第三章 夏の乱

「向こうに行ったぞ」

「ここは私に!」


 若い陰陽師は呪文を唱え、口から血を滴らせている鬼を川面に追い詰めた。彼はすっと目を閉じた。その低い声に鬼は恐怖に慄き、腰を抜かしていった。


「今だ!仕留めよ」


 仲間の僧兵が剣で鬼の首をはねた。セミの声が煩い草原。こうして退治は終了したのだった。




「お疲れ様でございました」

「おお。かたじけない」 


 村の長者の屋敷。都からやってきた妖隊が村を荒らす妖を退治したので、村人達は祝いの席を開いていた


「八田様。どうぞご一献」

「ああ、すまぬ」


 長者の若き娘、清子は若い陰陽師に酒を注いでいた。


「もう都にお帰りになってしまうのですね」

「清子殿にはよくしていただきました。ありがとう存じます」

「悲しい事を言うのですね。酷いお方です」


 ここで村の長老に呼ばれた八田は席を外した。清子はそんな八田をじっと見ていた。



 宴が終わった夜。彼は涼しい寝床で安心して休んでいた。

虫の音。心地よい夜風は彼に安らぎをもたらせていた。

そんな褥にふと、冷たい手が彼に触れてきた。


「……誰だ?」

「八田様。どうか、今宵だけ」

「?なりませぬ」


 長い髪を垂らし彼に忍び寄る娘の手を払い、彼は起き上がった。


「このようなことはなりませぬ」

「後生です。せめて今夜だけでもあなたの妻に」

「いいえ。私は他で寝ます」


 しかし娘は泣き出した。ここまでする娘の思いの強さに彼は怖くなっていた。


「清子殿。私はまだ修行の身、妖退治の途中です。こんな私ではあなたに相応しくない」

「でも、でも」

「あなたにはもっとふさわしい殿御がいます」

「いやです。どうしてそのようなことを言うんですか」


金切声で叫ぶ娘に困った彼は、彼女の手を握った。


「……いつか。またご縁があればお会いしましょう」

「……」

「それまで。私は妖を退治しております」

「わかりました」

「ささ。今宵はもう遅い。あなた様の寝床に戻ってください」

「……はい」


 泣きながら娘は部屋を出て行った。彼は安堵したが、翌日は逃げるようにこの屋敷を後にした。


 そんな彼は妖退治を終わらせ都に帰ってきた。天満宮の後継者として彼はその力を発揮するようになった。







「清子。これは良い縁談だよ」

「いやです。私はどこにも嫁に参りませぬ」

「……これはお前に言わずにおこうと思ったのだが」


 長者の父親は陰陽師が去る時の話を娘に語った。


「あのお方は許嫁がおるのだそうだ。それに、ここにはもうには来ない」

「嘘よ?お父様は嘘を言っているのよ」


 半狂乱の娘に胸が痛む父は、家を切り盛りする信頼ある男を婿にした。しかし娘は彼に馴染まず心を閉ざし屋敷から出ることはなかった。


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