキはあのちょっとバカっぽい少年の行く末が心配になっていた。


 そして少年が機嫌良さげに立ち去ると、少女は再びため息をついてからくるりとこちらに顔を向けたのだ。


「!」


 視線がかち合い、自分の存在がバレていたと気づいたシラユキは急いで逃げようとしたがその前に少女が駆け寄ってきて手をぎゅっと握られてしまう。


「なんて綺麗な黒髪……あなたが倭国の皇女様ですわね?お噂には聞いてましたが本当に綺麗な方ですわ!」


 そう言ってにっこりと笑った少女こそがセレーネだった。


「先程はみっともない所をお見せしてしまい申し訳ございませんわ。あの殿下はどうも最近あんなことばかり口に出してきまして……」


 なんでも婚約者の第三王子であるオスカー殿下は、この間持ってきたおやつにチョコチップクッキーがないことに腹を立てて婚約破棄を宣言したと思ったらすぐ撤回してきたらしい。そして舌の根も乾かぬうちにまた婚約破棄宣言を繰り返すのだそうだ。


「私以外には害はないと思いますので、あまりお気になさらないで下さいませ」


 シラユキは蜂蜜色の髪を揺らしマリンダークブルーの瞳を細めてそれは美しく微笑むセレーネに一瞬見惚れてしまう。


「私はセレーネと申しますわ」


「ワ、ワタクシはシラユキ、です」


 今度は落ち着いて言えたからかちゃんと発音できた。とシラユキはやっと笑顔になれた。






 その後シラユキはセレーネに勇気づけられアレクシスに先程の事を謝り、自分の気持ちを伝えた。またアレクシスもシラユキに婚約者になって欲しいと言い、ふたりは無事に正式な婚約者となった。

 それからセレーネと友達になり、ルドルフも紹介してもらえた。ルドルフはシラユキを気に入ってくれたようで喜んで背中に乗せてくれる。そのおかげで定期的に通う事ができて、アレクシスとの愛を深めたり王太子妃教育も予定よりたくさん学べた。

 ちなみに倭国は職人技術が発展しており、ガラス細工や木彫りの飾りなどが有名だがどれも繊細で壊れやすく馬車で運ぶと欠けたり傷がついたりするので輸出がなかなか出来ずにいたのだが、ルドルフが運んでくれるおかげで安全に輸出出来るようになったので倭国がより栄えたことは言うまでもない。


 いまやセレーネの存在は倭国では有名だ。神秘の獣と共に空を駆け抜けてくる聖女と呼ばれている。そしてなにより、シラユキはセレーネの事が大好きなのだ。


 だってあの物語に出てくる登場人物にそっくりだから!!


 シラユキの愛読書である物語〈ルドルフの冒険〉。ルドルフと言う名の旅人が色んな国を冒険していく物語だ。その中にはさまざまな登場人物が出てきて毎回ハラハラする展開が多い。そして中でもシラユキのお気に入りの登場人物が、色々な困難に襲われながらも逞しく生きていくひとりの少女。のちにルドルフの相棒となるその少女の描写がセレーネにとてもよく似ている。

 セレーネの愛犬の名前が“ルドルフ”と言うのにもなにか運命的ならものを感じてしまっていた。


 ちなみにシラユキの趣味は読書と可愛いものを愛でることである。しかし倭国の皇女としてしっかりお勤めを果たす彼女の部屋がぬいぐるみと本で溢れかえっていることはセレーネしか知らない。


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