第5話 想起:トラウマ

 朱雀、鳳、凰の三匹が孵化し、使役されたため、八宝菜は雛用の餌を買いに行った。陰諧と雲日の餌は洞窟内の馬鹿でかい虫たちを、顔を顰めながら与えているが、幼鳥相手にそうはいかない。親友に厳しく鳥に甘いそふかは八宝菜の財布を空にする勢いで様々な商品を買い与えそうなため、留守番である。


 そんなわけで、そふかは“追放者の村”に来ていた。この数日ですっかり顔馴染みになった村の面々に挨拶しつつ、ふらふらと歩く。


 特に用もなく歩き回っていると、ある一画がやけに騒がしいことに気づいた。なるべく面倒事には巻き込まれたくないが、八宝菜ほどではないにせよ好奇心が強いそふかは自身の感情にあっさりと負け、その騒ぎに近づいていった。


「だーかーらー! こんな可愛くもない装備が何でこんなに高いのよ!」

「そうだよ!」「おかしいでしょ!?」「ぼったくりじゃない!!!」

「そう言われましても……。何度もご説明している通り、そちらの商品は機能性を重視しておりますので、装飾は極力減らされていて……。外見重視の商品でしたらこちらに……」

「そんな雑魚装備、使えるわけないでしょ!?」

「この店員、見る目ないんじゃないの?」「店長呼んでよ!!!」「お詫びにここの商品全部ただにしてもらうから!」

「生憎、店長は不在で……!」


 キンキンと周りを不快にさせる声音で叫ぶ女四人。どうやら、リーダー格が一人とその取り巻き三人が鍛冶屋の商品にクレームをつけているようだ。店員も困り果てていて、きょろきょろと助けを求めるように見回している。しかし、誰も地雷原には近づきたくない。野次馬はクレーマー女たちと一定の距離を保っていた。

 そして、様子を窺ったそふかは、


みたいだ…………吐き気がする)


 嫌な記憶が呼び起こされていた。後方から野次馬に紛れて覗いているため、顔も見えないその女たちに好感度の最低評価をつけて、そっと離れていった。


 腹立たしいことこの上ないが、会話しなければ害はない。リアルでもよくあることだ。顔立ちの整っているそふかは、女が周りにいる状況に——とても不愉快だが——慣れている。そふかとしては、ゲームよりリアルの方が性質たちの悪い距離の詰め方をしてくる頭の軽い女が多い。

 “追放者の村”は本来、長期滞在する場所ではない。神皇国へ行く途中のセーブポイントとして扱われる。長くとも明日にはいなくなるはずだ。二度と会うこともないだろう。


 そう、思っていた。






 今日は厄日だと、そふかは確信した。


「あの~、私たち初心者なんですけどぉ~。色々教えてもらえませんかぁ?」「ちょっと、ずるい!」「私も私も!」


 取り巻きの女三人がきゃあきゃあとそふかの周りで騒いでいた。そふかのアバターは他のプレイヤーよりも精密にできている。イケメンを前にして地声が分からないほどの猫撫で声を発する女たちに、そふかはすっと目を細めた。女たちは見ているだけで不愉快だが、とても不愉快だが、プレイヤーに対しては決定的なマナー違反をおこなっていないため、通報しても意味がない。故に、紳士的な対応でさっさと追い返すことにそふかは決めた。


「あー、そうだね……。僕が君たちに教える必要があることは、特にないよ。自由に冒険することがこのゲームの醍醐味だろう?」

「きゃー! 声も素敵!」「そうだ! これから私たち神皇国に行くんですけど、一緒に行きませんか?」「抜け駆けしないでよ! 私も一緒に行きますぅ!」


(話聞かねぇ……)


 心底嫌だと思いながら、礼儀の欠片もない誘いを断りつつ、この村から出て行ってもらうためのなるべく柔らかな表現を探していると、


「すみませぇん。私の友達が邪魔しちゃったみたいでぇ」

「は」


 その顔を見た瞬間、そふかは固まった。


(何で何で何で何でこいつがいるんだよおかしいだろこいつゲームやるような女じゃないだろ俺がゲームしてるって言ったらキモイって言ってたろ俺がやるのは駄目で自分がやるのは良いのかよふざけんな死ね死ね死ねもうやだこいつには二度と会いたくなかったのに怖い来んな怖い怖い怖い)


 恐怖で。


(何で何で何で——あ)






 ——回想。


「ねーねー。『FMB』ってゲーム知ってるー?」

「知ってるー!」「VRゲームだっけ?」「すごいリアルなんでしょ!」


 嫌で嫌でたまらなくて、自然と封じていた記憶が蘇る。

 教室に響くかましい声。不運にも中学生最後の年まで同じクラスになってしまったことを呪いながら、双葉はそっと息を潜めた。日直の仕事で教室に残っていたため、今教室から出れば見つかってしまう。二年のころのように直接甚振いたぶってはこないだろうが、確実に「あいつ空気読めないよねー」などとぐちぐち言われる。

 他のクラスの人間も、昼休みになった時点で教室を出るか、我関せずとばかりに本を読むか、勉強をするかの選択を取る。誰も、望んで関わろうとしなかった。


「皆、別の高校に行っちゃうし、どっか集まる場所がほしいじゃない?」

「分かった! そのゲームの中で集まるってこと!?」

「そういうこと!」

「私はさんせー!」「えー、私ゲームなんて持ってなーい」「彼氏にお願いすればいいじゃん!」

「アバターも自由に決められるみたいだし、可愛くしちゃおうよ!」

「えー! リナちゃんはそのままでも可愛いよぉ!」「そうそう!」「学校で一番の美少女だもんね!」


 んなわけねぇだろ死ね、と双葉は思ったが、口には出さない。もちろん、面倒なことになるためである。


「そうかなぁ? じゃあ、髪染めちゃおっかな。高校だと禁止されてるし」

「それいいね!」「私は超美少女にしちゃう!」「私もー!」

「どんな色が良いかな?」

「どんな色も似合うよ!」「ピンクとかどお? リナちゃん可愛いし、きっと似合うよ!」「目の色も変えちゃえば? カラコンも禁止されてたでしょ?」「ピンクブラウンなんてあざと可愛くない?」「きゃー! 可愛いー!」

「皆ありがとー! そうするぅ!」






 ——。


「別にぃ、この子たちも悪気があったわけじゃないんですよぉ」


 うざったらしい顔が、憎くてたまらない顔が、目の前のアバターと重なる。


「かっこいい人と会ってぇ、少しテンション上がっちゃってたっていうかぁ」


 自分双葉と話していたときの声とは明らかに違う、媚びた声で自分そふかに話しかけてくる。


「ほんと、ごめんなさぁい」


 自分双葉に向けていた蔑んだ目は、自分そふかをうっとりとした目で見つめている。


「さっきウザいやつに馬鹿にされて、イライラしてたときにあなたみたいな優しい人が現れて! ほぉんと王子様みたい!」

「そ、う、ですか……」


(怖い怖い怖い怖い怖い気持ち悪い話しかけんな無理近づいてくんな腕を組むな死ね殺したいでも怖い)


 その恐怖を、苛立ちを、不快感を、必死に飲み込んで、あくまで普通に対応しようとする。


「双葉ってやつが中学のときにいたんですけどぉ。そいつみたいに私のこと触ってきて、もうキモくて怖かったんですぅ!」


 だが、もう無理だった。


「う」


(おえっ)


 そふかはその場にしゃがみこんだ。


「えっ! 大丈夫ですかぁ!?」

「大変!」「どうしよう!」「rinaちゃん、<回復魔法>かけてあげて!」


(こわい)


 吐き気がする。


「嘘、全然効かない!」

「rinaちゃん頑張って!」「誰かいませんか!」「そふかさんって方が、突然うずくまっちゃって!」


双葉が倒れても、見向きもしなかったくせに)


「よぉ、どうした? そふか」


 そふかの上から声が降る。そふかのように作った声ではなく、地声。低い、しっかりとした男性声が、気心の知れた友人を相手するように優しく話しかけてきた。

 思わず顔を上げると、そこにはそふかのアバターに比べ、やや作り込みが甘いが、それでもなお美青年と言える容姿のプレイヤーがいた。そふかが儚げな美青年なら、彼は男前な美青年といったところだろう。何より目を引くのは、頭上に浮かぶプレイヤーネーム。


 ——八宝菜。


(……は?)


「それが……いきなりのことで、私たちにも分からないんですぅ」

「rinaちゃんの<回復魔法>も全然効かなかったし……」「どうすればいいか、私たちも分からなくてぇ」「もしかして、お知合いですかぁ?」


 こんな状況でもイケメン相手には可愛い子ぶるのを忘れない女たち四人に対して、青年は朗らかに笑った。


「そうだ、そふかは親友でな。今日もここで合流する予定だったんだ。うずくまってるのは、多分VR酔いか? すぐにログアウトさせておくから、心配しないでくれ。俺も付き添いでログアウトするわ。ありがとな、嬢ちゃんたち」

「いえいえ!」「お大事に!」「あ、良かったら私とフレンドに……!」

「悪いな、こいつ以外とはフレンドになんねぇって決めてんだ」

「で、ですよね! すみません!」

「じゃあな!」

「「「「はい!」」」」


 青年が去った後、女四人はきゃいきゃいと姦しい声を上げながら、宿屋に向かって行った。






「ヘイそふか! 気分はどうだい?!」

「…………最悪だよ」

「だろうね」


 目の前で美青年から元の幼女に戻った八宝菜は、いつものテンションでそふかに話しかける。


「さっきの」

「ん?」

「あれ何?」

「あぁ。まー、そふかとはやったことないゲームのアバターだから、知らなくても無理はないけどね。声は課金して変えてたのがそのまま反映された感じかな? 多分」

「そうじゃなくて」

「<実体化>はって言ったじゃん? そんで、どの範囲までなら化けられんのかなーって実験してたらいけた」

「そう」

「……」

「……」


 しばしの沈黙。先に口を開いたのはそふかだった。


「…………それにしても、珍しいね」

にゃにが?」

「君は人の不幸を指さして腹抱えて笑うタイプだろ?」

「確かにそうだけど、わたしだって親友の心配くらいするからね??? わたしのことなんだと思ってるのさ」

「親友が逆ナンされてるのを見て庇うでも助けるでもなく売りやがったクズ」

「わーお、言い方に棘を感じる。ごめんて。私も人の話聞かないタイプは嫌いだから、お前を生贄に捧げるしか方法はなかったんだ……!」

「助ける気ねぇな」

「クズだからね」

「知ってる」


 ぽんぽんといつものように交わされる言葉の数々。これが、自称「茶化さないと死ぬ病」であり、もっと言えば人を慰めるのが苦手、というより八宝菜なりの気遣いであることをそふかは知っている。


「いやー、それにしても災難だったな。まさかトラウマの元凶にエンカウントするとかどんな確率だよ。絶対URより低い。

 仕方ない。特別にデリバリー使役獣してやろう。陰諧のお届けに参りましたー。存分に愛でよ」


 八宝菜は影から陰諧を出し、そふかの傍に寄らせる。ひとしきり撫でたのを見ると、


「で、どうやって仕返しする?」


 八宝菜は言った。


「は?」


 そふかは呆然とした。


「拷問方法ならわたしが考えるよ! 有名なのがいっぱいあってね、スタンダードな串刺し、磔、あと普通に八つ裂きとか? この辺なら氷でできるから楽々手軽だね。ファラリスの雄牛とかカタリナの車輪とか鉄の処女アイアンメイデンとかユダの椅子とかユダの揺りかごとか、あーっと鉛のスプリンクラーとか! この辺は器具が必要だから多少準備がいるね。まぁ、貴族が隠してるやつ貰えばいっか。時間はかかるけど確実に苦しいし、足止めくらいならわたしも手伝うし! あ、ネズミ拷問なら鼠っぽい魔物をわたしが使役すればできるよ! でも、それじゃそふかの仕返しにならないか……?」

「いや待て、どうしてそうなった」


 指を折り、拷問方法を上げ連ねていく八宝菜を制止する。


「? そふか、負けっぱなしは嫌でしょ?」


 当然とばかりに、八宝菜は首を傾げた。


「負けず嫌いじゃん、そふかって。高々地雷女どもに怯えて震えて縮こまってるだけなんて、つまんないでしょ?

 それに、せっかく何でもできる世界なんだし——何でもしなきゃ、損ってもんよ」


 親友への信頼、信用。そして、自分の趣味、嗜好にこの世界を全力で巻き込むつもりがありありと感じ取れる自信と邪心に満ち溢れた笑み。


「……はぁ、拷問の方法は僕が考えるよ。僕にグロ趣味はないからね」

「えっ、拷問なんてグロ以外に見どころある?」

「いや、拷問って見どころ求めるもんじゃねぇからな???」


 「こいつ、さては自分がグロいの見たかっただけなんじゃ……」と、いつもの冷ややかな視線を取り戻したとき、


(あれ?)


 違和感があった。先程より前の、八宝菜が陰諧を取り出す直前の言葉。


(俺、あいつらのこと響に教えたっけ? 少なくとも、中学が違うんだから面識はないはず……)


 そしてふと、思いついたようにそふかの口からとある考えが零れ出る。


「……もしかして、元々あいつらのこと調べて知った上で、そして、今どうなるか分かった上で、僕に会わせた……?」


 そふかの荒唐無稽な仮説に、八宝菜は満面の笑みを浮かべた。


「トラウマ抱えたまま生きてるそふかとか解釈違いなもんで!!!」

「……それは本心じゃないだろ? 君、推しに解釈を押し付けないタイプだし」

「にゃはは! どうだろうね! どうだろうね! わたしに優しさを期待するなんて無駄だよ!」


 と、八宝菜は心底楽しそうに笑う。


「だって、クズだからね!」

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