第14話 ユダヤの血

 ジョンは土産屋の主人に教えられたように公園前の白い漆喰の壁の水晶のような輝きを放つ豪邸を目にした。


 玄関構えは砂塵を避けるための防風林が生茂り、門は開かられていた。


 ジョンは門番に酋長に会いたいと伝えたが、門番は困惑そうに今は無理だと言い、案内を拒んだが、ジョンが1967年のリンチ事件の親族であることを告げると、一転して門番の顔色は変わり、ジョンにここで待つように告げると、駆け足で家の中に入って行った。


 ジョンが待つ間、時折、砂塵を含んだ旋風がジョンの脇を通り越して、「様子を見てくるよ」と言わんばかりに玄関入り口の扉を拭き叩いた。


 やがて、門番が戻って来て、ジョンを酋長に案内すると言い、家の中に通した。


 玄関を入ると、先住民の生活感は全く感じられず、大理石の床が敷かれ、玄関の壁にはバッファローの角が何体も飾られていた。


 螺旋階段を登り、2階の酋長の部屋に通された。


 部屋の中は光に満ちており、ここだけは先住民の生活の名残りとして、洋風式の造りの中に囲炉裏が備えられ、各種の薬草の粉とパイプが数多く並べられていた。


 酋長はベットではなく、床敷に色鮮やかな敷物を何重も重ねた敷布団の上にほぼ裸体と言っても過言でないかのような姿で横たわっており、丁度、妻か娘か妾か分からないが女性が酋長に食事の世話をしていた。


 酋長の顔は皺だらけで、眼は細く、窪んでおり、髪の毛は長髪で一本に結って、後ろに垂らしていた。


 酋長はジョンの存在に気づくと、世話人を部屋から追い出し、手招きをして、ジョンを側に来るように促した。


 ジョンが側に行き座ると、ジョンが挨拶をする前に酋長が口を開いた。


「お前の親父には、今もこうして苦しみを与えられている。仕方がない」と


ジョンはこう言った。


「親父はどんな男だったのですか。」と


 酋長は徐に起き上がり、パイプに煙草の粉を詰め、マッチで火をつけると一口大きく吸い込み、鼻と口から決心を吹き出すように、ゆっくりと紫煙を吹き流した。


 そして、壁に掛けているバッファローの角を見遣り、こう言った。


「お前の父親は、バッファロー狩の名人だった。奴が槍を外すことはなかった。それどころか、必ず、奴の槍はバッファローの眉間を捉えていた。この部族一の猟師だったわ」と


 そう言い終わると、酋長はジョンにパイプを勧めた。


 ジョンはパイプを遠慮し、自分の煙草に火をつけた。


 酋長はジョンの頭の先から足の指の先まで見渡し、こう言った。


「お前は奇跡の子だった。」と


 ジョンは自分が枯れ谷で生まれバーハム神父からコヨーテの餌になる前に救われたことを言ってるのだと軽く聞き流した。


 しかし、酋長の言う「奇跡の子」とは、そんなジョンの生い立ちではなかった。


 酋長はもう一口、パイプを蒸し、少し、咳込みながら、枯れた声でゆっくりと語った。


「お前はインディアンと白人の合いの子であるが、それ以上に悲しみの血で出来た人間だ。

 お前の母親は、白人が嫌う白人だ。ユダヤ人だ。この国を奪った白人共が忌み嫌うユダヤの血が流れている。

 ワシらインディアンにはそんなことどうでも良い。

 ただ、混血の子としては、苦悩の血筋だ。」と


 ジョンは少し動揺したが、今回、ここに来た目的である自身のアイデンティティがかなり容易く達成できたことに満足した。


 ジョンは酋長にこう聞いた。


「母の故郷は何処か知ってますか?」と


 酋長は前々からこの日が来ることを予感していたかのように、枕元の木箱から日誌のような帳簿を取り出し、半眼にレンズを当て、ゆっくりと読み上げた。


「お前の母親は、オクラホマ州からやって来た。民主党の政治員だった。名前は分からない。ユダヤ人として人種差別の撲滅のため、白人達と争っていた。」と


 ジヨンは頷き、此処での用件は済んだとし、立ち上がろうとした。


 その時、酋長がジョンの腕を掴み、こう言った。


「もう少し物語を話させてくれ。」と


 ジョンは座り直した。


 酋長はパイプに再度、煙草の粉を詰め替え、火をつけると、今度はもう残された時間は僅かであるかのように早口で語り始めた。


「お前がワシを少なからず憎んでいるのは分かっとる。それはそれで仕方がない。ナボハ族の皆んながワシを憎んでおるんじゃから、お前が俺を憎むことは当たり前だ。

 ただ、ワシはお前の父親と母親が好きじゃった。それだけは、分かって欲しい。

 お前の父親はワシの最高の弟子だった。ワシはこの部族の次のリーダーにはお前の父親しかいないと思っていた。猟師としての腕だけではなく、皆んなに好かれていた。人間からも動物からも。お前の黒い瞳は父親にそっくりじゃ。その深い漆黒の瞳には奥深さがある。優しさがある。全てを受け入れる覚悟がある。それに、お前の母親が惹かれたのじゃ。お前の母親もとても献身的で決して政治色だけに染まっていなかった。ここに来た目的は白人至上主義への反旗を掲げることではあったが、それは10の1程度のものであった。

 ユダヤ人として、海の向こうから渡って来て、東に降り立ち、さぞかし苦労した挙句、同じ境遇の仲間に出会い、安心したんじゃろう。ワシが彼女を初めて見た時、彼女の目の中に、彼女の先祖の逃避が見えた。また、逃避しても諦めない生命力も見えた。

 おそらく、お前の父親にもそれが見えたのであろう。

 お前の父親は弱者を好む、お前の母親は強者を好んだ。自ずと心が通じたんじゃ。

 ワシは言い訳はせん。白人共にお前の両親の居場所を教えたのは事実じゃ。ワシは先祖に奇跡を祈ったが、それは叶わなかった。そして、あの惨劇が起こった。」


 ここで、ジョンが問うた。


「何故、居住地の拡大を望んだのですか?」と


 酋長は即座に答えた。


「戦いは終わってなかったと思っていたからだ」と


 ジョンは聞き直した。


「戦い?」


「白人との戦いは、奴らがこの国の東から西に向かった時から始まった。南からはスペインも襲って来た。白人共はワシらを山犬のようにトラックに積み上げ、逃げる者には5セントの賞金で撃ち殺した。だが、逃げない仲間には賢者が揃っておった。お前の父親もその一人だった。白人との戦いに折り合いを付けたのではない。狂った白人共に隙ができるのを待ち、一定の条件を飲んだのじゃ。お前の両親を犠牲にしてな。」


「でも、結局、白人社会に同化した。」とジョンが捨て台詞を吐いた。


 酋長はパイプを囲炉裏にトントンと叩き、吸殻を捨てて、また、煙草の粉を詰め、火をつけると、深く煙を吸いこみ、こう言った。


「今もナバホ族の血は途絶えてない。脈々と続いておる。

 いいか、現在とは過去と未来の隙間に過ぎんのじゃ。その隙間は直ぐに過去に締められる。過去の部屋に居たら終わりじゃ。未来の部屋に居ないといけない。時はまた変わる。人の気持ちもまた変わる。それはちっぽけなことじゃ。血さえ途絶えなければ、また、戦えるのじゃ」と


 ジョンは酋長の言葉に身震いした。

 ジョンも自身の身体を流れる血の元を探している。自分を知るために。浩子を呼ぶために。神に挑むために…


ジョンは再度、立ち上がり、酋長にお礼を言い、部屋を出ようとした。


 酋長がジョンに言葉をかけた。


「オクラホマの消えた農村を目指せ。砂の中に消えた農村をな!」と


 ジョンは振り返ることなく、酋長の家を後にし、門番に問うた。


「この町で馬を売ってくれるところはないか?」と


 門番は言った。


「それはない。ただ、酋長の馬ならある。酋長はもう乗れない。連れて行け。」と


 門番は厩舎から芦毛の馬を連れてきて、鞍と腹帯を締めた。


 ジョンは鎧に足をかけ、馬に飛び乗った。そして、門人に聞いた。


「酋長に許可なく勝手に貰って、お前は困らないか?」と


 門番は言った。


「その馬は、もともと、お前の親父の馬の子孫だ。お前が貰う権利はある。」と


 ジョンは門番に帽子に手を当て、別れの挨拶をし、太陽が沈みかけたメサをみやり、馬をその反対に向けさせ、東を目指した。


 母親の故郷のオクラホマに向かうために。

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