BANK

石黒陣也

BANK

姫野柚香子 二十二歳 東京都練馬区生まれ 練馬区育ち。


私は若い男性と言うものを知らない。五歳児くらいの男の子かもしくは、熟成し大人の男性は病院や区役所で見かけるぐらい。


私と同じくらいの年齢の男性は、見たことがない。小学校でも中学校でも、高校でもこの大学四年生になっても、出会ったことが無い。


「ユッキー、いくよー」

「あ、うん」


 友人の霧島撫出子につれられてやってきた施設。

 

 いわゆる『バンク』と言うヤツだ。中に入ると受付口の女性が立ち上がってこちらにお辞儀をしてきた。


「見学の予約を入れた霧島と姫野です」

「はい、お伺いしております、こちらから中へどうぞ」

「どーもー」


 手をひらひらと振って奥に入る撫出子の後ろを、私は背中だけを見てついていく。


 ドキドキと振動が鳴っている。さっきから体がかちこちになったようにこわばっていた。


 真っ白い厳重な分厚い扉。赤い文字で『BANK・ENTRANCE』と書かれていた。


 ウィィィィィィィ――


 私たちを認識した自動扉が、ゆっくりと開いた。


 この先に、若い男性がいる。


 私たちは『将来のために』ここに来たのだった。


 中に入り、薄暗い通路を通る。空気はやや肌寒く、空調機の冷たい風がひゅうと首をなでてきた。


「なでこほ、本当に中に入るの?」

「え? 何? 怖いの?」

「当たり前でしょ、若い男性なんて、今まで見たことないもん」


 私の緊張した声に、撫出子はあははと笑い飛ばした。


「いつにするかはさておいて、大学の卒業前に下見しておくのは当然でしょ。就職先も決まっているから、働いてからじゃもう遅いの。そうでしょ?」

「で、でも……」

「ああもうこのビビリのあがり症め、さっさと覚悟しなさいよ」

「う……」


 撫出子がくるりと振り向いて、びしりと指摘してきた。


「そんなんじゃ今後やっていけないわよ。私たち女性には、常にさまざまなタイムリミットがあるの。過ぎてからじゃ遅いの。ちゃんと下調べしておかないといけないの! そうでしょ」


「うう、でも……」


「はいはい、さっさと行くの!」


 うじうじする私の性格。それをいつも撫出子は怒りながらもちゃんと手を引いて連れて行ってくれる。私の大事なパートナー……。


 私はいつも、何をするにも遅れてしまう。


 怖いのだ。


 運動が怖い、怪我したらどうしよう?


 テストが怖い、点数が悪かったらどうしよう?


 人が怖い、私のこの性格の悪い所を言われたらどうしよう?


 社会が怖い、バイトで失敗したらどうしよう?


 私はいつも怖かった。何もかもが。


 そこに、いつも光がさすように手を伸ばしてくれていたのが、この撫出子だった。

 だからここまでがんばれて、ここまで勇気を出してやってきた。


 大事な、これからも付き合いを持ってくれる大事なパートナーだ。


「さー着いた。ここから先に『オトコ』がいるわよ」


 立ち止まると、また厳重そうな扉が待ち構えていた。


「ひっ……」


 思わず悲鳴を上げてしまった。怖い。


「行くわよ」


 撫出子とつながっている手、撫出子の手が強く握ってきた。

 やっぱり、撫出子も怖いのだろう。じゃあ――

 私も勇気を出さないと。


 女性のアナウンスが流れてきた。


「霧島撫出子様、姫野柚香子様でございますね?」


「はい!」

「はい……」


「では扉を開けますのでそこから一歩引いてください。男性と会える時間は一時間です。退室十五分前にアナウンスいたしますので、時間内までにはご退出ください」


「はーい」

「……はい」


 ガコン! 


 突然鳴った重く硬いものが当たるような音。心臓が跳ね上がる。


 ウィィィィィィィィ――


 扉が開く。


「さあ、ごたいめーん」


 開いた扉、中へ入る撫出子。手を引かれて中にはいる私。

 数秒だが、目をつぶって入ってしまった。


「ほおおおおおお、すごーーーーい」


 撫出子の感嘆の声で、私はやっと目を開いた。そこには。

 ……え?


「これが、男性?」


 そこには、写真と文字がずらりと書かれたパネルがきっちりと並べられていた。それこそ、白い室内の壁中にびっしりと。


 さーて、どれがいいかな?


 私の手を離して探索デモするかのように先へ進んでいく撫出子。


「あ、まって!」

「だめよ。ここは自分で選びなさい! 将来のためでしょう?」

「うう……」


 とりあえず、近くにあったパネルを見る。


 コレが男性の顔……まるで岩をくっつけたような固くて大きい顔をしている。それになんだこの髪は? 男性って、こんなに髪を短くしているの? こんなに芝生のように短いとおしゃれが何もできない。ピアスどころか、アクセサリーも何もつけていない。化粧もしていない。すっぴんだ。


 備考欄を見る。

 山下悟郎 現在二十八歳 剣道四段 柔道三段 警察官 剣道大会にて優秀な成績を収める。B型 身長百七十八センチ 体重六十七キログラム。体脂肪率十二パーセント。ピアス無し 整形無し 酒可 タバコ不可 ――


 これは、経歴? のようだ。


「はー……」


 まるで重たかった空気を吐き出すように、その男性を見て声が出た。


 隣の男性パネルを見る。


 岩野田総太 現在三十歳 会社員 事務職 パソコン検定一級 英語検定準一級 電子工学科大学卒 身長――


 この人は備考が少ない。それに少し穏やかそうな、なんとなく優しさを感じる風体だった。


 あのパネルも、このパネルも、どれも違う顔だがなんだか共通点のようなものがあるようなないような……これが若い男性なのか。


 たまたま目に入った男性の写真のついたパネルを見る。


「うあっ!」


 びっくりした。これも男性なのか?


 写真の顔は金髪でおでこを広げている。耳にも口にピアス? 日焼けなのか顔が黒い。そして目つきだ。上から見下げてくるような表情もあいまって、すごく怖い。


「おー! へえー!」


 どこかに行ってしまった撫出子の声が聞こえてくる。


「う、うう…………」


 底を向いても男性の顔、男性の顔、男性の顔――


 じっとこちらを見てくるような視線の集中。


 ――怖い、怖い怖い怖い怖い怖い。


  半ばパニックになって走り出していた。


 方向もどこから来たのかももうわからない。


 顔、顔、顔。ひたすらに男性の顔だけがどこを向いてもずらりと並んでいる。


「はっ、はっ、はっ、はっ、はっ」

 息が苦しい、足がふらつく。倒れてしまいそうだ。

「ユッキー? 大丈夫?」


 撫出子がひょっこりと現れて、私は寛恕の胸の中へ体当たりするほどに抱きついた。


「ううう……」


 涙が、涙が止まらない。しゃっくりが止まらない。足腰も限界で、もう立てない。


「ちょっと、大丈夫? 早めに出ようか? また予約を入れて来ればいいし」

「うう、ううううう……」


「大丈夫よ、何も怖くないから」


 座り込んで鳴いている私を、撫出子は優しく抱きしめてくれた。


 落ち着く。


 私はやっぱり、男性よりも撫出子の方が良い。

 男性なんて、無理だ……。


「大丈夫よ、ここにナマの男性はいないから」

「う、うん……わかってる。だけど……」


「ほら、落ち着いて、私たちの将来のために、将来コドモを生むために、その下調べに、どの男性の精子にするかを決めに着たんでしょ?」


「そうだけど……」


「なんて事は無いわよ、本物の男性は西日本に隔離されて、優秀な遺伝子を残すために調教されているんだから。ここには本物のオトコなんていないの。ほら、もう大丈夫でしょう?」


「……うん」


 これから将来のため、『出産』のためにここに来たのだった。


 やがて子供を産んで女の子だったら一緒に暮らし、男性だったら六歳から西日本に隔離される。


 世界一出産と子育てに秀でた日本国。


 私はこの後、社会人となり、やがてお金がたまったら撫出子と結婚して――


 この未知の男性と言う存在の持っている、精子を埋め込まれる。


 BANK(バンク)から一人を選んで子供を産むのだ。


 いまだ実感が持てず、私はひたすらにただ、


 怖いだけだった――

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