舞姫は微笑む

If

舞姫は微笑む

 若い女性が二人、亡くなった。


 瀬永あいら。二十一歳。職業はダンサーで、最近動画投稿サイトで人気を博していたらしい。彼女は歩道橋から転落し、その後、下を走る自動車に撥ねられて死亡した。


 水本友梨。二十四歳。職業は小学校教員で、持ち前の溌溂さで子供たちに好かれていたという。彼女は瀬永を撥ねた車の運転手だった。ちてきた人間を避けようとしたのだろう、ハンドル操作を誤って——おそらくは動揺でアクセルも踏み込み——歩道橋の柱に突っ込んだ。やはり彼女も、死亡した。


 念のためと呼ばれた現場だった。瀬永の方が自殺、水本の方が事故で処理されようとしていたし、荘司しょうじも最初はそう考えた。しかし時が経てば経つほど、違和感が膨らんでいったのだ。


 この二人の死には、何かがある。


 それが『刑事の勘』と呼べるほどの代物しろものか荘司には判断がつかなかったけれど、もう少し調べてみようと思った。


 ■


 現場に程近いところに、瀬永の家はあった。一軒家で、彼女の部屋は二階にある。そこからは、例の歩道橋がよく見えた。


「あの子が自殺なんて、あり得ません」


 母親は、巻き込まれた相手への謝意を何度も口にしながらも、そう主張することも忘れなかった。


「遺書らしきものは、どんなに探しても見つかりません。あの子、ダンサーとしてようやく認められて、毎日が楽しいって……本当に活き活きしていて。刑事さん、あいらは誰かに殺されたかもしれません。それか、脅迫されていたとか。調べてください。お願いします。どうかお願いします」


 他殺はないだろう。事故当時は黄昏たそがれ時で、多少視界が悪かったのは否めないが、車道に車の通りは多かった。そして周辺には瀬永家始め住宅も多く並ぶ。聞き込みは入念に行ったが、歩道橋やその付近で瀬永以外の歩行者を見たという証言は、まるでなかったのだ。そもそも、歩道橋の柵には一メートルほどの高さがある。無理やり突き落とすなら、少なくとももみ合いにはなるだろう。他殺で目撃証言が一つもないというのは、ほぼあり得ない。その線は切れる。


 そこまで考えながらも、荘司は頷いた。今を時めくダンサーの突然の自死が不自然であるという点には、同意できたゆえに。


 ■


 水本家にも話を聞きに行った。両親は自慢の一人娘の死を受け入れられず、酷く憔悴しょうすいしていた。無理もない。


 とても長く話ができる状態ではなかった。用件は五分程度で済ませ——もとより水本の両親に聞きたいことはさほどなく、水本と瀬永との間に何らかの関係がなかったかを確かめただけである——意味があるか分からない慰めをいくつか残して、荘司は立ち去ることにした。


 ■


「刑事さん?」


 現場にたたずんでいると、背後から声を掛けられた。


「あ、やっぱりそうだ。俺のこと覚えてますか? ほら、水本さんの真後ろにいたトラックの、吉沢です」


 職業柄、荘司は人の顔と名を覚えるのが早い。一度聴取を行っていたから、名乗られずとも分かったが、今気づいたように「ああ」と言っておいた。


「こんにちは、吉沢さん。お供えに?」


 吉沢は、花束を抱いていた。


「ちょっと夢見が悪くてね……」


 吉沢はしゃがんで、車がぶつかった柱のところにその花束を供えた。両手を合わせて黙祷を捧げ、それから荘司に向き直る。


「聴取のときにはね、見間違いだろうと思って言わなかったことなんですけど、ちてくる瀬永さんとね、目が合った気がしたんですよ。水本さんの車、軽で小さかったでしょ? だから墜ちてくる人が、よく見えて」


「そうでしたか」


 それは、トラウマにもなるだろう。仕事に差し支えなければいいが。荘司がそう考えていると、吉沢は突拍子もないことを言った。


「刑事さん、自殺する人間って、笑うものですかね」


「笑う?」


「瀬永さん、笑ってたんですよ。それはもう、ぞっとするほど綺麗に。笑えるはずがない、見間違いだって思ってたんですけど、毎晩夢に出てきてね……でも、やっぱり見間違いですかねぇ」


 自殺する人間がどのような表情をするのか、荘司の知るところではない。しかし、笑うという表情は、自殺から最も程遠いところにあるものだと想像するのが一般的ではなかろうか。


 もしかして。今度働いた直感は、最初に覚えた違和感よりもずっと、『刑事の勘』に近いような気がした。


 ■


 荘司は、シエラ——瀬永のハンドルネームだ——がかつて投稿した動画を見ていた。精力的に活動していたらしく、膨大な量の動画があったが、そのほとんどがダンスを披露するものであった。荘司が探していたのは彼女が何かを語っている動画であり、その条件に適合した動画は幸い数少なかった。


『私は、踊るのが本当に好きなの。本当に好きなことならやり通せるし、やり通せばいつか認められる。そう信じることが何より大事だって、私は思うよ。結局夢を叶えられる人とそうじゃない人の差って、心の強さなんじゃないかな?』


 俗に言う『顔出し』で動画を取っている彼女は、どの動画を見ても自信にあふれているように見えた。活力に満ちて、母親がそう言ったように自殺の兆候など全く見つからない。


 死を迎えるその日まで、彼女は生気のみなぎった笑顔で踊り続けていた。『刑事の勘』が、荘司の内側でそっと頷いたようだった。


 ■


 最後の鍵を手に入れるために、荘司はある男の家を訪れていた。


「岡尾健次郎さんですね」


 現れた男は、落ちくぼんだ目を俯けて頷く。


「お話、いいですか」


 もう一度頷き、岡尾は荘司を部屋に通した。中には物が散乱しており、足の踏み場に困りながらも、一応は片づけられたテーブル傍までたどり着く。


「どうして私が伺ったか、お分かりですか?」


 今度は頷く代わりにテーブルの上に突っ伏して、水本の婚約者だった岡尾は、声を上げて泣き始めた。


 ■


 結論から言えば、今回の二人が死亡した一件は、殺人事件であった。


 誰が誰を殺したのか?


 瀬永あいらが、水本友梨を殺したのである。我が身を凶器にして。


 瀬永の部屋からは、歩道橋も、その下を通る車道もよく見えた。そして水本は毎日同じような時間帯にその道を通って帰宅していた。瀬永は水本の車を狙いすまして、墜ちたのである。


 水本を殺すことが目的だったのか、そこまでは分からない。一番の目的は、岡尾を傷つけることだったのだろう。


 岡尾は、瀬永の——シエラの最初のファンだった。彼が定期的にシエラの動画に応援のコメントを残し始めたことで、シエラの活動は活発になっていった。シエラはケン——岡尾が使っていたハンドルネームだ——に大変感謝し、そして次第に特別な感情を覚えるようになっていった。二人はSNS上でやり取りをし、どうやら一度会ったらしい。その際、二人で近場のホテルに一泊している。


 岡尾の方は遊びだった。しかし、瀬永の方は本気だった。その後もしばらくはSNSでやり取りがあったようだが、岡尾が瀬永との温度差に気づき、関係を断ったようだ。瀬永はそれでも諦められなかった。これまでのやり取りで程近いところに住むことを察していた瀬永は、岡尾を探し回り、そして見つけた。瀬永のスマートフォンの位置情報から、自宅まで特定していたことが分かっている。何度も足を運ぶうちに、岡尾には結婚を誓った恋人がいることも、知ってしまったのだろう。


 瀬永は水本についても調べあげ、偶然にも水本がちょうど家の前の道路を毎日通ることも知った。犯行を思い立ったのは、きっとそれからだ。


 走る車にぶつかるように墜ちるなんて芸当、普通はできない。だが、瀬永は優れたダンサーだった。拍に合わせて身体を動かすことに長けていたし、身軽でもあった。柵をひらりと飛び越え、そうして走る車に合わせて墜ちたのだ。微笑みながら。


 我が身を犠牲にしてまで、そして罪のない水本を巻き添えにしてまで、岡尾を傷つけたかったのか。刑事として動機になり得ると考えることはできるが、理解は到底できそうにない。


 ■


 事件から一か月後、シエラが新たな動画を投稿した。予約投稿だったのだろう。シエラはこれまでと変わらない躍動感ある踊りを見せ、動画の最後にカメラに向かってこう言った。


『私のこと、忘れさせないよ』


 荘司は背が冷えるのを感じた。カメラを真っ直ぐに見つめる瀬永あいらは、不気味なほど美しく微笑んでいた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

舞姫は微笑む If @If_

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ