第24話 北への転回、失われた愛の為に

 ジョンは愛馬ローズに跨り、リオ・グランデ川を降った。


 来る日も来る日も川沿いの窪地を歩み、野宿し、誰とも会わず、先に進んだ。


 季節は夏から秋になり、やがて冬になったが、逆に気温は川を降るに連れて上昇した。


 リオ・グランデ川も次第に川幅を増大させて行き、大河の片鱗を見せ出し始めた。


 ある日、ジョンはニュー・メキシコ州南部のマラスカという田舎町に着き、久方ぶりに、野宿ではなく、モーテルに宿泊した。


 愛馬ローズの蹄鉄は擦り切れ、蹄から血が滲んでいた。ジョンは応急処置として布でローズの蹄を包帯を巻くように包んであげた。


 ジョンはフロントに行き、馬具屋があるか聞いたが、フロントの男は「馬具屋なんて、もうないよ。大昔の話さ。」と笑うように言った。

 仕方なくジョンはフロントにバケツを借り、ローズの元に戻り、ガレージの蛇口からバケツに水を汲み、ローズに飲ませた。


 ジョンは水を飲むローズの姿をじっと見つめ、暫く経つと、また、フロントに行き、こう言った。


「馬を買ってくれないか?」と


 フロントの男は、一瞬驚いたが、「馬を見に行く。」と言い、ジョンに続いた。


 フロントの男はローズを見ると、その堂々とした白馬に魅せられ、これなら買う人もいるだろうと言った。


 ジョンは頷き、フロントの男にまずはチップの1ドルを渡し、そして、100ドル紙幣を渡した。


 男は料金は帰りの際だと言ったが、ジョンはこれは宿泊料金ではない、馬が買い取られるまで、馬の面倒を見てもらう為の金だと言い、頼めるかと聞いた。


 男は100ドル紙幣もひっくり返し見つめ、まだ上積みが見込めるか思案したが、これで十分儲けはあると思い了承した。


 ジョンは部屋に戻り、ベットに横になり、地図を広げた。


 このニュー・メキシコ州南部の田舎町からニューオリンズまでは東に直角に曲がったハイウェイで行けば200kmぐらいであった。


 ジョンはフロントに電話して、馬の代金プラス100ドルで車を買いたいがあるかと問うと、フロントの男はさっきの100ドルは別だなと確認してきたので、ジョンは違うと言い、別に100ドルと馬が売れた料金で車を買いたいと言った。


 男はどんな車なら良いのかと言って来たので、ジョンはその男の企みを察し、動けば良い、ボロでもと答えた。


 翌朝、ジョンの部屋の前に一台のフォードのセダンが用意されていた。ローズはまだ売れ残っていた。


 ジョンはフロントに宿泊料金を払いに行くと、フロントの男は車検証をジョンに渡した。前所有者はその男に間違いなかった。


 ジョンはフロントの男にチップを更に10ドル渡し、ローズの蹄鉄を修理するよう頼み、車に乗りニューオリンズへ向かった。


 ジョンは州道からハイウェイに乗り、東へ向かった。


 時刻は昼前であった。順調に進めば夕方前にはニューオリンズに到着する予定であった。


 ジョンは気づいた。


 車のルームミラーに十字架のペンダントがぶら下がっていた。


 ジョンはそれを見て、自然に右手で十字を切った。


 その時、ジョンは忘れていた浩子の事が脳裏に浮かんだ。


 ジョンは浩子に会いたくなった。話したくなった。抱きしめたくなった。が、それは無理であり、この先も無理であり、諦めるべき事であると自分に言い聞かせた。


 ジョンは前方から後方に瞬時に移るハイウェイの景色の中に自分の人生を見た。


「浩子との愛を永遠のものにする為、俺は神を裏切り、そして、酷い俺の人生を恨み、それを清算するため俺の正体、アイデンティティを探しにここアメリカに来た。母の声をホイーラーピークで聞き、流れの手記を手にした。そして、今、馬から車に乗り替わり、差別の元であるニューオリンズに向かっている。ユダヤそして有色人種…、ブラックスレイブ、奴隷船…、そこで俺は何を見、何を感じるのか分からない。ただ、そこに行けば、もう二度と浩子に会うことは無くなる。何故ならば、俺はそこで神への怒りに満ち溢れるからであり、神を憎むことは愛を憎むことになり、やがてそれは過去を憎み、今を憎み、先を憎む。」と


 輪廻転生


 結局は何も変わらぬ事柄


 ジョンは見えない何かに向かっていた。


 ジョンは見えない何かを知っていた。


 人間が未だ見たこともないもの。


 明らかなまだ見ぬ事柄は「死」の世界であった。


 ジョンはそれを心得ていた。


 今まで凡ゆる中傷差別に晒されて来たが、ジョンは神の御加護により何とか生き続けていた。


 しぶとく強くしなやかに生きのびて来た。


 しかし、ジョンは疲れたのだ。


 神の御加護にも些か疲れたのだ。


 そう、浩子の愛に浸り、幸運な人間が始めて羨ましく思われ、そうではない自分に疲れた事を悟ったのだ。


 ホイーラーピークの母の声、流れの手記、そして、その血の濃ゆい忌まわしい過去…


 最悪の歴史、人類が仕立て上げた最悪の歴史の犠牲者の真っ只中にジョンを生成した血は脈々と流れていた。


 ここまで打ちのめされるとは…


ジョンは自分のアイデンティティの因果が、白馬ローズの血で滲んだ蹄、蹄鉄に重ねて思われた。


「歩めば歩むだけ傷みに覆われる脆弱な作り物」


 それが己であり、限りなく歩めない定めを痛感した。


 ジョンは途中の休暇箇所であるパーキングエリアに車を回し、ハンバーガーのテイクアウト専用の店に車を着けて、注文して、順番を待った。


 暫くするとジョンの番が来て、ジョンは金を渡し、ハンバーガーを受け取った。


 そして、お礼を言う店の売り子を見遣った。

 

「浩子…」


 ジョンの眼前には浩子が現れた。


 浩子はにっこり微笑み、ジョンを優しく見つめている。


 後ろの車がクラクションを鳴らした。


 ジョンは我にかえり、車を前に進ませた。


 ジョンは空いてるパーキングエリアに車を止め、ハンバーグを食べた。


 ジョンは食べ終わると、少し、運転席側の窓を開いた。


 その隙間から寒風が口笛のような音を立てて入り込んで来た。


「風…」


 ジョンは思い出した。風達の事を。


 母の声、流れの手記を読み、自身の正体を知ってから、風達との関わりを遮断していたジョンの心に、一抹の風が吹き込んだ。


 ジョンは風に聞いた。


「浩子は元気かい?」と


 風は何も答えなかった。


 ジョンは窓ガラスを全開して、多くの風を顔に浴びた。


 そして、もう一度、風に聞いた。


「浩子は元気か?」と


 風は口笛の鳴き声から、やがて、狼の遠吠えのように吠え渡り、こう叫んだ。


「ジョン、ジョン、浩子を助けてあげて!

 ジョン、ジョン、お前しか浩子を助ける者はいないんだよ!」と


 ジョンは風に叫んだ!


「浩子は何処だ!」


 風は泣いた。


「オクラホマに居るよ…」と


 ジョンはリュックの中から地図を広げ、オクラホマシティーを探し、それを確認し、車を急発進させた。


 ハイウェイに乗り降り、10km先のジャンクションを北へと向かい直した。


 ジョンは何も思わず、何も感じず、ひたすら、アクセルを踏み込んだ。

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インスピ ジョン・グレイディー @4165

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