水に燃えたつ蛍

リベカ・シペトリア

「わたくしも一緒に連れて行ってくれませんか」


 澄んだ青い水を連想させる、艶やかな髪を僅かに揺らし、マリンブルーの瞳を潤ませる女性は、今にも去りそうな背中に懇願する。


 背中を向けたままの男は振り返ることもなく答える。


「すまない」


 短い返事に、女性は肩を落とし落胆する。


「俺には……」


「大切な人がいるのですね……」


 そこから先の言葉はもう必要なく、聞きたくはないとマリンブルーの瞳に悲しみの色を濃く映す。



 ──そのまま無言で音もなく消えるかつての想い人の背を思い出し、広い部屋で一人目を覚ます。



 外は寒いのだろう。広い部屋は冷たい空気が支配していて、布団から出している顔が冷たい。


 起きたのを見計らったかのように、控えめなノックが部屋に響く。その音に寒くて起きるのを躊躇していた体を起こしつつ扉の方へ視線を移す。


「入って」


 僅かに扉が開くと、狭い隙間を縫うように入ってくる一人のメイド。入るとすぐに扉を閉め、女性のもとへ近づき小さな声で話し掛ける。


「リベカ様、ご報告が……」


 ホワイトブリムがよく映える、ショートヘアの黒い髪に、切れ長の目と黒い瞳の女性はリベカと目が合うと、耳元に口を近付ける為膝を付き、辺りを警戒しながらそっと囁く。


「マティアス様が亡くなられました」


 リベカは口を押え大きく息を吞む。


「アーネ、それは本当なの?」


 戸惑いの色を含んだ声でリベカは、アーネと呼んだメイドを鋭く見つめる。


 アーネは表情を崩すことなく、首を縦に小さく振り頷く。


 顔を手で覆い体を震わせるリベカの肩にアーネがそっと手を回してなだめる。

 やがて落ち着きを取り戻したリベカが、瞳をアーネに向け僅かに声を震わせながら尋ねる。


「死因はなんなの?」


 表現を変えずに押し黙るアーネだが、無言で圧力を掛けてくるリベカの前に観念したのか、目を一瞬だけ下へ向け逸らした後、視線をリベカへ戻すと口を開く。


「又聞きになりますが、マティアス様の御実家であるボイエットの屋敷へ侵入。返り討ちにあったとのことです」


「ボイエット家に? あの家とは縁は切ったのではないのですか?」


 アーネに僅かに戸惑いの色が表情に過るが、あくまでも冷静に答える。


「マティアス様のご家族がお亡くなりなったと聞いています。その原因がおそらく御実家にあるのかと……」


 リベカは大きく息を飲む。悲しみの表情を見せるがすぐに、マリンブルーの瞳に怒りが宿る。立ち上がろうとするリベカの手をアーネが握り、首を横に振る。


「なりません。リベカ様は今はトレント家の奥方。シペトリア家との関係もさることながら、ライラ様、アントン様への危険が及ぶ可能性への御考慮を」


 アーネの冷静で強い言葉に、今度はリベカが押し黙ってしまう。


 お互いが黙って見つめ合うその時、部屋の扉が勢いよく開くと小さな男の子が入って来る。


「お母様~!!」


 両手を広げ、リベカに抱き付く男の子を抱き上げると、男の子は嬉しそうにしがみつく。


「アントン、今日はお父様とミロルド家へお出掛けだったのではないのですか?」


「あちらの都合が悪くなったので、今日は一日お母様と一緒にいて良いと言われました」


 嬉しそうにそう答えるアントンが、すぐに何かを言おうとするが、口を押さえ笑いを堪えている。その姿を見てリベカも笑いながらアントンの頬を突っつく。


「アントンがそんな顔をするときは、何か秘密があるときね。何を隠しているのかしら?」


 リベカに頬を突っつかれ、くすぐったそうに身を悶えながらアントンは答える。


「お姉様もお昼から帰ってくるそうです。今日は久し振りにみんなそろうので、お父様も一緒に私に鷹狩りを教えてくださるそうです。従者の者も連れ外で食事をすると仰っています」


 本当に嬉しいのだろう。リベカが降ろしたら今にも飛び跳ねそうなくらいの笑顔を見せるアントン。だがリベカの表情に一瞬影が過る。


 リベカが嫁いだトレント家は、エウロパ国においても名高い貴族で、三大貴族などと呼ばれる。リベカの実家であるシペトリア家よりもはるかに大きな家に見初められたのは、リベカが五星勇者であったことが全てである。


 いかに五星勇者と呼ばれ、人々から慕われようともシペトリア家からすれば一人の娘であり、家を存続させ繁栄させるため、トレント家の長男であるフェリップに求婚され断る理由などないわけである。


 かつて自由を夢見、求め、その力を人々の為にと使ってきた一人の少女は、家を出たとき夢かなったと思った。家のしがらみから離れることができたと思った。

 だが、五星勇者としての地位を築いたことで自らの価値を高め家に貢献することになり、道具のように扱わることへの絶望に変わってしまう。

 なまじ自由を見て、満喫し、さらに想い人が出来てしまったばかりにその反動は大きくリベカに返ってくる。


 夫であるフェリップと一緒でなければ外に出ることも、人と会うこともままならない生活。それは五星勇者としての発言力の強さ故に、単独で自由に動けないことを意味する。

 無駄に広い部屋と、広い庭を行き来きし、果てしない空を見上げ昔を思い出す軟禁生活とは裏腹に、五星勇者リベカの夫として力を振るうフェリップの噂を聞くたびに、モヤモヤした何かが心に広がって行く。


 それでも、娘と息子ができて、ここに幸せを感じることもできた。だがその幸せであるはずの子供たちもまた、トレント家のために使われるのが見えて心が痛む。


 唯一の心の救いが、子供のころからお世話役として一緒にいたアーネの存在。


 リベカはアントンを抱いたまま、アーネを見ると首を横に振られる。


 それは、下手に動くことは危険を意味する。今はどこへも行かずお昼から家族で過ごしてくださいと言う意味。


 リベカはアーネのもたらした、マティアスの悲報と、このタイミングで滅多に揃うことない家族が揃い、一緒に過ごすことが意味することを考え、ある結論に達してしまう。


 ──フェリップはマティアスの死を知っている。


 そして今、家族を集めること。それが意味することは、リベカが動くことへのけん制。娘のライラ、息子のアントンを集めて一緒に過ごすことはある種の脅し。


 アントンを強く抱きしめると、窓の外に広がる空をマリンブルーの瞳に映し潤ませる。


 ──マティアス、イリーナ、スティーグ……


 かつての仲間の姿を思い出し、そして最後の一人の顔を思い出すとマリンブルーの瞳の深い底から暗い光を灯す。


 ──エッセル……あなたはこの件に関わっているのかしら……



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『転生の女神シルマの補足コーナーっす』




 みんなの女神こと、シルマさんが細かい設定を補足するコーナーっす。今回で26回目っす。


 ※文章が読みづらくなるので「~っす」は省いています。必要な方は脳内補完をお願いします。


 五星勇者として名高いリベカ・シペトリアは、シペトリア家の次女として生まれています。年の離れた兄と姉がいて、兄はシペトリア家を継ぎ、姉は名高い貴族へ嫁ぎました。

 次女のリベカは高い魔法の才能があったことと、嫁として送り出せばそれなりの嫁資かしを必要とするため、資産面でそんなに余裕のないシペトリア家はリベカを修道院へ一度入れています。


 数年修道院生活の中で、修道院に出入りしていた元冒険者の女性に魔法と武の才を見出され修行した後、冒険者へとなりイリーナたちと出会い五星勇者へとなっていきます。


 五星勇者と有名となり魔王を討伐した後、シペトリア家から家に戻るように命じられ、半場強引に籍を戻されてしまいます。マティアスへの恋が実らなかったことに、傷心のまま実家へ戻ってしまったリベカは、すぐに三大貴族と呼ばれるトレント家の長男、フェリップとの縁談が決まり嫁ぐことになります。

 リベカの籍をシペトリア家に戻し、一人の女性、又は五星勇者としてではなく、シペトリア家の娘として断れない状況を作った裏にはトレント家の力が関わっているとの噂も……。


 リベカに付きそうメイドの名前はアーネ・カルデアーノ。リベカが嫁ぐ際、シペトリア家から付いてきた数人のメイドたちの一人です。

 年はリベカの三つ上で、アーネの実家が王国軍の関係者であることから、戦闘経験がありそれなりには戦えます。

 実家の伝手使い影で情報を入手し、リベカに情報を流していますが、アーネが情報を流していることをトレント家は把握しています。娘と息子、実家を手に握っているトレント家の方が有利とそのまま泳がせています。

 リベカとアーネも把握されているのは知っていますが、情報が手に入らない方が困るので気付いていない振りをしています。


 次回


『親友』


 夢の中で会う親友はあの頃と変わらず笑い掛けてくる。夢がもたらすのは凶報か吉報か……。

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