第28話 そして事は円環へと至る《 Ⅱ 》

 黒く重々しい鉄製の扉の前で、男は立ち止まった。

 白いショートマントのフードの脱ぎ、マッチを擦り火を付ける。そしてカンテラの中にくべた。頼りないぼんやりとした灯りは果てのない闇をただ照らし出すだけだった。


 男はその闇に恐れを抱かずに螺旋階段に足を踏み入れる。光の届かない深淵。果てのない闇。躊躇いなく、ただまっすぐと、深淵へと彼を誘う螺旋に身を任せて、緩やかに降下していく。

 その足取りは僅かに急いでいるようだった。それもそのはずだ。彼には時間がなかった。


 いや、彼だけではない。

 この宇宙には、もう、時間はない。


 螺旋階段を淡々と降りていく。やがて、開けた空間に男は出た。そこは無数に黒い棺の並ぶ、不明瞭な空間だった。

「〈禁忌七宝〉……禁じられた魔法道具。その一つ、〈人形達の葬送曲〉か」

 表面に刻まれた不可思議の術式――魔法を男は見聞するが、すぐに興味を失ったかのように視線を反らした。男の目的はその棺の解体ではなかった。


 無数に散らばる棺を無視してひたすら奥に向かって歩いていく。ここは全ての並行世界と繋がっている空間。これだけ開かれていてもなんの感情も得られない。やがてサタンは奥にあるひとつの棺のまえで足を止めた。


 その棺の蓋は開かれ、中身は凍結している培養液で満たされている。

 中に眠るのは陶器でできたような肌の、少女だった。長い黒髪が水の中で揺蕩っているように広がっている。男は氷に手を翳す。


「胡蝶……起きろ。時間だ」


 男の手から溢れ落ちる赤い光が氷の上に幾何学模様を描いていく。それは緩やかに凍結されていた培養液を溶解し始めた。

 流れ出した培養液の奥。目蓋の奥、神々しく黄金に輝く瞳が見開かれる。


「……来るの、遅くない?」

「第一声がそれか! 健康だなお前は!」

「そりゃこれだけ長く寝てたら健康にもなるでしょ」


 彼女は培養液の中から勢い良く起き上がり、服もまとわずに屈伸を始める。良くいえばマイペースと言えなくないその行動にド肝を抜かれたのは男の方だ。


「…………胡蝶」

「……私の魂の宿命とは言え、短命すぎるだろう。あのくそジジイはその辺の対策とか考えてないのかな」

「とりあえず!! 服を!! 着ろ!!!」


 青年の言葉に胡蝶はあからさまに嫌そうな顔をして舌打ちをした。指を弾くと魔力が彼女の体を包み、服を編み出す。

「全く……なんで、起きたばかりの時はこうも良識が欠如している」

「学習内容が足りません」

「…………」

 男はため息を溢す。

 それを横に胡蝶はそっと、壁に刻まれた文字を撫でる。


「…………今度こそ、幸福をもたらせるように、頑張るから」


 色褪せたヴァルハライドが揺れた。


***


 それは古い森の奥。人がおおよそ住んでいなさそうな森の奥に、一軒の日本家屋が建っていた。

 誰が住んでいるのか――そもそも住んでいたとして、どんな生活をしているのか、全く予想できないほどに深い森の家。その縁側を一人の青年がずかずかと怒りに任せて歩いていた。


 揺れる銀髪はまるで剣のように鋭く。瞳は炉の中で燃え盛る焔のようだった。すらりと高い身体は筋肉により引き締められており、なにかの武芸を嗜んでいることは一目で分かった。


 そんな彼の周防色の着流しを、白銀の毛を持つ狼達が引っ張って引き留める。

「離してくれ。オレは今日こそ耐えられない」

 青年の言葉に狼はくーんと甘えるように声を出した。額に青筋を浮かべて彼は縁側沿いに並ぶ扉の一つをスパーンッッと勢いよく開け放つ。


 中は茶室であり、窓の外は満開の桜で彩られていた。だが中は無人だ。青年はひとつ、行儀悪く舌打ちをする。


 間髪いれず隣の襖を開いた。音を立てて開け放たれたそこは客間のようで、窓の外は紅葉で赤く彩られている。しかし、中は無人だった。彼は拳を廊下の柱に打ち付けた。


 その隣の襖も、駄目押しで開いた。

 窓の外は雨の降る真夏の森だった。だがそこには誰もいない。心地よい雨音も彼の怒りを癒せなかったらしく、彼はただ舌打ちをまた、重ねた。


「と、思わせてっ……」

 四つ目の襖を勢いよく開け放つ。雪の降り積もる喉かな寝室の風景に彼は怒りを募らせた。やはり、人はいない。


 あまりにもこのからくりになれて新鮮味を感じない彼は遂にキレた。

「時雨ェエエエエ!! いい加減にして出てきなさい!!」

「もー、カイったら相変わらずおこりんぼだねぇ。そんなんだと禿げちゃうぞ」

 帰ってきた返事は背後からだった。カイ、と呼ばれた青年は身体を鮮やかに回転させて回し蹴りを、廊下の梁からぶら下がる男の顔面に叩き込んだ。

「う゛」

「……見付けた」

「ひ……ひどいよ! カイ!! キミがこんな子だなんて思ったことも感じたこともなかった!」

「ほう? 言いたいことはそれだけかな?」

「やっべ。おふざけが通じてないや」

 梁の上で新体操でもするのか、と言うような身体能力で上体を起こして逃走をはかる時雨の胸ぐらをカイこと神之瑪しののめ 戒那かいなは掴む。


「ふっ」

「あべしっっ」


 勢いよく床に叩き付けた。戒那とて受け身のできてない、無抵抗の相手を投げることはない。


 時雨以外は。

 ……時雨以外は。

 大切なことなので二度言った。


 恨むならば人間離れしたスペックを持つ自分のことを恨んでほしい。

「ひどいよぉ!! こ、こんなのって、こんなのってあんまりでしょ!?」

「君が悪いだろう! 反省したまえ! 何度言っても物事を覚えられないポンコツ脳ミソをどうにかしようと言う考えはないのか!?」

「お、思ったより怒ってるぅ……」

 時雨は頭頂部を抑えて小さくなる。他の狼たちもそれにならって小さくなっている。逃げてもいいが、逃げきれるかが分からない。この男、容赦ないからな。

「時雨。いいか?」

 そんなことを時雨が思っているとも露知らず、息を吸った。そして。


「まず食べ終わった食器は洗わなくてもいいから水に浸けておいてほしいと言うのは何度言えば分かる!? それから靴下は栞でもなければオブジェクトや絨毯でもない! その辺に投げておくのは止めなさい! 右と左で別のかごにいれるのも止めておけよ? それから! 成年向け雑誌をその辺に開きっぱなしで放置するな!!」


 一息で言われた小言に耳を塞いでやり過ごす。そんなに怒らなくてもいいのに。まあ、最初の二つは何度言われても覚えていられない時雨に問題があるかもしれないが、最後のに関しては。

「カイも成人したし、よくない?」

「かっ飛ばすぞ」

 ぶっ飛ばすじゃ、なかった。このままだと、野球のボールにされる。首の付け根を思わず抑えたのは不可抗力だと思う。


「いいか。オレは繊細な年齢だ。見せるな」

「……うぃっす」

「あと素直に父親の性癖とか知りたくない」

「…………うっす」


 不良みたいな返事だが頷くとどうやら許してくれたらしい。さすがにこれ以上余計なことを言って火に油を注ぎたくない。戒那は相手がひとたび悪いとなれば手段は選ばないのだ。


 人は正義の側に立った時に最も残酷になれるとはなんの言葉だったか。


 実際は時雨に対しての手心と言うものがない、と言うのが正解だとは知らないのだった。知っても不幸になるだけなので知らない方がいいだろう。知ったらますます調子に乗ること間違いなし、なのだから。


 時雨はしばらく、戒那の自分に似たと思っている端麗な顔立ちを眺めていた。

「…………カイ。少し早いけど誕生日プレゼントだ」

「は?」

 時雨が投げた刀を戒那は慌てて受け止めた。

 だが己の誕生日は十一月で、今は六月だ。この父親、耄碌しているのでは?

 戒那はいぶかしんだ。

「ははは、まだ衰えてはいないよ。それよりもカイ。君、旅に出なさい」

「…………はあ!!?」

 なんで急に、と問いかけようとした戒那の言葉を笑顔で時雨は遮る。

「契機は来た。ボクはただ約束通り二十二年、決して降り止まぬ常磐の雨の中に君を隠した。それが始まりだ」

「つまり?」


 常磐の、降り止まぬ、永劫変わらない雨の森は真実を隠すのには似合いだ。己の神域をそう評する、そこから出ることを禁じられた神はにこりと微笑んだ。


「世の全てを見てきなさい。美しいものだけでなく、穢れたものも見てきなさい。お前のその両の目は、人の歴史を見定めるためにあるのだから」


 そして彼は、その果てに出会うだろう。

 彼が最も渇望している者に。

 彼にとっての運命の体現者に。

 その時彼が、どんな表情を浮かべるのか見られないのが少し残念だけれども。


 けど、きっと、今度こそ。

 この果てなく終わりない地獄を脱して、彼ら二人が明るい日溜まりの下で笑えるように。この悲劇の果てに幸福な結末が待っているように。


「始めよう、胡蝶。百二十六回目だ。そして、今度こそ終わりにしよう」


 時雨の言葉を誰も知らず。

 雨音は静かに優しく秘密の傷を隠した。それは覚えているものにとっては遠い昔の記憶。遥かな、綻びの記憶。

 雨だけがそれを、優しく抱き締めていた。


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エクスターナル・ゴッド 《THE CYCLE:Ø》 ぱんのみみ @saitou-hight777

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