第14話 英雄という業《Ⅲ》

 だけど、思うのだ。

 彼らが遠くで幸せになっていてほしいと、思わないわけではない。

「…………」

「胡蝶、貴女は勘違いしてるわ」

 食堂の奥にいた花のように鮮やかな朱色の髪にエメラルドグリーンの瞳の女性が胡蝶の頭をそっと撫でる。

「貴女がしたことは、私達の一生と同じくらい価値のあることなのよ。貴女がいなかったら、私達は廃棄区画で苦しみ続けるはずだったわ。ねえ、胡蝶。だからその恩を少しでも返させて頂戴」

「……でも」

 そっと握り締められた掌を掴んで、地獄に引きずり込むのが怖い。その事が恐ろしく怖くて、眠れなくなりそうだ。

「それとも貴女は恩を返すことすら許されない地獄に落ちろって私達に言うのかしら」

「…………灰の前に私と組んだ魔法師がいた。彼女は、死んだ。その前のやつも、その前の前のやつもだ。私の周りには常に屍が積み上げられてる。私は、常に屍と共にある」

 死に溢れている。メメント・モリ。常に死は隣にあるが故に死を想え。想い続けなければいけない。その言葉が一際、重々しく感じる。


 それでも、傍にいてくれなんて言えない。

 死んでくれと同じ意味だ。そんなの、言えるわけ無い。だけど、それでも。


「……傍にいても、良いって言ってくれるのか?」

「当たり前じゃないっすか!」

「誰がなんと言おうと! アンタが俺らの救世主なんですから!」

 震えながら告げた言葉に返されたのは、暖かな感謝の言葉だった。

「…………ありがとな」

 松仙と時雨の瞳が驚きからまっすぐと見開かれる。

「こ、胡蝶が笑った……!?」

「笑ってたよ!! 困ったみたいな可愛い顔で!!」

「時雨に松仙……君たちなあ、胡蝶とて笑うぞ」

「いや、だって、その、だって」

「あーーー、お前らうるさいよ。少しの間くらい黙ってろ」

 胡蝶はしばらく黙りながらため息を溢した。団員達はその間、黙って胡蝶を見上げている。

「……残留組と離反組でそれぞれ名簿を作れ。申請は明日の朝までだ。一日で決まらないなら離反しろ」

「ボスー!!」

「ありがとうございます!!」


 歓声の沸き立つ中、ふと一番大事な人に意思確認をするのを忘れていたのを思い出した。振り向き、人混みに紛れようとしている青年を見つけて呼び掛けた。

「夜蝶、お前はどうすんだ?」

「……抜けても良いんだけどよ。俺が抜けたら書類仕事どーすんだよ。できねーだろ、あんた」

 反論に困り口ごもると、弱点だとばかりに夜蝶は詰め寄る。

「第一、できてもあんなに字が汚いんじゃあ話にならねえよ。あの字を読める奴は俺と灰さんだけですよ? そんな状況で他の秘書を雇ったところでねえ……」

「夜蝶? あんまり言いすぎるとその灰さんに、クビを取られるわよ」

 廃棄区画で幼少期を過ごしたせいで、胡蝶の字は汚いのだ。あれを読める人間は正直なところ、いないだろう。思わず顔が渋くなる。

「……あーも、絶対伝わってねえな。いいか、胡蝶! 俺はあんたの左腕だ! 右腕は灰さんだからな。そして、左腕がどっかに行くことはあり得ねえ! 以上!」


 その時にどんな顔をしたのかは分からない。胸の奥がくすぐったくて、思わず微笑んでしまった。

「……そうだな。そうなれば夜蝶。とりあえず、明日の朝までに名簿纏めておけ」

「ん、分かった」

「その後のことも色々と相談したい。夜に来てくれ。灰と一緒にな」

「へいへい」

 パチンっ、と桜華が場を仕切り直すように手を叩いた。


「いや、良かったな、アゲハの境遇も決まったようで何よりではないか」

「ねえね」

「そこで提案だが……明日から始まるセレモニーの前の今夜、慰労会として宴でも開きたいのだが、皆の予定はどうだ?」

「お、桜華!!」

 松仙が慌てたように声をかける。

「ダメか? こう言うのはきちんとしておいた方が良いぞ、松仙。セレモニーが始まればそれどころではないからな」

「そうかもしれないけど……君、お酒飲みたいだけでしょう?」

「それはそうだ。お酒は飲みたい。特に我は酒が好きだ。異論はない。どんどん飲みたい」

「……ざるで飲んべえなのに?」

「ああ」

 酔わないが酒は好き、と言う桜華の言葉に力無く松仙がうなだれる。華蝶がその様子に含み笑いを溢しながらネタあかしをすることになった。


「ふふ、安心してちょうだい。実はもう既に昨日頼まれて準備はしてあるわ。言われなくても、今日は祝賀会を開くつもりだったのよ」

 『お金ももらったし、お酒も樽で五つ準備してあるわよ』と笑う。

「そう言うわけだから今夜はきちんとみんな参加してちょうだいね。明日からまた忙しくなるんだもの」

「……桜華。今度からはきちんと事前に相談をしてくれ」

「ああ、分かっておるわ」

 ふと見上げた松仙の頬が、熟したリンゴのように赤かったことに、胡蝶は思わず目を見開いた。


 しばらくして朝食をとり終わり、胡蝶と灰、時雨が書類整備を手伝っていたときだった。松仙が遠くを見ながら、躊躇うように口を開いた。

「…………ぼく、桜華さんのことが好きかもしれない」

 時雨が吹いて、灰が驚いたように振り向いた。熱に浮かされた当人はそんなリアクションをものともせずに遠くを眺めている。

「す、すすす、す、すす、好きぃ???」

「しの、声が裏返ってるぞ」

「だ、だっ、だって、好きって、あの、けっ、けっ、結婚とかの……」

「小学生か?」

「え、待って、桜華? 桜華のことが好きなの? もしかして松仙って女の趣味が悪い?? て言うかどこにそんな要素あったっけ???」

 灰は顔を真っ赤にして「結婚……」とぼやいているし、時雨は本人に聞かれたらくびり殺されそうなことを口にしている。


「要素って言うか……桜華さん、可愛い」

「おいおい嘘でしょ?」

「に、にわかには信じがたいな……松仙が桜華さんのことを、その、す、す、す……」

「しのは黙れ」

 灰に本を渡して一度黙らせる……逆さまで読んでいるので全然落ち着けてはいないようだが。

「スパイをするって申し出てくれてからさ……笑いかけて来てくれるんだよね」

「それだけ聞くと凄い自意識過剰じゃん。ねえ。もっと聞かせてよ。ニンゲンの恋ばなスゴーい聞きたい」

「……この前も手が荒れてるからってハンドクリームもらっちゃった……」

 桜華が松仙にハンドクリーム……。

 妹的にも想像しにくいものがある。

「あと夜食の差し入れに来てくれるんだ……話してないけど好物ばっかりいれてくれて……嬉しい……」

「ほえー」

「目が合うと微笑んでくれるし……これが、恋」

「……恋は盲目って言うけどあながち間違いじゃないのかも。ボクから見たら桜華スッゴい怖いけどなあ」

「ま、いいんじゃねえか」

 書類をファイルに振り分けながらそう言えば全員がこちらを向いた。どうやら続きを待っているらしい。

「ねぇねもそう言うことに興味がないフリをしてるだけでちゃんと乙女だし……松仙が身内になったら嬉しいかもしれない」

「…………あっ! ぼく、お義兄ちゃんになるってこと!?」

「?? そりゃそうだろ?」

 何を言ってるんだろうか、この眼帯バカは。


 だが胡蝶の心、松仙知らず。

 彼は目を輝かせて微笑んだ。

「ねえ、試しにお義兄ちゃんって呼んでよ」

「はあ??」

「一回でいいから! ね?? ダメかな??」

 呼び方を変えるのは別にいいけれども……、と何かが引っ掛かる為に不機嫌そうな顔になりながらも松仙に向き合う。

「お義兄ちゃん」

「ッ……………………!!」

 顔を覆って松仙が空を仰いだ。何をやっているんだ、こいつは。


「ねえねえ、胡蝶、ボクもボクも! 時雨おにーさんって呼んでおくれよ!!」

「お兄さんって年じゃねえだろ、お前は」

「……じゃあ、時雨おじいちゃん! 時雨おじいちゃんがいいなあ!!」

 おじいちゃん呼びを嫌がるかなと思ったが益々乗り気になった時雨に比例して、胡蝶の眉も益々寄る。

「……時雨おじいちゃん」

「ふぉおおおおおおお!!」

「これでいいのかよ」

「うん! いい! 今度灰にもおじいちゃんって呼ばせよ……」

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