FRI. あと一日

新聞部員の章――Ⅵ




「――すいません、しつこいんですけど。付いてこないでください」

「そうはいってもねえ」

 廿日市が、後ろからねちっこい言い方する。「こうなったのも、土尾君がうんともすんとも言ってくれないからなんだよねー」

「だから、覚えてないって言ってるじゃないですか! そんな会議のことなんて!」

「またまた、そんな政治家みたいなこといわないで。俺たちは、なんとかその記憶を呼び起こしていただこうといろいろなヒントを渡しているじゃないですか。なあ、江田?」

「そうそう。5月10日の昼休み、君と安芸津とあと二人が目撃されている。話した内容も他の二人の様相も、記憶から抜け落ちているとはね」

「印象に残ってなかったんですよ」

「なるほどね。でも証言によると、君も存じていない二人のうち一人は背が低く、一年生だと思ったそうな。でも、テニス部員じゃない。君が知らないのは当然のこと」

 証言してくれた二年F組のコンビが覚えがないってことは、テニス部員である可能性は低い。

「だったら、なおさら自己紹介ぐらいはするよねえ? それすらの記憶の彼方へと飛んだのかなあ?」

「ああ、もううるさいな!」

 いきなり土尾が立ち止まった。下校の雪崩がせき止められ通行の邪魔と化しているが、批判を入れることをやめなかった。

「朝も昼も付け回されて――うんざりだよ!」

 怒りを込めて、土尾が叫んだ。でも、帰宅時の喧騒の中、それはただの雑音にしか捉えられなかった。

 僕は肩をすくめる。期限は明日だ。時間は迫ってきている。ここで土尾を家に帰したら、本当のゲームオーバーだ。なんとか手繰って見つけた唯一の希望を、ここで逃すわけにはいかない。

「とりあえず」律さんが、冷静に指示した。「あそこに座らせよ」

 正面玄関は、高さ二階、階段の踊り場に位置している。目立つところだが、しょうがない。土尾も諦めたように首肯して、扉の横に設置してあるベンチへと誘導された。

 座らせた一年生を、三人が取り囲む。傍から見れば上級生のいたぶりだろうか。

 完全に、下を俯いたまま土尾は固まった。廿日市は、苛立つように外の景色へと目を馳せる。こうなったら、我慢比べだ。三対一なら勝負は決まったものである。そのような手間はなるべく省きたいのだが。相手が折れてくれないならしょうがない。

それすら煩わしいと感じるなら、説得にかかるしかない。

 宮島ちゃん、と僕は手招きをした。同じ高さの目線でくる。少しどきまきしたのは、いうまでもない。

「さっきの僕の話、彼にしてくれない?」

「江田君じゃだめな理由が?」

「いや、その……」

 言い方を逡巡していると、察した律さんは小さなため息をした。

「『女』だからって扱われるのは、嫌なんだけど」

「……」

 何も答えられず押し黙っていると、「律にしかできないことだね」と廿日市が助け船をくれた。

「勇生。でも……」

「頼むからさ。な?」

 ここで、まあ見事に首肯しちゃうのが、良いのか悪いのか。得意げな廿日市の表情を見れば、僕の悔しさが上回ってしまうんだけど。

「ねぇ、いいかな」

 隣に腰を下ろした律さんが、小さく問いかける。土尾はピクリと動いたが、また元の体勢に振り戻した。

「5月10日に何が話されたのか。あなたはまだ隠している。少なくとも、私たちにはそう見えるよ。安芸津君が何をしようとしていたのか、分からない。でも、君と接触した理由は一つしかないと思う。

 青沼森吾君じゃないのかな」

 土尾の眉毛が、ひらりと動いた。風じゃない。瞬きしたせいだ。

「私たちは、あの会合にいたのは青沼森吾君なんじゃないかと考えているんだ。生徒会としては、『NGC』との関係を『左閣』に突かれるのが厄介でしかたがなかった。だから森吾君を使って『左閣』に一矢報いようとしたが、あえなくやり返されてしまって――」

「うるさい! うるさい!」

 咆哮だった。土尾は頭を抱え、左右に振る。脳内にウジ虫が湧いたかのような、苦しい唸り方だった。さすがに奇怪だったのか、帰りがけの生徒が、いくらかこちらに注目し始めた。

「あの、土尾君――」

「話しかけるな!」

 振り切って、立ち上ろうとした。まずい。僕は反射的に、手を肩へとかけた。なんとか抑えようとしたのだ。

「触るな!」

 土尾の腕が動いた。

 そのはずみだった。

 大きく動いた腕は、身体ではなく、顔面へと向かっていった。避ける暇もなかった。手の先は僕のサングラスへと向かい、黒い視界を露にされた。

「えっ……」

 サングラスが地面に落ちるのと、土尾の血の気が引くのは同時だった。

 ああ、まあ、そうなるよね。

 瞳は閉ざされ、輪郭は黒い。見るのも痛々しいほど、垂直に刻まれた傷痕。潰されたような眼球。自分でいうのもなんだけど、人間の正常とはかけ離れたものである。

 二度と戻ることのない、一生付き合わねばならない形状である。

 罪悪感だろうか。恐怖感だろうか。とにかく、やってしまったとの感覚が優先されたことだろう。土尾は何とも捉えられぬ言葉を発しながら、人ごみの中へと逃げ込んでいった。

「おい、てめえ!」

「追うな、廿日市」

 えっ、と足が止まった。僕は地面に落ちたサングラスを拾う。大丈夫。レンズも、ツルも無事だ。とりあえず安堵すると、また暗がりの世界へと入り込んでいった。いつもの見た目の、僕である。

「江田、どういうことだ」

「いいんだよ」

 廿日市は納得いっていなさそうな顔だ。さらに、畳みかける。

「いいんだ」

 諦観でも、責任放棄でもない。最善の手でしかない。

 急な脱力感が、僕を襲った。



         〇



 白山神社は、華月高校に隣接する由緒正しき神社である。何年か前に敷地内で問題を起こしたとかで出入り禁止となっているが、そんなものは関係ない。高い階段を一歩一歩、噛みしめていく。

「……うん、分かった。じゃ、明日行くよ」

 僕は電話を切り、ポケットにしまう。律さんが心配そうだったので、「アポは取れた」と笑っておいた。

「でも、相手方の気分次第らしいね」

「そう」

 命綱は、まだ外れていない。そんな一点の希望となる福山からの連絡だった。地上に落ちないだけでマシである。

 背もたれのないベンチがあって、そこに二人で腰を下ろす。ほんのりと温かさが残っていて、先客の影を想像させた。僕は鞄を堂々地面に置いたが、律さんは胸にちゃんと抱えたままだった。

「勇生はもう知ってたんだ」

 ポツリと、呟くような声だった。

「去年には、ね」

 事情を把握している廿日市には、別の用事を押し付けた。あまり嫌そうじゃなかったのは、逆に僕が申し訳なく感じてしまう。どちらにしろ、廿日市にも感謝をいれなければ。

「……痛いの?」

「いいや。日常の中で、痛みとかはもうないさ」

「ふうん……」

「驚いた?」

「うん。なんでそうなったか、訊いてもいい?」

 困ったな。手を頭の後ろにやるが、反面嬉しさがあるのも否めない。

「さして、面白い独眼竜エピソードなんてないよ。5歳の頃、机に引っかかって角の所にぶつけちゃったんだ。そして、こうなった」

 律さんは笑わない。黙って、話を聞いてくれているようだ。

「痛かったし、不便だったし、なにより悲しかったからね。うん、よく泣いていたのを覚えてるよ。あと小学校に入ったら、同級生を怖がらせてたね。泣いていた人もいたよ。僕が性格上弱いことを知ったら、からかってくるコもいて、みんなから『勇者』って称えられてたりしてね……」

 過去のことだ。どうにでもなる。それがあったからこそ、今の僕がある。そうポジティブに捉えられる人がいるかもしれない。

 そんなことを、面と向かって語ってくる人間とは、僕は友達になれないだろう。

「……辛かったんだね」

「ごめんね。辛気臭い話を聞かせて」

「いや。だって、私から聞いたんだし」

 風が軽く僕たちの隙間を通った。柔らかく、律さんの短い髪が揺らいだ。

「僕からも、一つ訊いていい?」

 チャンスは、逃したくない。「なんで、宮島ちゃんは新聞部に入ったの?」

 すると、おかしそうに律さんは笑い出した。あまり見れることがない表情だった。知らず知らず、心拍数が上がってしまう。

「なんだろうね。自分でも、分かんないかも」

 分かんないけど……と律さんは言い淀みながらも、はっきりと答えてくれた。

「江田君と勇生がすごい楽しそうだったから、かな」

 水平線の向こうに下がる夕日。

 明日も、同じ色づき方だったら、これ以上の喜びはない。

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