第13話 過去編⑥:浅影透夜

 もう持ってきたペットボトルの中身は空になってしまった。喉は乾いたし昼になって太陽がこれでもかというぐらい暑さで肌を焼き付けてくる。

 そうこう歩いているうちに朝に女子高生と出会った例の自販機まで着いてしまった。さすがに今朝の女子高生がいるわけないだろうけど、心のどこかで期待してしまっている自分がいるのかもしれない。今度こそは、夢のこととか関係なしに話がしたい。今朝の会話は夢のこともあって、自分が会話している気がしなかった。まるで自分が操っているゲームのキャラが話をしている気分だった。相手にもなんとなく失礼だし、対等に話がしたい。


「ん?」

 誰かベンチに座っているじゃないか。

 まさかな……まだ昼だしいるわけないだろ……。


 ――いた。朝の女子高生だ。

 こんなにもすぐ会えることになるとは思わなかった。もしかしたら、二度と会うことすら思っていたのに。

 午前中だけ学校に行っていたのか? さすがに朝に出会ったときから今の今までここにいるのはありえないだろう。

「あ。 朝の男の子じゃないですか」

 相手もこちらに気づいたらしく声をかけてくる。だけど、どこか様子がおかしい気がする。朝は肌が澄んだように白かったのに、今は顔が赤い。それに若干だけど息が上がっているけれど大丈夫か?


「そうですけど……朝の女子高生ですよね?」

「……そうです」

「苦しそうですけど大丈夫ですか? 水分とか取った方がいいんじゃないですか?」

 さすがにずっとここにいたわけじゃないだろうな? なんとなく嫌な予感がする。

「君は優しいですね」

 彼女の頬を汗がゆっくりと伝う。

 そばに置いてあるペットボトルの中身はもう空だ。

「か、買わないと……」


 彼女はそう言って立ち上がろうとしたその瞬間、崩れ落ちるように倒れそうになる。

「……ッ!」

 倒れる寸前で彼女を受け止めることができた。彼女の細い肩をしっかりとつかむ。

「大丈夫ですか!?」

 息が上がっている。熱中症だろうか。

 このままでは危ないし、とりあえずここにいてはダメだ。

「……うっ」

 意識はまだあるが朦朧としている。

 ここから急げば家まで五分くらいで着く。背負っていこう。

 こちらの事情なんて気にせず太陽は照り付けている。

「……クソ。急がないと!」



「――ただいま! 誰か助けてくれ!」

 玄関を思いっきり開けてから俺はありったけの大声で叫んだ。

 奥の方でバタバタと音がする。

「どうしたの!?」

 真衣さんが心配した様子で駆け寄ってくる。俺は軽く事情を説明してから、真衣さんと自分の部屋のベッドに運んで、彼女を横に寝かす。


「病院に行った方がいいんじゃないかな?」

 真衣さんがそう言うと、彼女はゆっくりと口を開いた。まだ意識はあるようだ。

「……病院だけ、は……やめてくだ、さい……病院、だけは」

 相当辛いはずなのに、必死に訴えかけてくる。なにかあるのだろうか。病院に行ってはいけない理由が。

「意識はあるようだけど、少しでも私が危険に感じたら救急車を呼ぶからね。これだけは約束してね」

 普段、穏やかな雰囲気の真衣さんの真剣な表情は初めて見た。頼りになるし、それほど彼女の命が心配なのだろうけれど。

「私は、冷えピタとか色々もってくるね。透夜君はここで様子を見てあげてね」

「分かった」

 

 真衣さんを待っている間、俺は彼女のそばにいるという使命を全うしよう。

 意識はあるようだし、呼吸も落ち着いてきたからとりあえずは安心だ。

「――ごめんなさい」

 今にも消えてしまいそうなほど弱い声で彼女は口を開く。

「謝ることはないですよ……。体調は大丈夫ですか?」

「……はい」

 しばらく安静にさせよう。

 それにしても、もしかしたら朝からあのベンチにずっといたのではないのか? それに病院を拒んだ理由も気になるし、色々と不明な点ばかりだ。

 その後、真衣さんは冷えピタやスポーツドリンクなどを持ってきてくれた。彼女は寝てしまったけれど、落ち着いてよかった。

「それで、詳しく聞かせてもらおうかな。透夜君」

 さっきは道端のベンチで倒れていたことと、おそらく熱中症だろうとしか伝えていなかった。詳しくというけれど、俺も詳しく知りたい。名前すら知らないし。

「朝に出会って、昼に倒れてた」

「…………それだけ?」

 若干の間が空いた。顔は笑顔だけれど、声に圧を感じる。そりゃあ、俺も説明をあまりにも略しすぎたとは思うけど、しょうがないだろ……。

「俺も彼女のことはよく知らないし、少し話したくらいなんだよ……」

 真衣さんは、彼女のおでこの冷えピタの温度を確認しながら答える。

「きっと暑さにやられてしまったのだろうけど、身体も心配だなぁ……こんなに細いけどちゃんと食べてるのかなぁ」

 きっと色々と思うことはあるのだろうけど、真衣さんが俺に問い詰めてくることはなかった。これも真衣さんの優しさなんだろうけど。

 

 その後、彼女が目覚めるまで俺は付き添うことにした。真衣さんはなにかあったらすぐ呼ぶようにと言って戻ってしまった。

 目覚めたらなんて声をかければいいのだろうか。

 朝、出会ったときも思い詰めた様子だったし、今もこうして身体を壊してしまっている。病院に行きたがらない理由も引っかかるしな……。

 彼女のゆっくりとしたリズムの寝息が静かに聞こえる。こんなに綺麗な顔をしているのに思い詰めるようなことあるのだろうか。彼女の寝顔を見ながらそんなことを思っていると、瞼がゆっくりと開いた。


「――起きました? 体調は大丈夫ですか?」

「……はい」

「とりあえず、水分取った方がいいですよ」

 俺は、スポーツドリンクを彼女に手渡す。

 彼女は飲み終えると、なにかを思い出したらしく慌てた様子で俺に聞いてきた。

「――今何時ですか!?」

 部屋の時計を確認すると、もうすぐで六時になろうとしていた。外はまだ若干明るい。夏になって日が暮れるのがずいぶんと遅くなった。

「六時くらいです」

「早く帰らないと……」

 起き上がって早々時間の心配をする彼女から焦っているのが伝わってくるけど、体調からなのか焦りなのか、顔色が白い。

「とりあえず落ち着いてください。まだ体調が優先ですよ――」

「ダメなんです!」

 どうしようか……。こういうときどうすればいいんだ?

 俺があたふたしていると、とてつもなくナイスタイミングで真衣さんが襖を開けた。

「一応、まだ安静にしていなさい」

「でも……」

「透夜君が助けてくれなかったら、帰ることもできなかったかもしれなかったんだよ?」

 若干厳しいことは言っているかもしれないけれど、真衣さんの口調は優しい。子供に言い聞かせるような言い方ではなく、本当に自分のことを思ってくれているんだなっていうのが伝わってくるのだ。

「……ごめんなさい。助けてくれてありがとうございます」

 彼女は俯きながらもしっかりとお礼を口にした。

 出会ったときは不思議な雰囲気だなと思っていたけれど、人間味を感じてなんとなく嬉しくなった。

「どうしようねぇ……早く帰らないといけない理由は分からないけれど、私から保護者の方に連絡しようか? もちろん家まで送るよ?」

 彼女は罰が悪そうに、目を逸らす。

「……少し考えてもいいですか?」

「もちろん。 じゃあその間、私はお鍋の様子を見に戻るね。晩御飯作ってる途中だったの。すぐ戻ってくるからね」

 笑顔でそういうと真衣さんはまた戻っていった。

 戻っていくのはいいとして二人はなんとなく気まずいな……。


「……あー……ちなみに俺の名前は透明の透に夜って書いて透夜って言います。 ずっと気になってはいたのですけど、名前聞いてもいいですか?」


「……稲宮詩央里って言います」


 名前さえも綺麗なんだなとか浅い感想を抱きつつ、俺はもう一つ気になる点を聞くことにした。

「あと……なんで年下の自分なんかに敬語なんですか? 全然いらないですよ?」

 詩央里さんは首を傾げて考える。

「癖……ですかね? まぁ透夜君がそういうなら外そうかな」

 ニコッと笑う彼女。

 正直、まだまだ彼女の気になる点はたくさんあるけれど、どこまで踏み込んでいいのかわからない。 

 きっと真衣さんも同じことを考えて、深くは聞かなかったのだろう。

「それから改めて助けてくれてありがとう。透夜君。さっきの女の方にもお礼を言わないとね」

「倒れたときは焦りましたけど、助けるのは当然のことですよ」

「……そっか」

 表情は笑っているけれど、さっきと比べてどこか素っ気ない気がする。俺の気のせいだろうけど。

 

 真衣さんが戻ってくるまでお互い無言の時間を過ごした。

 詩央里さんは結局、親に連絡を取らないことにしたらしいけれど、真衣さんが家まで送るということになったらしい。

 晩御飯を食べていってもいいんだよ? という真衣さんの言葉にも愛想笑いを浮かべて断っていた。


「またね」

 別れ際、詩央里さんはそう言って真衣さんの車に乗った。その表情はどこか切ないような、困ったような笑顔をしていた。


 結局、名前以外何も聞けなかったな……。

 


 

 


 



 

 




 

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