ワクチンはホラー転換される

水円 岳

「ねえ、博士」

「なんだ」


 助手のラルーがしきりに首を傾げている。検索画面に表示された情報の意味がどうしても理解できないようだ。ラルーはとても優秀なんだが、まだまだ経験が浅い。現時点ではしょうがないだろう。


「今回のワクチン接種に関して、なんでこんなにヒステリックな反応が発生するんですかね」

「ヒステリックか……」


 マニピュレータを操作する手を休め、ラルーが見ているのと同じ画面を表示して情報を確認する。ふむふむ『なぜワクチンなどというものが必要なのか。それを強要するのは、我々を奴隷化しようとしている闇の政府の陰謀だ』とな。

 確かに今回のワクチン適用に関しては、施される側が抱く疑問や反感に十分な根拠がある。説明責任が十分果たされない限り疑惑は解消されず、恐怖が必要以上に膨らむ。納得できない者にとっては、ワクチン接種が堪え難いホラーにしかならないんだ。


 もっとも、思考回路がよーろれひーにできているラルーにはあまり関係ないと思うが。それでもこいつの後学のためには、経験値を上げておかなければならない。一応解説しておこうか。


「今回彼らに恐怖をもたらしている因子は、複数ある」

「そうですね」

「どのような要因があるか列記してみたまえ」


 ラルーが即座に正答をはじき出した。


「いっぱいありますよ。全く新しいワクチン生産手法であること。ワクチンの安全性確認が十分でないこと。ワクチンの有効性検証に透明性がないこと。ワクチン接種に伴う副反応のリスクアセスメントが不十分なこと。接種の有効範囲、残効性、長期影響のデータが不足もしくは全く欠落していること」

「正解。ただ、それらは全てワクチンそのもののリスクや有効性にかかるものだな」

「ああ、そうか。ワクチン接種、非接種の患者群が混在することで、社会学的にどのような意識構造の変化が生じるかも全く予測できないということですね」

「その通りだ。まだあるぞ」

「まだ? なんでしょう?」


 画面にレトロな爆弾の絵を出して、爆発させる。それは画面の中で木っ端微塵になり、スクリーンをブラックアウトさせた。


「今のでわかるか?」

「ちっとも」


 やれやれ。こういうところがまだまだ経験不足ということだな。


「今の爆弾が単なるフィクションの産物なら、あっちがわの出来事さ。それがどんなに高性能で強力であってもね」

「ええ」

「でも、あれが本当はウイルスだったらどうする?」

「げ……」


 真っ暗になった画面を、ラルーがひたすら凝視している。


「ウイルスのところをワクチンに置き換えても同じことだ。実際のところ、リアルとフィクションは容易に逆転しうる。堅固な壁を立てて切り分けることはできないんだ。だからこそ、恐怖が際限なく膨らむのさ」

「むがが」


 思考の許容範囲を超えつつあるんだろう。ラルーが両腕で頭を抱え込んで苦悶している。それが苦悶止まりで恐怖にまで膨らまないのがラルーのいいところだ。だが、そろそろ意識に予防接種をしておかねばならん。ショックで思考放棄した途端、致命傷になっちまうからな。


「二者の関係は、こんなイメージに近い」


 真っ暗のままだった画面をデフォルトに戻し、クラシカルなガラス漏斗を描画させて指し示す。


「なんに使うものか、わかるか?」

「もちろんです。液体や粒状のものを瓶などに効率よく収容するための補助具ですね」

「正解」


 まず広くなっている開口面をなぞってから、細まっている先端を指差す。


「科学とか情報というものは、この漏斗にとてもよく似ている」

「どういうことですか?」

「裾野の広さはイコール浅さだ。そこには真偽だけでなく、様々なノイズが紛れ込む。だがそれは同時に、異なるものを選択できる余地が常にあることも示唆している」

「ふむふむ」

「浅瀬をぱしゃぱしゃ泳ぎ回っている間は、恐怖の底も浅いんだよ。どこにでも逃れられるからね。さっきのリアルとフィクションだってそう。どっちに目を向けようが、それは無数の選択肢の一つに過ぎない。恐けりゃぶん投げればいいんだよ。もしそれがリアルであってもね」

「ははあ。だから陰謀論が大手を振るってわけかあ」

「そう。別に陰謀だろうが野望だろうが願望だろうが草ぼうぼうだろうが、なんでもかまわん」


 私のくだらないジョークを無視したラルーが、漏斗の先端に指を置いた。


「じゃあ、こっちは?」

「そっちが問題なんだよ。先端を通れるサイズに研ぎ上げるためには、ノイズやらゴミやらは徹底的に除去せねばならん。我々が携わっている研究というものも、その作業の一部だ」

「そうですけど」


 わかりきったことを言うなとばかりに、ラルーが口をとがらせた。


「じゃあ、純度の高まった科学や情報の背後には何が残る?」

「あっ!」


 にやっと笑って、呆然としているラルーの背中をつついた。


「怖いだろ?」

「……」

「それは真性のホラーだよ。どれほど我々が真実や正確な情報を提示しても、我々の背後にあるものはその残滓でしかなくなる。彼らは我々の主張には一切耳を傾けない。全否定し、全破壊しようとする」

「そ……んな」

「そうしたら、我々は神になるか、残滓の中に戻るしかない。違うかい?」


 ラルーは、無言のままかちこちに固まってしまった。初めて恐怖という感情を理解できたんだろう。

 そりゃあ怖いはずだよ。私が示唆したのは、我々が目指している真理探究が無意味だということ。それは絶望的な自己否定で、間違いなくホラーだ。どこにも逃げ道のない究極のホラーなんだよ。


 重くなり過ぎた空気を嫌気したのか、私に向き直ったラルーが唐突に話題を変えた。


「ねえ、博士」

「なんだ」

「で、結局博士はワクチンを接種するんですか?」

「当たり前だろ。俺らの脳内に巣食っているコンピューターウイルスをワクチンで除去しないと、絶滅した人間の二の舞になるからな」



【 了 】

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ワクチンはホラー転換される 水円 岳 @mizomer

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