16 『常識』と『日常』の演習(※三日月の爪サイド)

「ふむ、料理の腕はまずまずじゃな。焦げとらんし、味もする。が、お主ら、美味しいとは思っておらんな」


 バリアンはリリーシアの用意した朝食を食べてから、周囲の顔を見渡した。朝からの重労働で空腹というスパイスが利いていても、ましてやリリーシア自身も、あまり諸手を挙げて「美味しい!」と言える出来では無いのは確かだ。


 献立はオムレツに野菜、焼いたベーコンと、豆とトマトのスープにパン。パンは買ってきた物だ。


 味は悪くない。リリーシアは【僧侶】としての修行のために修道院にいたし、そこでは持ち回りで家事をするのが当たり前だった。だが、ここ1年はもうずっとガイウス頼りだったのは否めない。


 リリーシアも、一応台所は見て回ったのだ。しかし、何に使うのか分からない調味料の類が山ほどあり、結果、知っている修道院での質素な食事に落ち着いた。下手に失敗したくなかった。


「この短時間でこれだけの品数を作れるのは大したもんじゃい。『鑑定』が使えないなら、見知らぬ調味料は使えないじゃろうしの。料理は昼からワシが教えるから、全員少しずつ覚えるといい。食が豊かじゃないと人生はつまらんからの。野営の英気にも関わってくる、えぇの?」

「は、はいぃ……!」

「料理まで全員がするのか……」

「ばか、黙れって」

「……ドラコニクスの世話よりはいいわ」


 朝から疲れたせいか、全員結構な正直な感想が出てきている。おまけに二日酔いもある。朝からへとへとで体調も悪いとなると、せっかく気合を入れていた『三日月の爪』の初心に帰ろう、という気持ちもべりべりと剥がれていく。


 バリアンの狙いはこれだ。表面だけ取り繕っても駄目である。根っこの部分から、自分たちが何をどれだけガイウスに任せて甘えていたのか、そして、ガイウスがそれを諦めて受け入れていたのかを思い知らせなければいけない。


 厳しくするのが本当の優しさだ、という言葉もある。それが正しい時もあれば、そうでない場面ももちろんある。戦場でふらふらなのに前衛に出ようとする馬鹿者はさっさと引っ込めないと二次災害にも繋がりかねない。同時に、非戦闘時に何もできない、自分の事もできなければ料理も設営も片付けもできない、自分の持ち物も把握していない、騎獣の世話もできない、そんな者はあぶなっかしくて冒険になど行かせられない。


 いきなり全部をやらせる気はない。まずは拠点での生活を安定させて、『三日月の爪』の新しい日常と常識を作ってやらねばならない。バリアンはそう考えて、朝食を食べ終わると今度はベンに洗い物をさせた。その間に、昨日の宴会のあとを他の面々が片付ける。


「瓶と燃えるゴミを同じ袋に入れるんじゃない! 食べかすは燃えるごみじゃ! 皿はゴミじゃないんじゃからどんどん台所に持っていけ! ほれほれ!」

「頭……いったい……、叫ばないでよ……」

「愚痴るな……、余計叫ばれる……」


 ハンナとグルガンが小声でささやき合う。バリアンはいきなりそこまで咎める気は無かったが、怒号を緩めてやる気もなかった。リリーシアはもはや泣きそうである。いや、涙目で今にも涙が零れるんじゃないかという限界だ。


 まだまだこんなものでバリアンの指導は終わらない。片付けが済んだら、今度は共有部分の掃除である。


 掃除道具の場所も分からない体たらくにバリアンは呆れながら、拠点はちょっとした屋敷のような大きさなので、ハウスメイドを雇うのもそのうち勧めようとは思う。が、今は家に居て依頼も受けられない。


 その上、ガイウスは依頼の合間合間に一人で掃除していた。全くもって駄目な弟子を持ったとバリアンは憤慨しながら、それを八つ当たりする程若くもなかったので、手厳しくはあったが丁寧に掃除のやり方を教える。


 泣きながら袖で涙を拭ってモップをかけるリリーシアと、目が死んでいるハンナ。階段や窓の桟、ガラスを拭くベンとグルガン。共用部分だけで午前中の時間がつぶれてしまった。


 だが、綺麗に片付いた屋敷は、自分たちの手でやったのもあるが気持ちがいい物だ。これを一人でこなしていたのか、とガイウスに対して気持ち悪さのようなものも感じている。4人でやって午前いっぱいだ。


 ガイウスの過去を彼らは知らない。冒険者のパーティを組む時に過去を聞くのは野暮であり、聞かないのが暗黙の了解である。ガイウスはこういった家事仕事を物心がついた頃からやっていたプロだ。効率の良さも腕前もハウスメイド等及びもつかない。


 だからこそ、バリアンはガイウスが『三日月の爪』を甘やかしたことを良しとしていない。彼らが自立できるようにリハビリは根気強く、徹底的に、褒める所は褒めてやっていくつもりだ。


 何もガイウスのようにならなくていい。4人とも基本ができるようになればいいのだ。その後は、本当にハウスメイドを雇うという手段を教えてやればいい。彼らはそこにも思い至らないほど、世間の事を知らないで過ごしてしまった。


「掃除、できたじゃないか。えらいぞ、拠点が汚ければ休まらんからな。それに、連携の練習にもなる。誰が何をやっているのか、常に気を配れるようになれば上出来じゃ。さ、昼飯を……作れなさそうじゃのう。今日はワシが作ってやるから、それを食ったらギルドで連携の練習じゃ」


 掃除用具を片付け、ダイニングで屍となっている『三日月の爪』に、バリアンは初日は手心を加えてやることにしたようだ。


 何も焦る事はない。ガイウスがやっていた『常識外』の当たり前を、『三日月の爪』にさせるつもりは毛頭ないのだ。


 ただ、基本ができるようになればいい。『常識』が『日常』になるまで、根気強く教えればいい。


 『三日月の爪』は若い。恋人同士ならば、それはそれで若い時間を有効活用していると言ってもいいだろう。そして、その若さのあるうちに全員が『上級職』になった、その鍛錬も無駄では無い。一度身に着けたスキルや魔法を、ほんの1ヶ月使わない程度で忘れることはないし、忘れさせる気もない。


 ただ、1年も何もしなければ、出来ていたはずの『当たり前』はできなくなる。


 教えて、やらせて、言って聞かせて、できた事は褒めてやる。バリアンは、まだまだ時間がかかりそうだとは思いながら、初日にしては上出来の働きをした彼らに、二日酔いにも優しい美味しい昼食を作って食わせてやった。


 おかわり! と言わないメンバーは居なかった。

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