KAC20214 ホラー or ミステリー

霧野

また、嫌いなものが増えた


  朝の光は嫌いだ。


 何もかもをあからさまに照らし、見たくないものまで浮かび上がらせる。なんて無遠慮なんだろう、と思う。



 男がカーテンを開け放ったので、眩しくてかなわない。急いで布団に潜り込む。


「いつまで寝てる気だ。起きろよ、ほら」


 乱暴に布団を引っ張るので、あたしは布団にしがみついた。

 布団は簡単に剥ぎ取られてしまった。


 仕方なくベッドに起き上がり、あぐらをかいて座った。



「……起きたよ。二度寝とかしないから、布団返して。眩しいの」


 男がバサッと布団を投げてよこす。イラッとしたけど、舌打ちされなかっただけマシかな。



 頭から布団をかぶりながら、か細い両腕を見下ろした。女は不利だな、と思った。力では、男に敵わない。


 少し前までは、この男も優しかった。このか細い腕を、指を、「華奢で守ってあげたい」などと言って愛してくれたのだ。歌うあたしを「俺のカナリア」と呼び、愛でてくれたのだ。



 子供の頃から、歌が好きだった。ひとりで歌う鼻歌も、大勢の前で大きな声で歌うことも好きだ。

 即興で作った歌を歌うのも得意。客の顔を見れば、どんな歌が欲しいのかわかるのだ。


 文化祭などではバンドで歌うこともあった。でも、やっぱりひとりで歌う方が好き。

 楽器の演奏はしない。あたしの声が楽器なんだから、あたし自身が他の楽器を弾く必要はない。

 合唱もやらない。他の声と一緒に歌っても楽しくないから。あたしの声だけを、聞いて欲しい。



 だから当たり前のように、あたしはひとり、路上で歌を歌っていた。

 路上ミュージシャンなんて、珍しくもなんともない。でもあたしは伴奏もカラオケもなく、たったひとりアカペラで歌っていたから、少しは目立っていたかもしれない。中には面白がって声をかけてくる人も居た。頼んでもいないのに、勝手に伴奏してくるやつなんかも。



 男とはそうやって知り合った。

 ギターとかベースじゃなく、なんとフルートだった。足音でリズムを刻みながら、フルートを吹くのだ。しかもハモるんじゃなくて、あたしのボーカルの間を縫うように、縦横無尽に旋律を奏でる。即興の歌にも上手くついてくるし、たまにタップダンスなんかも織り交ぜてくる。


 なんだかおかしくなって、あたしはつい笑ってしまった。男も笑った。そうしてあたしたちは、一緒に住み始めた。



 住み始めた、とは言っても、あたしが男の部屋に転がり込んだわけだ。ほとんど着の身着のまま。


「お前はさ、背が高くて細くて美人なんだから、もっとミステリアスな雰囲気で行こうぜ。魔女みたいな感じで」


 言われるまま、買い与えられた服を着た。黒のざっくりしたロング丈のワンピース。

 普通の女子が来たら裾が足首ぐらいにまで届くはずだが、私が着るとちょっと長めのひざ下丈だった。その丈にちょうど合う靴を見つけるのが難しかったけれど、一緒にあれこれと靴を選ぶのは楽しかった。

 自分で言うのも変だけど、抜けるように白い肌と腰まである長髪ストレートも相まって、その格好はたしかにあたしによく似合った。


 その格好で歌い始めたら、徐々に客が増えた。私の歌と魔女スタイルがハマって、受けたみたいだ。

 嬉しくて、あたしは男のプロデュースを受け入れるようになった。

 男が前に置いたフルートにケースに入れられる金額も、増えていった。別に儲けたいわけじゃなかったけど、男が喜んだので、あたしはそれも受け入れた。



「この格好だと、カナリアっていうよりクロツグミだね」


 いつだったか、あたしがそう言って笑うと、男は機嫌を損ねたみたいだった。その時はわからなかったけれど、男はきっとクロツグミを知らなかったのだ。



(ちっちぇえ男だな)


 今ならそう思う。でもその時は、わけがわからなかったのだ。なんでこの男は急に機嫌が悪くなったのだろうと不思議だった。だって、誰も思わないじゃない。大の大人が <自分の知らないことを言われたから怒る> だなんて。


 その頃から男は、ちょっとしたことで気分を害し、私に冷たく当たるようになった。



「俺はもう出るけど、飯食ったらちゃんと食器洗っとけよ」


 冷たく当たりはするが、いつも朝食は作ってくれる。でもいつも、食器を洗っとけと命令してくる。今まで洗い忘れたことなんか無いのに。



 目玉焼きをご飯の上に乗っけて、少しだけお塩をかけて混ぜて、食べた。調味料の強い味は苦手。ごはんとゆで卵、あとは少しの茹で野菜でもあれば充分なのにな。そう思いながらお味噌汁を飲んだ。しょっぱかった。目玉焼きについていたソーセージは、ラップに包んだ。


 家を出るのはいつも、正午を過ぎてからだ。朝日を避けて、仕事は午後からのシフトにしている。洗った食器を拭いて戸棚へしまうと、ラップに包んだソーセージをバッグに入れて肩に掛け、家を出た。


 今日は曇っていてラッキーだ。朝日は特に嫌いだが、昼の日差しもわりと嫌いだ。昼間の日差しって、なんだか馬鹿みたい。あまりにもあっけらかんとしていて、何も考えてませーん、みたいな光だから。でも、だんだん日暮れに向かっていくと思うと、少し許せる。





 仕事を終えて会社を出ると、男が待っていた。最近は二人一緒に路上に立つことは減っていたのに、迎えに来るなんて珍しい。雨が降り出しそうだったから、ちょうどよかった。


 夜のドライブでもしようぜと車に乗せられた。じゃなくてなのに、なんで黒のワンピースに着替えさせられたのだろう。わけがわからないけれど、聞くとまた不機嫌になって面倒なことになりそうなので、黙って助手席に乗った。




 しばらく走って、海へ着いた。途中の案内標識になんとか埠頭とかなんとか倉庫みたいに書いてあったが、通り過ぎるのが早くて読めなかった。

 夜の海を見に来たわけじゃないことは、すぐにわかった。ここは明らかに倉庫街だし、工事現場も近くてロマンチックな雰囲気なんてカケラもない。第一、男はそんなタイプでもなかった。


 別の車が近づいてきて、止まった。中から変なでぶオヤジが降りてきて、ニヤニヤしながらこっちに来た。嫌な予感がした。窓を叩かれたけど無視していたら、男がドアのロックを開けて、助手席のシートベルトを外してしまった。


(ああ、売られるんだな)と確信した。車の中で着替えさせられたのは、オヤジが歌っているあたしを気に入ったからなんだろう。あたしは覚悟を決めて、膝に置いていたバッグを肩にかけた。



 ドアを開けたオヤジに腕を引っ張られ、車から引きずり出されたので、刺した。バッグに入れていたナイフで、腹をひと突き。

 抉るように刺したナイフを抜いたら血が噴き出して、オヤジは声も出せずに倒れた。男は運転席から出ようと反対側を向いていたので、まだこっちに気づいていない。あたしは車の後ろから回り込んで、男の喉を掻き切った。派手に血しぶきが飛んだ。

 倒れこむ寸前で、あたしは男を車体に押し付けて支え、運転席のドアを開けた。運転席に男を放り込み、シートベルトを締めた。



 男を車ごと海へ沈めると、地面に転がっているオヤジの始末だ。工事現場のフォークリフトを操作して、こっちも海に投げ捨てた。

 物流や工事車両のレンタル会社で働いているので、車両の鍵をつけっぱなしにしてあったり隠しておいたりする雑な人間が結構いるのは知っていた。また、いくつかの車両・機械を操作することもできた。


 動かせるフォークリフトがたまたまあったのは、幸運だった。もし無ければ、苦労してでぶオヤジを持ち上げ、車に乗せなければならなかったからだ。


 女は不利だな、と思った。力だけでは、男に敵わない……



 バッグに手が触れて、思い出した。仕事帰りに近所の猫にやるつもりだったソーセージを、入れっぱなしにしていたのだ。

 ラップを外してソーセージを海に投げ入れた。きっとお魚が食べてくれるだろう。食べ物を粗末にすると罰が当たる。

 ラップは丸めてバッグに戻した。


 



 しばらく歩いたところで、あたしはタクシーを拾って家に帰った。

 顔や手に浴びた返り血は、フォークリフトを操作する際に黒いワンピースで丁寧にぬぐってあった。血の匂いも歩いているうちに薄れたろうし、運転手はマスクをしていたから、気づかなかったみたいだ。

 雨が降り初めたから、地面に散った血も洗い流されるだろう。

 



 清潔なシートに座り、自分を見下ろす。幸い、背面に血は飛んでいなかったらしく、シートは汚れていない。



 黒って、あれだけ血を吸い込んでもわからないんだな。そう思うと、黒い色が嫌になった。自分の黒髪も、まつげも。



(前の時は、血は出なかったからなぁ……)


 雨と共に流れていく景色を眺めながら、思い返した。そう、最初に時はひと気の無い早朝に橋の上から川へ突き落としただけだし、その次は調味料に毒を仕込んだだけなので、血を浴びたりはしなかったのだ。



(黒は嫌いだ。あした、髪を染めよう。何色にしようかな……)


 部屋のずっと手前でタクシーを降り、雨の中を歩いて帰った。途中で、奪っておいた男たちの所持品から現金だけを抜き取り、残りは飲み屋街の裏にあるゴミ集積所に捨てた。







 今日もあたしは男の部屋を出て、歌いに行く。


 さびれた駅前の、半円状のロータリー。三方向に伸びた道の、一番左側の道があたしの定位置ステージ



 部屋にあった黒い色のものは全て捨てた。血が染み込んでたら嫌だから。


 色味の無いだぶだぶの服をまとって、細い体を隠す。アクセサリーは揺れるイヤリングだけ。

 髪はピンクやオレンジで綺麗に染め分けた。まつげにはブルーのマスカラを。

 肌や爪には色を付けない。嫌なことを思い出しそうになるから。



 

 何を歌えばいいかは、ステージに立てばわかる。人の欠落が、欲するものが、あたしには「色」で見えるのだ。

 音には色があり、色には意味がある。だからあたしは、その人に足りない「色」の歌を歌ってあげる。


 例えば今、目の前にいるこの人。今日の最初のお客はこの人だ。声をかけてみる。




「ねえ、アンタ、ムラサキが全然足りてないよ」


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