従僕の恋【PW④】

久浩香

海亀のスープ

 上級貴族は4人の妻を持つ事ができる。イレギュラーはさておき、大抵の場合、彼が彼の父親から後継者として認められるのは16歳の時で、18歳で婚約、20歳で結婚する。その相手は同い年の、王族もしくは上級貴族の令嬢であり第一夫人となる。第二夫人を娶るのは、彼が30歳を過ぎた頃である。彼と同じ年の第一夫人も当然30歳を超えるので、以降の出産は彼女の身体に負担を強いるという判断である。第二夫人もまた上級貴族の令嬢であり、この二人の夫人との間に産まれた子供達は純血種ペティグリーと呼ばれる。

 第三夫人、第四夫人との結婚は、特に時期は定まらない。彼女達は幼少期を養護院パピーミルで過ごし、知能の高さを認められて里親パピーウォーカーに育てられた、表向き誰の子供かも解らない孤児である。彼女達を妻にする理由は、上級貴族が自分の仕事を彼女達に丸投げする為と、彼が恋人に産ませた婚外子を、彼女達との間にできた混血ハイブリッドとして屋敷内で育てる為である。血統の明らかでない恋人との子供を、純血種と偽るわけにはいかないからだ。そして、当の第三夫人と第四夫人は、仕事に支障がでるので彼が妊娠させる事は無い。

 さて、上級貴族の従僕の全てがその仕事をしているわけではないが、とりわけハンサムな従僕は、その仕事をしているといって間違いない。その仕事とは、夫人のバター犬である。もちろんそれは建前で、その先の行為にも及んでいるし、夫もそれを知っている。

 40歳を超えた上級貴族は、自分の妻達と交渉を持つ事は皆無といっていい。しかし、女にも欲望はある。それに応え、彼女達が妊娠しないように慰めるのが、その為に雇われた従僕の役目である。


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 私がこの屋敷の従僕を勤める様になったのは22歳の時。

 私にはこれといった才がなく、養護院から出たばかりの、大方の子供がそうなるように農民として働いていた。それが、収穫祭に見えられていた私の暮らす地区の領主様から屋敷に来るように命じられたのが21歳の時だった。それから、1年の間は、地区内にある領主館で、領家令ランド・スチュワードから従僕の仕事の基本のいろはを学び、どうにか張りぼての礼儀作法を身に着けて、都心へと向かった。そこで私は、自分が学んできた事は、然程さほど大した意味の無いものであった事を知った。

 私の仕事は、奥様が蜂蜜風呂に入浴された後、その身体を湿らせる水滴をねぶりとってさしあげながら、マッサージを施し、奥様の核心に刺激を与えて気持ちよくなっていただく事であった。


「素敵だったわ」


 そう仰って下さった第一夫人の奥様は今、2年前に侍従になった後輩に夢中になり、今の私はといえば、第四夫人の奥様の目に留まり、二日に一度、第四夫人の住まわれる棟の書斎へ書類を運び、執事からの指示があった日は奥様のバター犬を勤めるようになった。


 そんな仕事の中にも恋は落ちていた。


 私は、自分にそんな感情がある事に長く気が付かなかった。ただ、彼女が侍女として奥様の横にはべるようになってから、奥様は私の愛撫に、それまで以上に息を荒げられ、悶えられるようになった。思えばそれは、私が奥様を抱きながら、奥様に彼女の面影を投影させるようになってからだった。


 彼女に旦那様の手がついた事を知ったのは、本来なら第三夫人と行かれる予定だった旦那様の登城とじょうが、第三夫人が卒倒され、急遽、第四夫人が行かれる事になり、その通達が私の元に届かなかった日だった。

 私はいつものように、書類の山をカートに乗せて奥様の書斎に向かった。ノックをすると書斎の扉が開き、中には彼女だけがいた。私が室内に入ると、彼女は私の首に腕を伸ばして抱き着いてきた。私も彼女の背中に腕を回し、私達は口づけを交わした。

 愛し合う時間は限られていた。痕跡を残す事もできない事も解っていた私達は、向かい合い立ったまま結ばれた。充分に準備の出来ていなかっただろう彼女は、顔をしかめたが、この痛みさえ嬉しい、と、私の胸がざわめく笑みを浮かべた。私の鍵は、彼女の錠前を開き、彼女の歓喜を外に漏れないようにする事は、至難の業であった。


それから二ヶ月も経った頃、奥様の横には新しい侍女がはべるようになり、彼女はいなくなった。それから半月後、部屋で休んでいる私は後輩から、奥様の懐妊を聞かされた。

「先輩の子だったりして? ちゃんと経口避妊薬ピルを飲んでもらってたの?」

と、軽口をたたいてきた。

「馬鹿な事を」

と、後輩をたしなめたが、五十を超えた旦那様の恋人にされた彼女が妊娠したのだとすれば、私の子供である可能性はゼロでは無かった。私は人知れず高揚した。この高揚は、旦那様方が、御自身の子供を育てている様を垣間見なければ、持てなかった感情かもしれない。この仕事にある以上、私は私の子供を持つ事は無い。最も、子供ができたとしても、私の子供は養護院に送られ、生涯、見える事は無いだろう。だが、もし、彼女の子供が私の子供ならば、私は私の子供が上級貴族の子供として育っていくのを、見守る事ができるのだ。

 

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「領地のオーツ麦の収穫量が、昨年より18%減少しているのよ」


情事の後、第四夫人が不意にそう仰られた。オーツ麦は、養護院パピーミルで育てている子供達のグラノーラの主原料だ。18%の減少というのが、どれ程の量なのかは知らないが、わざわざ、そんな事を言うからには、良くない状況だと推測できた。我が国の国王陛下は、大地の女神の寵愛を受けた存在である。そんな陛下の統治する国家で、不作などはあってはならない。作物を買うお金が無いのは、その者の怠惰によって稼ぐ事ができないせいに転嫁する事ができるが、養護院の子供達が、昨年と同様の食事を摂れないとなれば、実習に向かった先の大人達が、作物が無い事に気づいてしまうかもしれなかった。


「だから、ね。農作物や酪農…陸にばかり目を向けず、海産物を取り入れてみたらどうかって進言してみたのよ。それでね。ほら、私って、養護院の食事なんて覚えてないじゃない。だから、貴方に試食してもらって、子供達が気に入る味なのかどうか、感想を聞かせてもらいたいの」


私だとて、養護院で出されるグラノーラから離れてもう10年以上経つ。だが、まあ、確かに、旦那様はもちろん、第四夫人である奥様も幼い頃に養護院を出られ、あのグラノーラの味なぞ覚えてもいないだろう。キッチンの使用人達に食べてもらった方が良いのでは、と言ってみたが、私に食べて欲しいのだと力説された。どうやら、第四夫人は、二日に一度の顔合わせと、今夜の様な旦那様からのご褒美としてむつみ合う以外の日に、私に会いたいという事のようだった。


一週間後の午後、私は執事の許可を得て、奥様がいらっしゃるという庭園の向こう側にある塔へと向かった。今日の為に、奥様の書斎へ運ぶ書類の量は、いつも以上に膨大な量だったが、全て処理なされたらしい。私が塔の中にある室内に入ると、奥様はにこやかな笑顔で、私に早く椅子に座るように急かした。私が座ると侍女が銀のクローシュで蓋をした料理を運んできた。

 クローシュが取られると、中にあった料理は、紅茶色をしたスープだった。何かの肉も入っていた。

「これは?」

「うふふっ。これは“海亀のスープ”よ。私は、とても口にしたくないけど、グラノーラばかり食べてる子供達には、御馳走だと思うの。ほら、どうぞ。召し上がれ」

先ずはスープだけをスプーンで掬う。なんともいえないエグみがある。だが、パンチ力というのかコクがあり後を引く。飲み下した瞬間から二口目を求めて舌が渇くようだった。勢いのまま肉も食べた。少し筋張ったような部位もあるが、柔らかかった。私は、スプーンで掬うのがもどかしいほど、それをあっという間に食べ尽くした。

ほぅ。と、息をついた私に、奥様は、

「いかが?」

と、聞いてきた。

多分、私は興奮していたかもしれない。

「はい。とても素晴らしく美味なお味でした。なんというのでしょう。これは、力が漲ってくる味です」

私がそう答えると、奥様は、イタズラを終えた禍々しい猫のように、アーチ状に目を細め、唇の両端を、これでもかという程吊り上げた。


「そう。美味しかったの。貴方の恋人は、貴方の舌までも満足させたのね」


奥様の発せられた言葉に、目の前に暗闇が落ちた。


「えっ?」

私は、痴呆のような顔をしていた事だろう。


「気づかれないとでも思った? いえ。そうね。きっと、気づかなかったわ。…でも、ね。旦那様は気づかれたの。私にはよく解らないけど、あの侍女の身体…ある日を境に、しっくりこない違和感があったんですって…あの侍女が孕んだ胎児は、貴方の子供じゃないかもしれないけど、そんな不安要素のある赤子を、この屋敷で育てられるわけがないじゃない」


奥様が話されている間、動揺して動けなくなった私の後頭部に、強い衝撃が走った。私の顔は、空になったスープ皿の中へと倒れ込んだ。鼻に、先刻まで飲んでいた彼女が煮込まれたスープの残り香が膨らむ。

奥様は、私が奥様に与える快楽を惜しまれていたが、どうやら、後輩にも興味があったらしい。折よく、第一夫人の奥様も新しい従僕を雇い入れる準備をしていたそうだ。


「うふふっ。胎児と女は美味しい事が解ったわ。じゃあ、男はどうなのかしらね? 飢饉の防御策として、海産物に目を向けるのはもちろんだけど、役立たずな駄犬の腹を満たす無駄を省く事も重要よね。殺処分した肉を餌に回せば完璧だと思わない?」



 ─ 完 ─

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