噂のにゃんばーわん!

めい子にお任せ!

「今日はカットに行きましょうねぇ~」


 猫なで声で、犬を撫でる飼い主と思われる女性。


「綺麗になって、チロちゃんも嬉しいでしょ~」


 そう言って飼い主は両手でチロの前足を持て、ポンポンとバウンドさせ、喜びを体現させようとする。


 テンションの高い飼い主と対照的に犬のチロルの表情は『無』である。


 ぬいぐるみみたいな真っ黒な、くりくりおめめは言う。


[めんどくせ。おれ、トリミング嫌いなの知ってんだろ]


そんな訴えも通じるわけはなく、飼い主はチロに話し掛け続ける。


「チロちゃんも綺麗になれるし好きよね~! 早く行きましょうねぇ~」


[嫌だってんだろ。じゃぶじゃぶ洗われて、高いところにのせられ、毛を引っ張られて切られんだぜ。挙げ句、なんかブオーってぬるい風当てられてさ。お前もやってみ、嫌になるって。ま、今日も暴れてすぐ帰ってやるがな]


 自分の下がるテンションとは逆に、盛り上げようとテンションを上げていく飼い主の姿を見て、チロは真っ黒なクリクリおめめを漆黒ブラックに染めあげる。



 * * *



 チロが不機嫌な顔を長い毛に隠し、辿り着いたペットサロン『にゃんばーわん!』

 ドッグランも併設した曙町あけぼのちょうで一番大きなお店である。


 チロにとってはそんなことなんてどうでもいいことである。受付で何やら話す飼い主を余所に、キャリーケースの中でぼんやり辺りを見渡すと、おそらくトリミング待ちであろう大きな犬、ジャーマン・シェパードが不安そうな顔で飼い主の横に座っているのが目に付いた。


「朝倉さーん! 朝倉クーパーくん!」


 元気な声で呼ばれ、飼い主さんがジャーマン・シェパードのクーパーを連れて行こうとするが、クーパーは頭を下げ地面に伏せ、爪を床に立て踏ん張る。


「ほら、クーパー行くよ。すぐ終わるから。終わったらオヤツあげるから」


 飼い主がリードを引っ張るが抵抗するクーパーを見て、微笑む自分の飼い主を見てチロはため息をつく。


[あんなデカいやつでも嫌がってんだぜ。俺もめんどくさいし、この混乱に乗じてやるとするか]


 キャン! キャウン!


 小型犬特有の甲高い声を上げるチロに飼い主が焦った顔で、口に指を当てしー、しーと鳴き始める。

 調子に乗ってキャン、キャキャン! と吠えるチロの声に釣られクーパーもクンクン鳴き始め、待合室にいた数匹の犬たちも吠え始める。


 カオスな状況になりかけたそのとき、元気よくドアが開くと元気な声で入ってくる一人の女性。


「ただいま帰りました! ムニエルちゃんの送迎無事終えましたぁ!」


 にゃんばーわん! のエプロンをつけ入ってくるその女性が通ったとき、チロに戦慄が走る。


[な、なんだこの……圧倒的な威圧感は……]


 クリクリおめめがこれ以上なく大きく開きその女性を見つめる。


[い、息ができないほどの威圧感。これほどのプレッシャーを感じさせるアイツは何者なんだ]


 ゴクリと唾を呑み込むチロに、その女性は気付いたらしく満面の笑顔で歩み寄る。


「おおっ! 君は初めて見るね。私、めい子って言うんだぁ。よろしくねー」


 差し伸べられた手に、鼻先を近付けたとき再び身体中を戦慄が駆け巡る。


 現在の犬は飼い慣らせれ野生を失ったなどと言われることもあるが、その胸の奥には確かに野生は存在しており、その野生がチロに呼び掛ける。


[[[服従せよ!!]]]


「まあ!? チロちゃんがヘソ天するなんて」


 狭いキャリアケースの中でクルリと回り、腹を上に向けると、舌を出しクリクリおめめを輝かせ、めい子を見つめる。いや、自然にそうしてしまったのだ。その姿に飼い主も驚きの声をあげてしまう。


 さっきまで行くのを嫌がっていた、クーパーもお腹を出して、服従のポーズをとっている。


 彼らは知らない、めい子が散歩したときに付いた圧倒的強者の匂いを。これでもか! と足を中心にすり寄られた結果でもあることも。

 そして彼女が持ちポケットに入れている赤い犬のぬいぐるみのキーホルダーは、美心みこが作ったもの。素材はめい子の希望とシュナイダーご本人の提供により、シュナイダーの毛が縫い込んである。


 圧倒的強者を感じさせるそのキーホルダーは、ペットの域を超え動物界隈をもひれ伏させるチートアイテム。


 その見たこともない強者の影に怯え、チロは全力でひれ伏する。


「おおっ! きみが私の担当のチロくんかぁ! よしよし、シャンプーをしてあげようじゃないか。受付がお済でしたらチロくんをお預かりします」


 日頃やんちゃな犬で、他人にすぐ吠えるチロが、初めて会う人に対し普段見せることのない従順姿に驚く飼い主は、めい子にチロを託すと、トリミングスペースに連れて行かれる姿を見送る。


 いつの間にか飼い主さんの隣にいた女性、にゃんばーわん店長の園城莉麻おんじょうりまが、めい子の背中を見ながら語る。


「彼女、突然やってきて、バイトでもいいから働かせて欲しいって言うので、その熱い気持ちに負けて雇ったんですけど。やる気はもちろん、動物たちに愛される才能に恵まれた子だったんです。

 あの子が担当につくと、みんないい子になるんですよ。斉木様のチロくんも大丈夫ですよ。ほらっあちらを」


 店長の園城が指さすガラス越しに見えるチロは、トリミング用のドッグバスの中で凛々しい目でめい子を見つめ大人しく洗われている。


「ま、まあ……うちのチロちゃんが……。どこに行っても暴れて出禁になったお店もあるのに。やっと……やっと、チロちゃんを洗ってくれるお店が……」


 よよよと泣き始める飼い主の斉木さんをの肩を、園城が支える。



 ──ガラスの内側では……



 めい子に連れられ中に入ると先にカットされていた、ダックスフントがチロをじろじろ見てくる。


[見ない顔だな。まあいいけど、お前その人を傷つけないようにしろよ。なんたってその人はこの町の支配者シュナイダーさんの専属トリミング係兼、お散歩係りなんだからな]


[シュナイダーさん?]


 聞いたことのない名前にチロが首を傾げる。


[そうだ。この町を支配している方だ。シュナイダーさんの鋭い爪にかかれば、お前なんか一瞬でバラバラだぞ]


 ダックスフントに続き、カットが終わり飼い主を待っているボーダーコリーが、ゲージの中からチロに話し掛ける。


[しかもシュナイダーさんは火を噴く。お前なんか一瞬で消し炭だ]


[虎を倒したって聞いたぞ]

[空を走れ、鳥よりも速いんだってな]

[飼い主はもっと強いらしい]

[五匹の猫たちを部下にしてるだけなく、人間にも部下が沢山いるらしい]


 姿は見えないが、裏のゲージにいると思われる犬たちが、次々にシュナイダーがいかに凄いかを語りだす。


 チロの頭の中では火を噴きながら、鋭い爪を光らせトラを踏みつける獣の姿。その隣には恐ろしい形相の飼い主と、ニコニコ笑顔のめい子や、悪人面の五匹の猫。そして後ろにひざまずく沢山の人間たちの姿が見える。


 そっとめい子を見ると、笑顔で見返してくる。圧倒的強者の匂いを放ちながら。


 ブルっと大きく身震いをする。


 なんだか分からないが、チロの中にある野生がめい子の後ろにいる圧倒的強者の存在を知らせてきて、逆らうなと訴えかける。

 そしてニコニコと笑顔で見てくるめい子に恐怖を感じてしまう。


 周りの犬たちが口々に語る内容と、見たこともないが匂いだけで屈服してしまった獣でなどが反抗できるわけもなく、大人しく洗われるしかないのだ。

 ドッグバスの中で圧倒的強者の散歩係であるめい子に向かって、キラキラおめめで[ぼく歯向かわないよ]って訴え掛けるのだ。


 まだ試験期間であるめい子だが、トリミングサロン『にゃんばーわん!』には、どんなに暴れる困った子でも大人しくシャンプー・カットをする凄腕のトリマーがいると徐々に噂が広がっていくのだ。


 正社員になれる日も近いぞめい子!




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『転生の女神シルマの補足コーナーっす』




 みんなの女神こと、シルマさんが細かい設定を補足するコーナーっす。今回で25回目っす。


 ※文章が読みづらくなるので「~っす」は省いています。必要な方は脳内補完をお願いします。



 チロがシュナイダーに会ったとき、その圧倒的オーラに震え上がり、さらにそのシュナイダーを威圧する詩に対し更に恐怖することになるなんて、このときのチロは知らないわけです。

 この日をきっかけに、チロはにゃんばーわん! の常連さんになったそうです。


 本当はただのエロ犬なんです、なんて知らない方が彼のためなのでしょう。


 次回、


『水に燃えたつ蛍』


 優雅に戦い、慈愛を持って人を癒してきた女性は魔王の恐怖から人々を守り抜き、世に平和をもたらす。五星勇者と呼ばれた彼女は、無駄に広い部屋でかつての想い人を夢見、その死に悲しみ暮れる。


 会うことのない夫と、変わりゆく子供たち。


 ときが流れ、親友の死の報告に嘆き、外に出ることを決意する彼女の人生は過去の栄光とはあまりにかけ離れたものかも知れない。

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