第19話 綻べよ、心の花《 Ⅱ 》

「と言うわけで、今日は一日時雨のところに顔を出してくる」

 突然された報告に、目を瞬かせた。

 華蝶はただ粛々と朝食の盛り合わせとして灰が調理したベーコンエッグを目の前に置く。朝食当番が灰だったらしい。

「時雨?」

「しばらく会いに行ってないからな。一人にしてすまないが……」

「いや、良いんだぜ。平気だ。ほんとにな」

「そうか。なら良かった。ついでに組織についての聞き込みをしてみるつもりだから、今日は帰れないと思ってくれ」

 灰の言葉になんとなく頷く。彼はどこか申し訳なさそうに微笑んでいた。

「ま、顔を出してやらないと時雨、拗ねるからな」

「…………ああ」

 返ってきたのは何故か、どこか上の空の返事だった。


***


 執務室に響くのは万年筆が紙を引っ掻く、さらさらとした音だけだ。可決した書類は入れ替わり立ち代わりしているアゲハ団員達が運んでいく。


 以前に比べれば多少やることの増えた書類仕事を行いながら考えるのは、いつかの夜、時雨が言った言葉だ。


 ――英雄。

 あれから胡蝶も獄幻家で資料を漁ったり、立葵に頭を下げて幾つかの情報を手に入れた。


 〈永久聖剣機構SYSTEM:エクスカリバー

 資料の中から見付けられたのがその言葉だった。

 曰く、訪れる二十七の終焉に対抗すべく神代に打たれた無限の本数を有する聖剣。それらの担い手の死……またはそれに代わる代物、例えば人生の全てをもってして星の終焉を贖うもの。


 讃歌すべきものではない。

 人の死と言う生け贄をもってして、より良い明日を願う、星を護るための永久機関だ。そして担い手はどのような人生、経験を得ようとも……例えば、裏切られ、傷付いたとしても、人を救うことに意味を見いだすと書かれていた。


 まるで、物語の主役のように。


「…………」

 彼は、そうだ。持論として、人を助けることを良しとしている。誰かを救うことを、倫理的に、理論的に、良しとしている。強要こそ、決してしないけれども。だけど――。

「………………なあ、灰」

 ここにいない彼の名を呼ぶ。

 人を救うことを良しとする彼が大切だ。尊いと思う。英雄と言うものに対して肯定的な、人間の意思が胡蝶にも流れているからだろうか。

「だとして、だとしても……もし、お前が……」

 言葉にするのが恐ろしいそれ。

 もしもと言うにはあまりにも現実味を帯びた、もしも。

「…………」

 くるり、と万年筆を指先で弄んだ。その不吉な考えを振り払うように、頭をふる。


 …………もしも。

 もしも、彼が……誰かを助けた末に死んだのならば。

 そして救った人間がその事になんの感謝もしなかったのならば? 死んで当然だと、救われて当然だと……そう言ったら。いや、そう言わなくても。もし、誰かの代わりに死んだら。


 胡蝶には、何が残る?

 彼の死を尊いものだと思うのか?

 それとも、お前の方が死ぬべきだったと、彼の死も人の命の尊厳も踏みにじって呪うのか?

 いや、多分……その時には。


 首を横に振る。今度こそ、その思考を振り払った。

 そんなことは考えなくて良い。考えるべきではない。再び、万年筆を握り書類に向き合った。


 数枚片付けた頃にふと、明日、桜華が新しい服を持ってやってくることを思い出した。

「そうだ、灰。明日なんだが……」

 顔を上げると、執務室には誰もいなかった。

 今さっき、彼の不在を理解したところだったのに。首を横に振って書類に集中しようとする。だが、いつまで経ってもなにかの空白が埋まる気配はどこにも、なかった。


「ずいぶん頑張ってるみたいじゃないか」

 話しかけられた声に瞬きをしながら、顔を上げる。窓から差し込んでいるはずの日光はどこにもなく、暗闇と静寂と、月明かりだけが書斎を照らしていた。

 その月明かりに照らされて、銀色の髪がまるで剣のように煌めいている。

「…………かい?」

 掠れた声で思わず名前を呼べば、ふっとなにかを慈しむような表情を彼は浮かべた。大きな手のひらが心地よくて目を閉じる。


「おはよう。良く寝れたかい?」

「明日まで帰ってこないんじゃなかったの?」

「思ったよりも早く決まったから帰ってきたよ」

 甘えたような言い方になったそれを、彼はからかわなかった。戦いが終わってから伸びていた黒髪を彼の指が絡めとる。

「寂しかったか?」

「…………うん」

「おっと……嘘でもそう言われると嬉しいくなってしまう。あまり甘やかさないでくれ」

「嘘じゃない……寂しかったんだ」

 夢も見ないくらいに眠れたのは、良かったかもしれない。そう言えば最近は寝不足に悩まされていた。いつから寝れないのかは思い出せないけど。

「ふふ、それは光栄だな」

「…………」

 彼の声に黙り込む。


 彼に出会うまでは平気だったことが、だんだん平気でなくなっている。ずっと一人でも、独りでも、平気だった。辛くなかった。悲しくなかった。寂しく、なかった。たった一日だったのに。

「今まで、独りだって、思わなかったのにな」

「…………」

「初めて、独りになったみたいだ」

 埋まらない空白も。足りない熱。寒さと孤独だけが浮き彫りにされていく感覚。アゲハ団員だっていたのに。彼らと灰とでなんの違いも、ないはずなのに。

「ああ、そうだ。寂しかった……寂しいと、思ったんだ」

「――――……」

「しの?」

 彼の瞳が大きく、衝撃を感じた時のように見開かれている。


「……………………傷になって、ほしい訳じゃない」

「うん?」

「覚えていてほしいとも、唯一だと思ってるわけでも、ない。そうであったら良いな、と思ってるだけなんだ」

 理解できずに首を傾げる。

「それでも……それでも君が、オレを、一生引きずって生きてくれたら……そうなればいいと」

「しの?」

「いや……胡蝶。お土産だ。手を出してくれ」

 彼の言葉を理解できないまま、右手を差し出した。

「逆だ」

「逆? ほい」

 左手を出すと、彼は慣れた手付きで薬指に指輪を嵌めた。月明かりが反射して、指輪についたダイヤモンドが光る。


「………………すっごい気になるから聞くんだが」

「ああ」

「左手の薬指ってなんか大切な意味が」

「ない」

 食い気味の即答が返ってきた。

 力を込めて睨み付けると涼しい顔を彼がする。

「……しの」

「ない。ないぞ」

「しの」

「チッ。寝ぼけている間のつもりだったのに」

「しの!!」

 問いただすが答えるつもりはないらしい。試しに揺さぶったが、別のものを吐きかけただけで情報は吐かなかった。


「……分かった。明日、ねえねに聞く」

「うん、まあ、そうしてくれ」

「聞くのは良いのかよ……」

「ふふん。私は桜華さんを信頼してる」

「どう言うことだ、おい」

 こちらのことは信用していないと言うことだろうか。ぶん殴った方がいいのでは、と魔が差す。と言うか魔がそうした方がいいと言っている。

「まあ、今はこれで誤魔化されてくれ」

「あ?」

 彼の手が大切なものにふれるように顎に添えられて、首筋に唇が触れた。あまりに慣れた動作だったけれども、赤くなった胡蝶はそのまま金魚のように口をパクパクと動かすことしかできなかった。


 その様子を満足そうに見た灰は微笑む。

「ではな、胡蝶。いい夢を見ろよ」

「あ…………くっ…………」

「私は明日、例の件の処理をしてくるからな。夕飯は先に食べていてくれ……あと、それ、いらなかったら捨てて良いからな」

「うっ…………」

 言葉がうまく出せない。何を言えばいいのか――そもそもなんでこんな気持ちになっているのかが分からない。彼の瞳が細くなる。


「お休み。私の……胡蝶」


 乱れた鼓動と、紅潮した頬を隠すように掴んだ髪のままに胡蝶は俯く。

「……なんだよ、これ」

 か細い声で空気に尋ねる。しゃがみこんだ胡蝶は真っ赤に染まった顔を完全に髪の中に隠す。

「なんなんだよ…………これぇ…………」

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