第15話 二人は同じ人間

 ジョンはナバホ族の居住地からネバダ砂漠に出てひたすら東を目指した。


 門番から与えられた芦毛の馬はジョンが誘導することもなく自然と東を歩んでいる。


 前方に見えるのは、広大な黄土色の砂地ばかりであり、側面を向けば、所々に岩山がポコポコと大地から土筆のように映え出していた。


 太陽は絶頂に達し、ジョンの脳天をジリジリと焼き尽くすかのように高熱を放っていた。


 時々、馬は水の代わりに真っ白な綿色の死骸の骨を舐め、塩分を補給した。


 ここからオクラホマ州まで10日はかかる行程であった。


 ジョンは1番初めに辿り着いた岩山で休憩を取った。

 太陽は全く動いていないかのように真上から大地を見下ろし、影を作らせようとさせないつもりかのようであった。


 ジョンは岩山の裏側に行き、コヨーテの巣のような小さな洞穴に身を沈めた。


 前方の燃え上がる蜃気楼のような朧げな空気を見遣り、自分の母親のことを考えた。


「ユダヤ人か。いつ頃、この大陸にその血は渡ってきたのであろうか。俺が生まれたのは1967年だ。その時、母親が30歳だとしても、1930年代にはこの大陸に渡っていたんだろう。オクラホマか?どうしてオクラホマなんだろうか?そこでどんな暮らしをしていたのか?風達が言っていた。夢にヒントがあると…、あの時見た夢は、娼婦小屋と砂嵐とトラックの荷台だ…、知らない方が良さそうな暮らし振りだろう。『奇跡の子』か!ユダヤとインディアンの混血か!どこが、何が、奇跡なんだ!

ヨーロッパから追い出されたユダヤ人、そのヨーロッパ人に居場所を奪われたインディアン…、奇跡どころか悲劇の塊りだ…」と


 そんな因果を沸々とした怒りの心で思いながらジョンは寝てしまった。


 その頃、浩子とバーハム神父は、シアトルの教会に居た。浩子はバーハム神父にお願いして、ジョンが育った孤児院を案内して貰った。


 孤児院は教会の隣にあり、二階建の小さな建物であった。

 玄関は狭く、部屋の中も薄暗く、なんとなく重苦しさがつたわってきた。


 孤児院の中には一 1階に幼い子供達、2階には大きな子供達と分けられていた。


 個人の部屋などなく、まるで避難所みたいに寝具が所狭しと敷かれていた。


 孤児らは昼は教会の学校に行き、青年達は働きに出ていた。その日、孤児院には誰一人、居なかった。


 バーハム神父が浩子を二階に案内し、ジョンの居たスペースを教えてくれた。


 ジョンの居たスペースは窓際の隅であり、窓から見える景色は隣地の建物の壁だけであった。


 バーハム神父は浩子に言った。


「ジョンはいつも壁ばかり見ていた。何も代わり映えのない壁をね。仲間と話すこともなかった。いつもあの隅で一人座っていたよ。」と


 浩子はあんなに明るい性格で人懐っこいジョンからは想像することができなかった。


 浩子はバーハム神父に聞いてみた。


「あんなにお喋りなジョンが…、私には想像できません。」と


 バーハム神父は言った。


「ジョンに聞いてみたことがある。『どうして、お前は仲間と話さないのか?どうして、お前は外ばかり見てるのか?』とね」


 浩子はその瞬間、「風…」と一言漏らした。


 バーハム神父はその浩子の言葉に驚き、慌てて説明を始めた。


「そんなんだ!浩子!奴はこう言ったんだ。『仲間はたくさん居るよ。風達と話してるんだ。故郷からもやって来てくれるんだ。』とね」


 浩子はバーハム神父に言った。


「私は分かります。ジョンの気持ちが良く分かります。私も友達は風達だったから…」と


 浩子は改めて感じていた。ジョンと自分は性別、人種こそ違えど、同じ人間であることを!


 浩子も幼い頃からやはり同じ年代の子供らとは遊ばず、風達と遊んでいた。決して、人嫌いなどではなかったが、自然とそうなってしまった。周りからは変わり者、森の妖精などと揶揄われたが、浩子はそんなこと全然気にしなかった。いつもまとわりついてくれる風達が可愛くて、愛おしかった。


 浩子は急に思い出したかのように建物の外に出て、指を舐め、空に翳した。


 風は左から吹いていた。


 浩子は左の方を向き、目を閉じ、耳を澄ました。


 すると、道路からの騒然とする音は消え去り、浩子の髪がそよぎだした。


 浩子は心で尋ねた。


「みんな、そこに居るの?」


 すると浩子の髪がふんわりと靡いた。


「浩子、ここに居るよ。俺達は何処だって浩子の側にいるからね。」と風達が囁いた。


 浩子は孤児院でのジョンの暮らし振りに心を重くしていたが、「風」という共通存在を見出して、ジョンの境遇は自分と同じであり、側から見れば孤独かもしれないが、自分らは決して孤独ではないことに改めて認識した。


 そして、浩子は風達に頼んだ。


「みんな、私と一緒にジョンを探して!」と


 風達は応えた。


「ジョンは浩子を待っているよ。俺達に任せな!必ずジョンの元に浩子を案内してあげるからね」と


 バーハム神父は玄関口で風と話している浩子を見つめジョンを感じた。


「神様、私には浩子がジョンに見えます。外見も人種も性別も違うのに…、何故か私には彼女がジョンに見えます。あの佇まい、あの瞑想する姿勢、そしてあの呟き方…」と


 そして、バーハム神父は神に問うた。


「主は一人として同じものをお造りならないと思っていました。しかし、一つのものから分かれたものがあるならば、それらは同じに見えるのですね?分かりました。私は必ずジョンを探し、浩子をジョンの元に戻し、分かれたものを一つに戻します。主がお試しになっていなさる。もともと、人とは一つであり、肌の色、髪の色、心の色、全て同じであった事を。争いなどなく、妬みも僻みも恨みもない純粋な物体であった事を…

私はジョンと浩子で主の御考えを改心します」と


 愛する人を捨て、敢えて自己の存在を求めながら、それに矛盾するかのように愛する人が戻る事を願う。

 それは何も矛盾してはないのだ。アイデンティティの探求はジョンも浩子も同じ根源を求め、そして、元来の一つになるのだから…


 敢えて矛盾に満ちた現代社会において、誰の耳目も興味も集めない、偉大な神の摂理がひっそりと行われていることに、バーハム神父は神の御加護に改めて十字を切った。

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