さようなら、すべてのエヴァンゲリオン

もりめろん

さようなら、すべてのエヴァンゲリオン

2020年の夏、5年ちかく勤めた会社を退職した。


もっともな理由はない。コロナ禍のあおりを受けて大学時代の友人が地元に帰ることとなり、そいつは東京が大好きで、決して地元になんか帰らないだろうとぼくは思っていた。でも彼は、誰にも連絡を取らないままひっそりと地元に戻っていた。2020年の3月ころだ。彼が帰ったのを想い出した2020年の夏の夜、ああ、別にぼくも東京に居続ける必要なんかないんだ、そう思った。


それは、深酒をしていた夜だった。

その時期のぼくは不眠を抱えていて、深酒をしても朝方にならないと眠れなくなっていた。30歳になっても、作家としての芽がまったくでないこと。早く結果を出さなければいけないという焦り。職場の人たちと仲良くなったことで、職場に居場所が出来てきたのも、苦痛だった。ウイスキーをストレートで煽りながら地元に戻った友人を想っていると、力がカクンと抜けるのがわかった。

心? 足腰? 

どこの力なのかはわからない。でももう、立つことはできないとおもった。そうして、その夜に退職と都落ちを決めた。



退職したぼくはアパートを引き払って実家に帰った。両親は暖かく迎え入れてくれた。山登りをしたり、ひたすらフォートナイトをやったり、姪や甥と毎週末遊んだりした。しだいに不眠も解消され、睡眠導入剤と抗不安薬の服用をやめた。3週間ほどかけて本州一周旅行に行った。共産主義と、フェミニズム関係の本を読み漁った。そうして、半年が過ぎた。少しずつ立ち直ってきたぼくは、海の近くに住もう、そう思っていた。ぼくの故郷である群馬には、海がない。だから、海の近くに住もうと思ったのだとおもう。


そうして、ふたたび故郷を出て海の近くに住み始めた。『シン・エヴァンゲリオン』が公開されたのは、そんな風にわたしが故郷を発った日の週頭のことだった。2021年3月8日。


前置きが長くなったが、これは『シン・エヴァンゲリオン』についての文章だ。



『エヴァンゲリオン』という名前は当時から知っていた。放送当時は5歳だったぼくは、たぶん1話くらいはみたはずだ。当時のぼくは、月~金の夕方アニメすべて、土日の朝にやるアニメをすべてチェックする少年だったから。

でも記憶の最初にあるのは、『綾波育成計画』だ。幼馴染の兄がエヴァ好きで、かれの部屋にそのパッケージがあったのだ。ちなみに、その幼馴染の兄の天井には、エヴァンゲリオン量産型の模型が糸で吊るされるかたちで飾られ、風に揺られてよく旋回していた。ちなみに、その幼馴染とぼくは、ぼくの2度目の故郷からの旅立ちのさい、朝鮮飯店という焼き肉屋さんで飯を食べた。ふたりで飯に行くのは、初めてだった。「お前がまた群馬に帰って来たいって思ってくれるように、優しくしておかないと」と言って、彼は代金をすべて払ってくれた。


次の記憶は小学6年生のときだ。絵の上手い友人が、貞本版のコミックスを買い集め始めて、それを借りて読んだ。とても面白かった。ちなみに、その友人とは中学生になってから2度にわたって好いた女性を取り合うという経験をした。彼とは色々ないざこざがあって、未だに彼にしたことへの後悔や、否定しがたい彼への羨望のしたで、ぼくは生きている。


その後、順調にアニオタに育ったぼくは、今度は高校一年生のときにアニメ版と出逢って、その後高校二年生で『序』を劇場で観ることとなる。DVDも買い、特典でついてきたトートバッグは、いまでもたまに使っている。一緒に観に行ったのはテニス部の友だちで、彼は卒業後、マルチにはまった。ぼくも勧誘にあって、しつこく電話がかかってきた。無視し続けたら、かかってこなくなった。近況は、なにも知らない。


大学生のとき、精神的にひどい挫折をした。当時、女性に降られまくっていたぼくは、とにかく異性からの承認を得たいという地獄に陥っていたのだ。なぜ、あんなにも苦しかったんだろう? 30歳になったいま、20歳ころの苦痛が、どこか遠い。

そんなぼくを癒してくれたのが、『エヴァンゲリオン』だった。テレビシリーズを何度も繰り返し観た。旧劇=EoEを何十回も観た。大学の登下校時には、旧劇をひたすら観たり、音声だけをひたすら聴いたりした。とくに、人類保管計画が始まる直前のシーンからだ。


アスカのそばにいたいんだと叫ぶシンジ。「あ、アスカ助けてよ……。ねぇ、アスカじゃなきゃダメなんだ」でも彼に、アスカは冷たく言う。「ウソね。あんた、誰でもいいんでしょ!ミサトもファーストも怖いから、お父さんもお母さんも怖いから!私に逃げてるだけじゃないの!」。シンジは言う、「助けてよ……」「ねぇ、僕を助けてよ」。そんな彼にアスカは、「ホントに他人を好きになったことないのよ!」「自分しかここにいないのよ。その自分も好きだって感じたことないのよ」という。「たすけてよ……。ねぇ……。誰か僕を……お願いだから僕を助けて」懇願するシンジ、そして「一人にしないで」と叫ぶ。アスカは「イヤ」と冷たく言い、シンジは彼女の首を締める…。


この一連の流れのまえに、幼いシンジが一人砂遊びをするシーンがある。その砂場はどこか書き割りの、舞台の上のようだ。ぼくも、その場所にいたことがある。


精神的につらくなった20歳頃のぼくは、逃避行に出る。これもなんでだかわからないが、大量のおにぎりをつくって始発電車に乗り込んだぼくは、修善寺に行った。そこからひたすら歩き続け、夕方頃には天城越えをした。天城から河津までの道のりはすでに夜だったが、親切な人が車で拾ってくれ、深夜のうちに河津に就くことができた。コンビニでゴミ袋を買ったぼくは、それを幾枚も身体に羽織って、海を眺めていた。季節は初春で、とても寒い。すぐに公園に戻って、ベンチで横になった。公園も、さむい。眠ることを諦めたぼくは、明け方まで海辺にいた。明るくなると、ぼくは始発電車に乗って家まで帰った。ほんとうに、なにをしに河津まで行ったのだろう?


「このままじゃ怖いんだ。いつまた僕がいらなくなるのかも知れないんだ。ザワザワするんだ……落ち着かないんだ……声を聞かせてよ!僕の相手をしてよ!僕にかまってよ!!」

とシンジは言う。でも、彼に構ってくれる人なんて、だれもいない。


シンジの気持ちが、当時のぼくは痛いほどよくわかった。シンジはおれだ、とおもった。あれから、10年が経った。『シン・エヴァンゲリオン』では、シンジを筆頭に「運命をしくまれた子供たち」は子どものままだ。でも作中では14年が経ち、他のひとはみな、歳を取っている。シンジのクラスメイトだった友人ふたりは、28歳だった。いまのぼくと、そう変わらない。そんなふたりが、たった数ヶ月しか一緒にいなかったクラスメイトを、でも世界を救うために戦ったクラスメイトを、助けてあげる。

「最後だからちゃんと残しておきたいんだ」と言って、友人だったケンケンは最終決戦に向かうみんなを録画する。これが、10年経ったぼくだ。30歳のぼくは、シンジじゃない。シンジを助けてあげる、大人になったシンジの友人だ。


『シン・エヴァンゲリオン』のシンジは、苦しんでいるみんなを救った。ケンケンたちが助けてあげたシンジが、こんどはみんなを救ったのだ。


アスカをあの旧劇の海から救った。あんなに傷つけあって、首を締めて「気持ち悪い」と言った彼女を、その怨念の場から見送ってあげたのだ。


ふたりの綾波を、二重の母性から解放した。いくら恋しくても、結ばれることのできない人はいる。でも、好きだと感じたその気持ちだけは、たしかに本物だ。


シンジは、なんであんなに辛かったんだろう?

その理由は今となってはわからない。だけど、シンジは自分を愛してくれて憎んでくれたひとたちを、みんな救った。その背を押したのは、ケンケンであるぼくであり、この作品への深い愛憎を持つみんなだ。シンジがみんなを救ってくれたいま、あんなにつらくて情けなくってみっともなかった当時のぼく、その延長であるいまのぼくを、いまはすこし肯定してあげたい気持ちがある。

傷つけた人がたくさんいるから、彼ら彼女らへの贖罪を想いながらではあるけども。


『エヴァンゲリオン』を好きになってくれてありがとう。庵野監督の、そんな気持ちを作品から感じた。この映画にはたぶん、いまの日本のアニメーションができることの髄を凝らした表現方法が採られている、のだとおもう。たぶん。根拠はないんだけどね。それは『エヴァンゲリオン』という巨大IPだからこそできた表現の極みで、それを実践させてやることが、日本のアニメーションの未来につながることだと監督は思っていたんじゃないか、なんてことを妄想したりしている。


さようなら、すべてのエヴァンゲリオン。

つらいときにそばにいてくれて、そして人生をまたがんばろうってタイミングで背中を押してくれて、ありがとう。

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