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 気がつくと、サムは病院のベッドの上にいた。


 病院というよりかは、より規模の小さな医院とも呼ぶべき施設の一室だった。二日酔いのような頭痛と倦怠感があり、ひどく身体がだるかった。


 目が覚めてから一時間ほどは頭が混乱したままだったが、そのうちに意識がはっきりしてくると、自身を取り巻く状況というのに、だんだんと理解がおよぶようになってきた。



 サムが人づてに聞いたところでは、彼は夢遊病にも似た半覚醒の状態で、とある小さな町の外れに姿を現したのだそうだ。眠りながら歩くというのか、歩きながら眠るというのか、ともかくそんな具合である。


 そうしてふらふらとさ迷い歩いていたところを、近くを通りがかった住民に保護され、その後すぐに町の医者のもとに運び込まれたのだという。



 以上のようないきさつを、くだんの町医者はサムに対し、丁寧かつ根気強く語って聞かせた。時に同じ内容を繰り返し、また時にやさしい言葉を選びながら。それだけサムがぼうっとしているように見えたのだろう。実際のところ、この配慮はサムには大変にありがたいことであった。


 身体面での大きな異常というものは確認されなかった。上半身の広い範囲を覆う創傷や、短期間の低栄養状態に起因する体重の減少などを除いて、これといった外傷および異常症状は認められない。サム本人に自覚される変調は、軽度の頭痛と脱力感のみである。


 無論、詳しい検査をしない限り確実とは言えないが、体調はおおむね安定しているようだった。


 問題があるとすれば二点だ。そのうちの一点は、夢遊病のごとき様相で街路を歩き回っていたという、その辺りの事実に関する記憶が完全に失われていたことである。


 このときのサムに思い出せるもっとも新しい記憶というのは、輪郭を失い、どろりと溶解していく、牙を剥いた石獣の相貌というものであった。


 あの焚き火台のある一室からどうやって脱出したのか。あの川沿いの低山からどのようにして生還を果たしたのか。それらの内容はいずれも彼の記憶には残っていない。


 だが当然というべきか、「あの密林地帯を自力で脱出したということは絶対にあるまい」と、そのことだけは強く確信されていた。


 続いて問題の二点目だが、この「問題」という言葉の意味を考えるのであれば、この二点目の問題こそ、一点目のそれよりもいっそうに「問題」と呼ぶに相応しい事柄であった。


 その事柄の内容とはつまり、サムが町はずれで発見された際に携えていた背嚢、彼が自らの手で用意したバックパックの存在そのものだった。言い換えれば、彼が荷を背負っていたという事実それ自体が彼にとっては問題に、すなわち答えを出すべき問いになっていたということだ。


 どこまでが。あるいは、どこからが。そしてまた、どのていどまでが――。


 猟銃とナタはともに失われたままだった。それら二点を紛失したのは調査開始から三日目のこと。正体不明の射手に追われ、急流に滑落した際の出来事である。


 ということは、川に落ちたという事自体は、現実に起きた事なのかもしれない。とはいうものの、しかし鬱蒼たるジャングルを前後不覚の状態で歩き回っていたのであれば、いつどのタイミングで何を失っても不思議はない。


 結局のところこの点については、時間と手間とをかけて調査してみない限り、確実なことは何一つ言えなかった。


(なるほど、上手くやったものだ)


 しばらく世話になると決まった医院の、そのベッド上で、サムは思った。


 無論、「上手くやった」のは彼自身ではなく、例の番人の男とその仲間の者たちが、という意味である。言わずもがな、そうした者たちが現実に存在するとして、という話ではあるが。


 仮に、サムの記憶にある出来事がすべて真実であったとしても、いったい誰が彼の話を信じるだろうか。なんら物的証拠も示さず、自身の記憶すら定かでないような男が語る戯言を。


 GPS専用機その他の記録装置はことごとく破壊されていた。それらはいずれも衝撃なり浸水なりといった原因によって損傷していたが、その損傷が人為的なものなのか、それとも濁流のエネルギーがもたらしたものであるのかは、これもまた詳しく調べてみなければわからない。


 あとは、オンライン上のデータバンクにGPS位置情報の履歴が残されているかどうかという点が、唯一残された希望となるか、といったところである。


(いずれにしても――)


 と、サムはひとり考える。日焼けしたバイタルサインモニターが見下ろす下で。くすんだレースのカーテンを突き抜ける、オレンジ色の斜陽の中で。


(いいさ、もう充分だ。もう充分よくやったよサム…………サム〝ザ・ビッグノーズ〟モーティマー。おまえは……お前は故郷に帰れるんだ!)


 柔らかすぎる枕に沈み込むような感覚を後頭部に感じながら、彼はやがて静かに目を閉じた。直後、瞼の向こうで蛍光灯が点く気配があった。もう日暮れ時なのだ。


 それから、いくつかの思考を頭の中でもてあそんだのち、最後に一つ大きなあくびをすると、間もなくサムは呑気な寝息を立てはじめてしまった。



                                  了

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冒険家サム・モーティマー密林行 純丘騎津平 @T_T_pick

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