小説を書くことは すべて 映画を視ること から学んだ

久保坂 涼

1.「受賞出版」と「個人出版」

 「受賞出版」を一般的に述べてみる。

 それはコンクール等で賞を獲得して出版社のバックアップの元に販売があり宣伝があり、コミカライズや映像化等の道が大きく拡げられている。

 「売れる!」要素が大きいのも確かであろう。


 けれども、僕は上述の道を捨てた。

 知人には「(僕の作品は)コンクールで受賞できないからだ」という主旨のお言葉を戴いた。それは、一理あるであろう。けれども、実情はそうではない。

 僕の作品は、いわゆる「メインストリーム」ではなく「メジャー」の傾向ではない。

 僕には幾分において「アウトサイダー」の気質がある。いわゆる「インディーズ」である。主流ではないのである。

 だから、「個人出版」の道を選んだ。必然的に。

 当然に「売れる!」という可能性は、僕にはゼロに近いのもまた事実である。


 僕は映画を好きである。

 「インディーズ」といえば、ジョン・カサヴェテスやジョン・セイルズが、いま、パッと思い浮かんだ。

 カサヴェテスは一流の俳優である。彼は出演料を元に自分個人の映画をコントロールして製作した。また、セイルズは一流の脚本家でもあるから、その執筆料を元に自分個人の映画をコントロールして創った。

 彼らを「インディーズ」であると、僕は認識している。

 何故なら、ハリウッドのメジャー・スタジオを限りなく無視して己の自由自在に創造している。だからといって、彼らは独りよがりな映画創りをしている訳では決してない。彼らの映画を視ると、自ずから明らかである。そこには、往々にしてハリウッドのメジャー映画にはない「コミュニケーション」が貫かれている。


 僕はカサヴェテスやセイルズのような存在を尊敬してやまない。

 

 僕は「個人出版」を選んだ。

 出版社もない、編集者もいない、などなど。最も重要なことは「独りよがり」を完全に排除することである。

 すべてを僕が己の自由自在で創造するのである。配信元は信頼できる素晴らしい会社にお願いする形である。

 だから、ゼロから自分独りで創り上げ、配信に関わる業務のみ委ねている。

 つまり、全責任は僕が負う覚悟である。


 僕の作品は、自分自身と配信元によって成立する。


 僕は、自由なんだ。


※ 僕がお願いする配信元は、言うまでもなく「BOOK☆WALKER」(KADOKAWAグループ)である。いつも、ありがとうございます。深大に感謝しております。

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