クリスマス諜報員

星野 ラベンダー

クリスマス諜報員

 「お疲れ~」


 背後からのそんな言葉と共に、すっと湯気のたつミルクティーが置かれる。

振り返ると、先輩がカップを手に、「仕事は慣れた?」と尋ねてきた。


「いえ……なかなか大変です」


 私は力なく首を振ると、置かれたカップを手にし、一口啜った。まろやかな風味が口に中に広がり、思わずほうっという息が零れた。


「そうだよね~。この仕事、地味な割にきついもんね」

「正直舐めてました。まさかここまで大変だとは……」


 机の上にある分厚い書類の束を手にし、げんなりと肩を落とす。

 そこには、沢山の人の顔写真と、簡単なプロファイリングが記されていた。指の第一関節で、軽く紙の束を叩いてみせる。


「だってこれ全部ですよ? この量を一人で調べるんですよ?」

「そういうもんだよ、この仕事は。むしろあなたは少ないほうだよ。まだ新米だからね」

「割とブラックですよね、この仕事」


 私がこの仕事を始めたのは、今年からだ。まさかこんなに重労働だったなんてと、本音が溢れ出る。


「まあねえ。っていうか、そろそろ期限が近いけど、どう? ノルマ達成、間に合いそう?」

「微妙ですね……。まだわからない人が何人かいて」

「ありゃ、大変。それはしっかり調べないと!」

「はい、わかってます……。なので、それじゃまぁ、ぼちぼち行ってきます」


 ごちそうさまでしたと紅茶のお礼を言い、空になったカップを片付ける。


「欲しいものをあらかじめ言っといてくれたら、これ以上に楽なのはないんですがね…」

「でも、本当に欲しいものを隠してたり、気づいてなかったりする人もいるからね。けど、故意で言わない人のほうがはるかに厄介だよね、私達にとっては」

「全くです」


 行ってらっしゃいと手を振る先輩にお辞儀をすると、事務所を出た。


 外界に吹く木枯らしは酷く冷たく、本格的な冬の到来を予想させる。冷たい風に煽られ、マフラーやコートの裾がぱたぱたとはためいた。

 うう、と私はマフラーに顔を埋めながら、黙々と目的地まで足を進めた。


 町を歩けば、既にクリスマスグッズなどが売られている店が多く目につく。

 また町でかかっているBGMも、クリスマスのそれを連想させるものだった。まだ一ヶ月以上も先だというのに。


 しかし、これくらい早くしないと、いわゆるクリスマス商戦には間に合わないのだ。


 だがそれは、こちらの仕事とて同じこと。むしろこちらは、今年の一月から既に動き始めているのだ。そうでもしないと、とても期限の日付までに間に合わない。


 歩きながら、数枚の紙を取り出し、そこに目を通す。先程の書類から抜いてきたものだ。


 ここに書かれている数名だけ、未だに「欲しいもの」がわからない。

 顎に手を当てながら、趣味や好きなもの、嫌いなものが書かれた欄を見て、懸命に推理を試みる。


 ただ正直、この欄に書かれていることはそこまで当てにならないと、先程の先輩は

言っていた。


 結局は本人の心次第であり、私達はいかにそれを引き出せるかにかかっている、と。


 まずは外堀から埋めていき、やがてターゲットに接触する。時にはかまをかけたりして、そしてターゲットが真に求めているものの正体をつかみ取る。


 決して焦ってはいけない、とにかくまずは順番をふむことが大切だと。急く気持ちを抑えつつ、一歩一歩慎重にいかないと。心の底は見えてこない、と。先輩達や仕事仲間はそう言う。

 それがこの仕事の一番のコツであり、モットーなのだと。


 ただ、こういうと格好良く見えるだろうが、現実は字面以上に地味な仕事である。

 実際は張り込みと尾行のオンパレードであり、とにかく体力が削られる。


 好きなときにやっていいという謳い文句であったが、実のところ時間も大いに削られる。


 地道な積み重ねを最も必要とする仕事でもあるので、忍耐力だって馬鹿みたいにいる。


 それにターゲットと接触するということになったときの精神の疲弊具合といったら、半端ではない。怪しまれないよう上手いこと近づくため、それはそれは入念な下調べや準備が必要となるのだ。


 接触時だって、ぼろを出さないように、とんでもなく気を使う。


 そんな大変な仕事になぜ就いたかと問われると、前述の好きな時にやれるという謳い文句に惹かれたのと、報酬に目がくらんだからだ。


 恐らくこの仕事をしている人ほぼ全員が、報酬目当てだと言っても過言ではないはずだ。良い報酬を受け取るため、なんとしてでも期限までに、ノルマを達成し、全うしなければならない。失敗した分、ノルマ不達成の分だけ、お目当ての報酬のランクは落ちていく。


 ふと、ある雑貨屋の前を通り過ぎた。

 やはりその店もクリスマスモードになっており、店頭にサンタクロースの置物が飾られていた。


 それを見やりながら、サンタクロースも大変だなと感じる。一晩のうちに、この星全ての人々にプレゼントを渡さなくてはいけないのだから。


 しかし、私達の仕事だって充分大変だ。その上私達はサンタクロースと違い、全く有名ではない。メジャーではない。その赤い服と白い髭、大きな袋の影に隠れた存在なのだ。


 吐いた白い息は、やがて宙へと溶けて消えた。


 私達の仕事は、クリスマスに世の中の人々が何を欲しがっているかを、サンタクロースに伝える仕事。


 本当にその人が欲しがっている、一番のプレゼントを調べて探し当てる仕事だ。


 クリスマスに、欲しいものが手に入ったと喜んでいる方々。お礼はサンタクロースではなく、私達に言っていただけないだろうか。だって、私達が調べて探し当てたのだから。


 欲しいものじゃなかったと嘆いてる方々。それはもう、ごめんなさいとしか言えない。


 もし良ければ次の年から、欲しいものをあらかじめ周囲に言っておいてくれないだろうか。私達は普通の人間。人の心を全て読むなんてことは出来ないのだから。


 そういえば聞かれてないけれど、先程述べた私達の報酬。それは、クリスマスに支払われる、「奇跡」だ。


 私達が本当に欲しいもの。心の底から欲しがっていたものが、支払われる。


 そして、失敗したり間に合わなかった仕事があると、それだけランクが落ちる。


 失敗というのは、人々が本当に欲しがっているものを見抜けず、別のものを伝えてしまう事だ。

 期限であるクリスマスイブが近づいてくると、つい焦ってしまい、そういう「失敗」をする人が毎年何人もいる、と先輩達は言う。


 失敗をすると、私達に支払われる奇跡が、二番目に欲しいもの、三番目に欲しいものといった具合に、下がっていく。

 十番目に欲しいものを貰ったって、意味が無い。この一年近くの頑張りが報われる瞬間を夢見て、皆一生懸命頑張っている。


 私は、自分が今、何が一番欲しいのかわからない。

 だから、クリスマスが楽しみなのだ。その日になれば、一体私が何を一番欲していたのか、答えが出るから。そのために、失敗はしたくないのだ。


 私達の仕事は「クリスマス諜報員」。その名の通り、スパイみたいなことをする。

 張り込みに尾行に潜入。正体隠して近づいたりも。でもどうか怖がらないでほしい。悪いことをしでかすつもりは毛頭無いから。


 クリスマスのプレゼントが楽しみなのは、お互い様だから。

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