遺贈 蘭堂白露(らんどうしろう)




 衝撃だ。


「生前」でもこれほど衝撃的な光景は見たことがない。


 僕の顔を切り裂いて女…女といえるのか、全身に有刺鉄線を巻き付けた、顔だけは女の怪物だ…が石落としの偽装罠ブービートラップで押しつぶされる。


 身動きができない女の首を、少年がノコギリで切り落としていた。とびきりの笑顔で。


 燃やし、叩き潰し、引きちぎる。


 な力で、あの少年は怪物たちを蹂躙する。


 燃え盛る炎。爆発音。それらを背景に、きらめくような笑顔の少年。


 それが僕、蘭堂白露らんどうしろう瀬名駿せなしゅんの出会いだった。



 ***



 僕の魂はいま、この異界に縛り付けられている。


 正気を保っていられるのは、退魔師の大家たる蘭堂家の一員としての修業の賜物というやつだろう。ただ、これもどれくらい持つか分からないけど…。


 駿とは今のところギブアンドテイクという関係だ。魂の存在となった僕は、生身の人間に感じることができないものを知覚できる。この霧深い異界では重宝する能力だ。


 代わりに駿は僕と行動を共にする。僕が正気を保っていられるように、話し相手になってもらうのだ。あと願わくば、この異界に縛り付けられたを断って、僕自身の魂に平安をもたらしてほしいというのもある。


 そしてまた衝撃の事実。駿は妹の凪の事を知っていた。そして凪のせいでこの世界に閉じ込められたことも。僕は頭を抱えた。妹はその才能、霊力は本家随一といわれている。大切な妹だが、人格に大問題がある。性格が苛烈すぎるのだ。


 ただ、一方の駿はまったく気にしていないどころか、今度はどいつを狩ってやろうかと鼻歌交じりに鉈を研いだり罠を拵えたりしている。


 陰陽道などに所縁ゆかりのある人ではないし、武道の心得があるわけでもない。


 ひたすらに、異様なほどにずば抜けた生存者サバイバーとして、彼はここにいるのだ。



 ***



 霧が薄い。


 駿は眠れていないようだ。


 彼のいうところの「ベテラン」をかつてないほどの数殺し切ってしまったせいで、現世と異界とを隔てる瘴気が緩んでいる。


 瘴気に順応してきた身体が、今度は瘴気が薄まったせいで悲鳴を上げているのだ。



 もう一つの懸念。



 信じられないほどの期間を彼は生き残り続け、瘴気に当てられ続けた。その結果彼自身が怪物になりかけている。


 つらそうな顔で膝を抱える駿を見て、僕は覚悟を決めた。今の彼には『童子切』が必要だ。浄化の力が。破邪顕正はじゃけんしょうの力が。


 駿を神社へといざなう。敗北を悟った時、敵に追い付かれる直前に何とか童子切を隠すことができた場所だ。


 童子切は使い手を選ぶ。覚悟のない者、力のないものが触れれば刀に飲み込まれ、自身が童子おにと化してしまう。悪ければ彼のがいっそう進んでしまうかもしれない。だが今の彼なら、きっと大丈夫だと信じる。



 ***



 賭けに勝った。


 童子切は駿を持ち主として認めた。信じられないことに、嬉々として彼の手に納まったのだ。


 ちょっと妬ましい気持ちになったのに気づいて、僕は苦笑してしまった。



 ***



「長老」だ。


 僕も駿の『怪物分類法』にすっかり毒されてしまった。


 霧が急激に濃くなる。無駄だ。僕には正しい道が。駿が不敵に笑う。つられて僕も笑った。


 狩りのはじまりだ。



 ***



 意識が薄れていく。


 どうやらお別れの時がきたようだ。


 生前より死後の方が充実してるなんて驚きだ。


 今更だが駿に謝った。妹の凪のことだ。妹のせいで閉じ込められてしまったのだから。僕は彼女を甘やかしてしまった。いや、僕は彼女を恐れていたのかもしれない。一見冷静そうに見えるその瞳に、烈火の如き激情を宿しているのだ。


 駿は怒ってなかった。というよりどうでもよさそうだった。むしろ僕との別れをとても悲しんでくれた。


 僕という存在が消えようとしている。仏教でいうところの成仏と何が違うのか僕にはわからないしどうでもいい。だがせっかくだから実家の流儀に従うことにしよう。


 駿、君の魂が安らかならんことを願います。今の僕のように。


 そしてもしも、本当にもしも、妹の凪と運命が交差することがあったなら。図々しいお願いだけど見守ってあげてほしい。


 駿ありがとう。


 君なら大丈夫だ。


 君なら、なんだって乗り越えられる。

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