"霊獣"クライン

 

 初めに見えたのは千切れた肉片だった。平らだった地面は裂けて抉れて、盛り上がり、大量の赤黒い肉片で埋め尽くされていた。

 燃え盛る木々。何かが破裂する音。春人が秘密基地みたいだと胸を高鳴らせた家々はとうに焼失していた。

 春人は崩れた納屋の陰から地獄を見る。

 村に向かって草原を駆けていた春人は、戦争映画や小説を想像した。

 戦争とは残酷なものなのだと、これから目にするであろう悲惨な光景を想像しながら、心を落ち着かせるように何度も頷いていた。だが、実際にその光景を目にすると、春人は、ショックのあまり何も考えれなくなる。色、音、匂い、温度。春人のイメージを凌駕する鮮明な赤と黒。

 まだ微かに蠢く肉塊。大岩で頭を潰された〈ドワーフ〉。四肢を切断された〈エルフ〉。肉の焼け焦げる臭い。泣き叫ぶ褐色の少女……。

 少女が悪魔に蹴り飛ばされた。悪魔は、刀身の紅く揺れる剣を引き抜いて少女に近づく。

「やめろ!」

 春人はやっと声を上げた。納屋から飛び出して悪魔たちの前に立つ。

 やめろ。やめろ。やめろ。やめろ。もう、やめてくれ。

 春人は涙で歪む視界で、剣を握る悪魔と蹲る少女を見つめながら祈り続けた。

 だが、願うだけでは叶わない。悪魔の高笑いと共に、少女の小さな頭は宙を飛んだ。


 哀れな〈ホビット〉の少女の首が刎ねられるのを、クライン・アンベルクは止めなかった。ただ、冷たい目でアラガンを見つめる。

 どうしようもあるまい。

 クラインはこの戦場に、弟子のアリシアを連れて来てしまった事だけを、ひたすら後悔していた。

 突然、クラインの全身が爆撃魔法を受けたような激しい衝撃に震える。咄嗟に障壁魔法を唱えるクライン。だが、周囲に変化はない。

 いったいなんだ? 

 クラインは障壁を維持したまま、衝撃魔法の準備をした。同時に、ハルトと呼ばれた男に兵士たちが組み付く。

 それを見たクラインは愕然として口を開けた。怒りに歪む男の顔に、ぽっかりと、黒い二つの穴が開いているのが見えたのだ。ハルトの眼球は揺れ動く黒い液体に濁っていた。

 馬鹿な、あれは魔女の瞳……。

 クラインは衝撃魔法を手前に放った。

 兵士たちの身体が捩れ、破裂するのと同じタイミングだった。ハルトから放たれた魔力は、クラインの衝撃魔法とぶつかって爆発する。障壁が激しく揺れた。

 ハルトは両手を横に振った。すると周囲に大爆発が起こる。クラインは障壁が壊れる刹那、呆然と立ちすくむアラガンを引っ掴んで、転移魔法を唱えた。

 この男には、この戦いの責任を取ってもらう。

 転移魔法で数百キロ先に描かれた陣の上に到着すると、クラインはアラガンを乱暴に突き飛ばした。陣のすぐ隣では、意識の無いアリシアが戦争によるショックでうなされている。

「ク、クライン……」

 アラガンは声を震わせて顔を上げた。その太い顎に強烈な蹴りを加えるクライン。アラガンを気絶させると、すぐにアリシアの頭を撫でて呪文を唱えた。アリシアの呼吸は徐々に安らかになり、やがて、深い寝息を立て始める。クラインは微笑むと立ち上がった。

 なるべく多くの兵を救出せねば。

 クラインは再び転移魔法を唱えた。

 

 殺す。殺してやる。

 半分意識を失った魔女は、狂ったように周囲を破壊し続けた。皆殺しにされた〈ヒト〉の兵。僅かに息のあった〈エルフ〉たちの息の根も止める。憎しみと怒りに支配された魔女は、殺し続けることで、僅かな理性を保とうとした。

「貴様が何なのかは、問わん」

 突然襲った後方からの激しい衝撃に、魔女の体が吹き飛ぶ。起き上がった魔女の左腕は逆方向にへし曲がっていた。魔女を見下ろす背の高い老人。老人の周囲には無数の光線が浮かび上がり、赤や青に煌めいている。

 腕を再生した魔女は、手を強く叩いた。左右から爆撃に襲われた老人の姿が見えなくなる。

「クライン様!」 

 上空から鋭い悲鳴が聞こえた。顔を上げた魔女は、夜空に浮かぶ〈ヒト〉を見つめる。長い黒髪を後ろに束ねた男は純白のローブを纏い、黒い宝石を付けた長い杖を両手に掲げていた。

 春人は指先を宙に浮かぶ男に向けた。身構える男。その時、巨大な白虎が爆煙から飛び出した。全身に赤い稲妻を纏った白虎。長い牙の奥で青い炎が渦巻く。

 魔女の体が白虎の巨体に押し潰される。強烈な電撃にのけぞる魔女。

「アステカ、兵を撤退させろ」

 白虎は地を震わすような低い声を出した。炎が口から噴き出す。

「クライン様! 既に兵はジェニファロッド様の誘導で撤退しております!」

「そうか、ジェニファ殿は相変わらずお早い」

 白虎は抑え込んだ魔女を炎で焼いた。意外にも魔女の抵抗は無い。白虎は更に激しく炎を吹き出した。高温で赤く溶け出す周囲の白石。空中からその様子を見つめていたアステカは、熱風で咳き込んだ。

 このまま殺せるか? 

 白虎は炎を吐きながら、大爆撃魔法の準備を始めた。ユートリア大陸の魔女の丘では、万が一に備えて、顧問官ゴートンと兵士たち控えていた。このまま魔女を殺すことが出来れば、文献通り新たな憤怒の魔女が丘に現れるはずだった。

「がっ!」

 突然、腹から背中にかけて衝撃が貫いた。白虎の腹を貫く青黒い槍。

 何だ、この魔法は!?

 白虎は辛うじて爆撃魔法を唱えると、その衝撃と共に後ろに吹き飛んだ。

 叫び声を上げたアステカは、血相を変えて白虎のそばに降り立つ。

「クライン様! お待ちください!」

 アステカは立ち上がろうともがく白虎に覆い被さると、槍を掴んだ。途端に腕に焼けるような痛みが走る。

 呪いだ。

 アステカは必死に槍を引き抜くと、放り投げた。そして、すぐさま白虎を、治癒魔法と呪阻魔法で治療する。

「は、離れていろ」

「動かないでください!」

「く、来るぞ!」

 無数の爆撃が二人を襲った。白虎の張った強固な障壁魔法で何とか致命傷は逃れたが、強い衝撃に二人は吹き飛ぶ。それでも爆撃は止まる気配を見せない。

「殺す」

 アステカはローブを脱いだ。爆撃の嵐がアステカの数歩手前で止まり、消滅していく。アステカの引き締まった身体には、隙間なく文字が彫られていた。白虎もふらふらと立ち上がると、燃え盛る赤い鳥に変化する。

 突如、眩い閃光が炸裂した。アステカは古代文字の刻まれた腕で目を覆い、火の鳥を守るように一歩下がった。だが、次の攻撃は来なかった。

 アステカは不審に思い、腕を下ろすと辺りを見渡した。

 既に魔女は何処かへと消えてしまっていた。

 

 

 

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