おじいさんの憂鬱【KAC20213】

いとうみこと

だって跡取りなんだぞ

 むかしむかし、ではありませんが、あるところに、おじいさんとおばあさんが住んでいました。

 ふたりの間にはひとり息子がおり、その息子にもひとり息子がおりました。息子夫婦は隣に家を建て、老夫婦共々農業を営みながら仲良く暮らしておりました。孫も農業高校を出てからずっと家業を手伝い、とても頼りになる青年へと成長しました。老夫婦はこの孫を大層可愛がっておりました。


 ある夏のこと、その孫の様子が少しおかしくなりました。新しい作物の栽培など、昼夜を問わず積極的に取り組んできた孫が、畑仕事もそこそこに頻繁に外出するようになり、夜遅くに帰ってくることが増えたのです。

 おじいさんは孫の変化に戸惑いました。本人に問いただす勇気がなかったおじいさんは息子夫婦を問い詰めました。ところが、息子夫婦はあまり関心がないようで、

「たまにはいいじゃないか」

と繰り返すばかりです。

「ああ、どうしよう、どうしよう」

 おじいさんは日に日に落ち着きをなくしていきました。


 一方、おばあさんはそんな心配症のおじいさんを笑い飛ばしていました。

「おじいさん、今時の若者が夜遊びするくらいで大騒ぎするんじゃありませんよ。私だって若い頃にはいくつもの浮名を……」

 冷静さを欠いたおじいさんは、おばあさんの爆弾発言にはまるで気付かず、食い気味に会話を妨げます。

「夜遊びだと! あの子は大切な跡取りだ。変な女に引っかかって、ここを出て行くと言い出したらどうするんだ。そうなってからでは遅いんだぞ!」

「バカバカしい。そんなのおじいさんの考え過ぎですよ。私の女の勘が大丈夫って言ってます」

「そんなのあてになるものか! わしの心配が的外れだと言うのか? 冗談じゃない! あの真面目一辺倒で優しい子が、蛍光色の派手な服を着て毎晩遅くまで遊び回ってるんだぞ。服装の乱れは心の乱れ、わしの直観に狂いはない。悪い女にたぶらかされているに決まってるんだ」

「毎晩って、そんなに出歩いてませんよ。それに派手な服って、おじいさんがあげたチャリティ番組のTシャツじゃないですか……」


 もはや、おじいさんの耳におばあさんの声は届いていませんでした。そしてある晩、とうとう孫の跡をつけることにしたのです。

「今日こそわしの正しさを証明してやる」

 ちょっと本来の目的を見失いつつあるおじいさんは、おばあさんの制止を振り切ってスーパーカブにまたがりました。花粉対策メガネとマスクで変装もしています。おじいさん、かなりヤル気です。


 おじいさんの読み通り、今夜も隣の家の駐車場から軽トラのエンジン音がしてきました。おじいさんは息を殺して出発のタイミングをうかがいます。その後ろでおばあさんはこそこそスマホをいじっていました。

「おじいさん、くれぐれも気をつけてくださいよ」

「わかっとるわい! 黙ってろ」

 普段の、どちらかといえばおとなしいおじいさんとは別人のようです。おばあさんは大きくため息をつくと、家の中へ戻ってしまいました。


 いよいよ軽トラが出発しました。夏の空は、夜の七時になってもまだ明るかったので、おじいさんは見つからないようにライトを消して少し離れて走りました。軽トラは思いの外ゆっくりと進んだので、見失うことはありませんでした。


 十分程走った後、軽トラは一軒の家の前で停まりました。おじいさんの知らない家です。孫がその家の離れのようなプレハブ小屋に入るのを確認してからそっと近づき、耳をそばだてました。中からは楽しげな音楽と男女の笑い声が聞こえてきます。

「それ見たことか! やはり女じゃないか。わしの直観は正しかったということだ」

 おじいさんは大きく頷くと、満足げにその場を立ち去りました。カブのところまで戻り、ヘルメットをかぶろうとしたその時、自分の本来の目的を思い出したのです。

「わしとしたことが、何ということだ。孫をアバズレ女から取り戻すのがわしの役目ではないか」


 おじいさんはヘルメットをもとに戻すと、再びプレハブ小屋に近づきました。すると今度は、音楽は聞こえるものの会話が全く聞こえません。おじいさんは中の様子が気になって気になって、とうとう窓から中を覗き込んでしまいました。

 するとどうでしょう! 下着のような肌もあらわな姿の女に、可愛い孫が手を伸ばしている様子がカーテンの隙間からはっきり見えるではありませんか! おじいさんの心臓がバクンバクンと脈打ちました。

「ここは乗り込んで女の首根っこを捕まえてやるべきか、それとも家に帰って作戦を練り直すべきか」


「誰だ!」


「ヒィィィィッ!」

 いきなり後ろから声をかけられて、驚きのあまりおじいさんはその場に尻餅をつきました。おじいさんの顔には容赦なく懐中電灯の光が向けられています。

 外の騒ぎにプレハブ小屋の窓がガラリと開いて、孫が顔を出しました。

「やっぱり! すみません、うちのじいちゃんです」



 数分後、その家の居間に招かれたおじいさんと孫は、ジャージを羽織った先程の娘とその家族に囲まれていました。

 おじいさんが秘密の逢瀬と思ったのは、来週の夏祭りの余興で行うマジックショーの練習でした。

「今は言えないけど、凄く大掛かりなマジックなんだ。じいちゃんを驚かそうと思って黙ってたんだよ。バレちゃって残念だけど、一生懸命練習してるから、楽しみにしててね」

 おじいさんは孫の屈託のない笑顔を見ながら、自分の浅はかな行動を心底恥ずかしく思っていました。その一方で、優しい孫を誇らしくも思いました。


 ただ、若いふたりの手が、テーブルの下でしっかり握られていることには、ついぞ気が付きませんでしたとさ。


おしまい

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おじいさんの憂鬱【KAC20213】 いとうみこと @Ito-Mikoto

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