後編

 桜の開花予想がニュースを賑わせ始めた頃、彼女の留学日程を聞かされた。


 4月に彼女は日本を離れる。

 僕たちは、大学の卒業式の日に会う事になった。

 きっと、彼女と会うのはこれが最後になる、そんな予感がしていた。


 卒業式の後に会う約束だったので、僕はスーツに袖を通した。

 綺麗に着飾っている彼女に、恥をかかせないようにする為でもあるし、最後の瞬間くらいは、キリっとした自分で居たかったからだ。


 待ち合わせは、神宮外苑のカフェになった。

 待ち合わせ時間よりも早く着いた僕は、窓際の席に座って、彼女が現れるのを待った。店内は大勢のお客さんで賑わっていたが、周囲の喧騒など僕の耳には届かない。


 彼女が現れるまでの間、頭の中は二人の思い出で一杯だった。

 初めて出会った日のこと、札幌遠征の思い出、競馬場で過ごしたクリスマス…… 数え出したらキリがない。

 彼女は僕の前でたくさん笑い、クズのような僕と真っ直ぐに向き合ってくれた。

 僕たちは恋人のように寄り添って、貴重な時間を過ごしてきた。お互いの気持ちを確認しあった訳ではないが、周りの人が見たら、いい雰囲気だったのは間違いないと思う。


 もっと違う立場で出会うことができていたら……

 嘘などつかずに向き合えていたなら……

 「好きだ」、と言う思いをストレートに伝えて、二人の未来が開けたのかもしれない。そんな事を考えていたら、目に涙が浮かんできた。

 このまま静かな別れを迎えるだけで良いのだろうか?

 彼女の思い出の一コマで終わる事が正しい選択なのだろうか?


 きっと彼女は僕と過ごした日々を、ひとつの思い出として胸に留めて、フランスへ旅立つ。向うへ行ったら夢に向かって邁進し、そのうち僕のことなど忘れていくのだろう。

 それで良いような気がする。

 でも、何か違う……

 それでは僕の気持ちが納まらない。

 やっぱり、自分の気持ちを伝えたいし、嘘をついたまま別れたくはない。

 たとえ彼女の大切な思い出を傷つける事になったとしても……


 二人の道が重ならなくても良い、僕は彼女への思いと、偽ってきた経歴を話そうと決心した。


 彼女は10分ほど遅れて現れた。謝恩会が終わったばかりの彼女は、頬をほんのりと赤く染めていた。

 袴に薄ピンク色の振袖を合わせたその姿は、とても華やかで、店内のお客さんの目を惹きつけた。

 彼女が視野に入ると、それだけで周りの景色が輝き始める。

 その姿は美しい、でも何となく悲しげに映った。


 「卒業おめでとう…… とても奇麗だよ……」

 僕がそう伝えると、彼女は少しはにかんだ。

 僕はコーヒー、彼女はミルクティーを頼んで、向かい合った。

 いつもとは違う場所で会っているせいか、二人の間に緊張感が漂い、会話が途切れがちになる。

 店内に漂う明るい雰囲気が、僕たちのところへ影を作り出しているようだった。

 お互い何か大切な事を口にしようとしているのだが、言い出せない雰囲気がある。


 彼女が最後のひと口を飲み終えたタイミングを見計らって、外へ出ることにした。

 僕は会計を済ませ、カフェの外で待っている彼女の元へ急いだ。

 銀杏並木の街路樹にまだ青さはない。少し寂しげな通りを僕たちは絵画館へ向かって歩いた。


 カフェから数分歩くと、彼女がパタリと足を止めた。

 「卒業記念に一枚写真を撮りましょう」

 彼女の顔が、明るく輝いた。

 僕たちは道路の真ん中で肩を寄せ合い、絵画館をバックにして自撮写真を撮った。


 周りに人の気配はない。想いを口にするのは今だ……

 僕は覚悟を決めた。

 心臓がバクバクと音を立て始める。

 彼女と向かい合って、両手を握った。

 彼女は、驚いた顔をして僕を見つめる。


 「伝えたい事があるんだけど、いいかな……」

 彼女は、背筋を伸ばして小さく頷いた。

 「僕、かなえちゃんの事、好きなんだ……」

 彼女の瞳がキラキラと輝いたように感じた。


 「だけどね……」

 僕は、ありのままの自分を伝えた。

 カメラマンを目指して挫折した事、ただのフリーターで大した稼ぎなんて無い事、それに出会ってからもう一度、カメラマンの道を目指している事も付け加えた。彼女は僕の話をじっと聞き入り、涙をこらえながら話す僕を、悲しそうな目で見つめた。


 「だから、僕は好きになる資格なんてなかったんだ……」

 心の奥に留めていた思いを口にしたら感情が溢れ出し、とめどもない涙が零れてきた。

 すると彼女はハンカチを取り出して、僕の涙を拭った。


 「私もひろしくんの事、好きだよ。でもね、ひろしくんがプロのカメラマンだから好きになった訳じゃないの…… だから大丈夫だよ」

 彼女の優しさが、余計に僕の心を揺さぶる。


 「ひろしくんと競馬の話をするのが大好きだったの。いつも優しくて、私の事を大切にしてくれたよね…… それに初めて会った日に撮影してくれた私の写真、本当に嬉しかった。あの写真は宝物なんだ」

 僕は何も言えずにただ俯いた。

 涙を啜る音が聞えた。

 二人の間に沈黙が漂ったが、それを解消する術はなかった。

 沈黙に耐え切れなくなったのか、彼女は僕に背を向けて空を見上げた。

 そして、明るい口調で話し始めた。


 「私、もうすぐフランスへ旅立つの…… 不安で一杯だけど自分の夢に向かって頑張る! だから、ひろしくんも頑張って! お互い頑張って、また競馬場で会いましょう」

 振り返った彼女は目を輝かせていた。


 「そうね…… 今度はロンシャン競馬場がいい。10月の凱旋門賞はどう? パリのロンシャン競馬場で待ち合わせなんて素敵じゃない!」

 彼女の声は澄んでいて、とても心地よかった。

 全てをさらけ出して空っぽになっていた心に、彼女の言葉が染みた。

 僕は小さく頷き、彼女の手を握って歩き始めた。

 僕たちのエンドラインが、少し先に引き伸ばされた気がする。

 僕の心は熱を帯び、もう一度、彼女と会うために修行を積む覚悟を決めた。


 「ロンシャンか……」

 僕はぽつりと呟いた。

 そこに、彼女が居るかどうかは分からないが、僕の目指す場所は見つかった。


 「ロンシャンだよ……」

 彼女の可愛らしい声に、僕の心はくすぐられた。


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ロンシャンで逢いましょう T.KANEKO @t-kaneko

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