【KAC20214】触れられない女

木沢 真流

触れられるようになるまでの話

「もう別れましょう、私たち」


 端的に彼女はそう告げた。俯き加減にに垂れた首から覗く、白く筋の通ったうなじ。さらりと溢れる艶のある濡羽色のがそこを撫でると、透き通った白い肌がより一層美しく輝いた。


「何でだよ」

「何でって。こんなの……長く続く訳ないわ。もう無理よ、私、もう嫌だ」


 ぼろぼろと滝のように溢れる涙。涙は女の武器とはよく言ったものだが、そんな切れ味のいい武器を使わなくても僕は君に勝てた事はない、それなのに。


「何で……今更?」

「今更? それはこっちのセリフよ。どうして黙っていたの? こんな大切な事」


 彼女とは付き合い始めてからもう五年。出会いは前の職場、僕らは同僚だった。


『富安さん、私と付き合った方がいい。直感でわかる』


 そんな彼女の言葉で僕らの交際は始まった。付き合って5年、そろそろ身を固めてもいいと思っていた、それなのに彼女は突然別れを告げた。理由は分かってる。僕がことを告白したからだ。

 顔をぐしゃぐしゃにしながら鼻をすする彼女。そのまま、ひどい、ひどい、とうわごとのようにつぶやいている。でもいくら涙が滝のように流れても、絨毯は一向に濡れる気配はない。


「だって……言ったら、君は僕の所からいなくなるかもしれないだろ? 言えるはずないよ」


 とは言え5年か、よくも僕は我慢したもんだ。


 彼女と付き合い始めて半年経ったある日のこと、別れは突然訪れた。仕事帰りの彼女のマーチを居眠りしていた4トントラックが押し潰した。一瞬の出来事だった。僕は悲しみに打ちひしがれ、毎晩インターネットの海に潜り込み、気を紛らわした。

 そんなある日のこと。いつものように夜中に電気もつけず、パソコンのディスプレイの光をじっと見つめながらネットサーフィンをしていると、突然PCが接続可能なネットワークを表示し始めた。駅や、公共施設であれば、無料Wi-Fiが接続可能なネットワークとして表示されるの時々ある。だがしかしここ数年この部屋に住んでいて他のネットワークが入り込んだ事は一度もない。僕はそのネットワークを見つめた。


「yomi-life-D-digoku? なんだこりゃ。パスもかかってない」


 アンテナは3本中1本。現れたり消えたりしている。おそらく隣人のものだろう。放っておこう。

 でも……。いたずら心に火がついた僕は試しに繋いでみることにした。

「あ、つながった」

 あまり長時間つないでいると気づかれる。隣人とは関係を持たないことにしている僕はあまりトラブルになるのもいやだったので、すぐ切断しようと思った。しかし、


「何だこれ、googleの画面が……」


 最初に現れるはずのgoogleのトップページ。あの白を背景に表示されるページがいつもと全然違っていた。紫の背景に、中心には重たい門のような趣味の悪い絵。何やら儀式に使いそうな小物のようなものがその周りを囲んでいた。その下に検索スペースが白く口を開いている。


「ネットワークを変えるだけでこんなことが起こるのか?」


 時は深夜、街は死んだように眠っている。何かが起きようとしている、そう感じた僕は半信半疑で検索をしてみた。


「死んだ人 生き返り」 


 少しためらいながらも僕はエンターキーを押した。

 すると一瞬で画面が切り替わり、黄緑一色の背景に、2行の文章、そして文字を打ち込むスペースが2つ見えた。僕はその2つの文を読んでみた。


「生き返らせる人の名前……。あなたの消費寿命年数——」


 生き返らせる人の名前と、消費寿命年数。この文章が意味するところは、僕が寿命を消費すれば彼女を生き返らせられるということか? 消費寿命の横に二桁の数字がある。僕は試しに10と入れるとその数字が10個減った。

 仕組みはわかった。僕の寿命を消費すれば、彼女を何らかの形で生き返らせることができる、ということか。本当だろうか、どうせ僕はこのままでは生きていたって意味がない。試しにやってみよう、そう思った僕は適当に数字をいれエンターキーを押した。


「!?」


 僕は怖くなって振り返った。


「…………」


 そこには何もなかった。もちろん彼女はいなかった。


「そうだよな、何を本気マジになってるんだか——」


 次の瞬間、トイレからジャーという音が鳴った。そしてガチャリと扉が開いた。


「あれ、ようちゃんまだ起きてたの? そんなにネットばかりやってると病気になるよ」


 彼女だ。パジャマ姿でトイレから出てきた彼女はあまりにも自然にそこにいた。


「何? おばけでも見るような目して」


 僕は間違っていない。


 それから彼女との生活が再び始まった。

 その奇妙な暮らしも、徐々に仕組みがわかってきた。まず彼女が見えるのは僕だけ、そして触れることもできない。触ろうとすれば突き抜けてしまう。でも会話もするし、こちらが話しかければ普通に返してくれる。

 そして、どうやら彼女は自分が死んでいることに気づいていない。どういうわけか部屋から出ようとしないし、知り合いに会おうとするような事はしなかった。

 十分だった。触れられないこと、知り合いに話せないことを除けば、彼女は生き返ったのだ。僕はまた前の生活を取り戻した。

 それから5年。さすがに隠し続けるのも気が引けたので、思い切ってこの経緯を彼女に告白したのだ。それがこのザマだ。

 僕がもういちど泣き崩れる彼女に目をやったその時、ちょうど彼女が立ち上がるところだった。


「おーい、どこ行くの?」


 彼女は背中を向けたまま答えた。


「出ていく」

「出ていくって……あてはあるの?」


 振り返った彼女は頬を真っ赤に染め、口をへの字に曲げていた。


「知らない! でも私がいなくなれば、あなたはもっと生きられる。だったら私はいないほうがいい。さよなら」


 そう言って彼女は僕のアパートから出て行った。急いで追いかけたがもう彼女の姿はどこにも見当たらなかったし、その後二度と彼女を見つける事はできなかった。

 数日後、僕は偶然高校の同級生と会う機会があった。彼女がいなくなって落ち込んだ気分を少しでも変えられたら、そんな願いもあった。そいつは高校のバスケ部の同級生で、一緒にアホもやった心を許せる友人だった。

 さすがに全てを正直に話すわけにはいかなかったが、今の気持ちも話してみた。おそらくこいつとは今後も接点はないし、話しても大丈夫だろう。彼女と別れて落ち込んでいる僕に彼はこう励ましてくれた。

 

『お前はそれでいいのか? 運命は自分で切り開くものじゃないのか? 好きなんだろ? 彼女のこと。彼女お前のこと試してるんじゃないか? 本当に自分のこと大切にしてくれるか』


 その言葉に僕は目が覚めた。

 そうだ、僕には彼女しかいないんだ。僕は彼女とずっと一緒にいたい……。

 僕はアパートに帰ってから、深夜にパソコンを開くとあのネットワーク「yomi-life-D-digoku」に繋いだ。そして検索をする。


「死んだ彼女 一緒になる方法」


 すると一瞬で画面が切り替わった、そして現れた画面をみる。大方予想はついていた。こうなるだろうと。

 僕は残り寿命年数を全て打ち込むとエンターキーを押した。端数があり、それが僕の残された寿命となった。1ヶ月だった。

 決まり通り僕は一ヶ月後、死んだ。なるべく不自然な死に方にならないようにと、亡くなる瞬間はランニング中とした。胸が苦しくなり、道端に倒れ込むと、そのまま意識を失った。思ったより苦しまずに死ねたのが良かった。

 ふわりと浮かぶ体。空から見下ろすと、誰かが救急車を呼んでくれた。どうせ助からないのに。そのまま僕の体が病院へ運ばれるのを見送った。


「あーあ、来ちゃったね」


 彼女の声を久々に聞いた。僕は何と答えればいいのだろう。


「お待たせ」

「お待たせ……ね、ウケるわ。せっかく別れたのに。意味無かったね」


 これでよかったのだ。こうして僕らはまた同じ世界にいられるようになった。今までとは違ってお互い触れ合うこともできる。『本来あった寿命の間だけはこの世界に残れる』とあのサイトには書いてあった。しばらくは安泰だな。


「せっかく一緒になれたんだから、デートでもする?」

「そうだね、何年ぶりだろう」


 実体が無くなった以外はそれほど不自由はしない。この生き方も悪くないな、いや死んでるから生きてはないか、なんてことを考えながら空を飛び、彼女のお気に入りのセレクトショップへ向かった。

 一つだけ気がかりなことがある。

 バスケ部の同級生のあいつだ。中途半端にカミングアウトしてしまったし、色々脚色して話してしまったから、僕が死んだって聞いてあいつ今頃驚いてるだろうな。ほんと、ごめん。

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