異世界に行ったら背理法がなかった

黄黒真直

異世界に行ったら背理法がなかった

「こんな問題、どうやって解けば……」


「安心しろ、リーナ。これは俺が解く。でな」


***


事の起こりは三日前だった。

学校の帰り、数学オリンピックの問題集を読みながら歩いていた俺は、トラックに轢かれた――と思ったら、異世界にいた。


石畳の道路に石造りの家。道にはテントで出店する商人たち。中世ヨーロッパ風の光景が広がっていた。


女神とかに会ってないんだが、俺、チート能力とかあんのかな。これからどうすればいいんだ。


考えてる俺の耳に、「きゃーっ」と女の子の悲鳴が聞こえた。

くっ、もうイベントが起こったのか!

俺は路地裏に飛び込んだ。


すると、俺の方へ走ってくる女の子がいた。小柄で黒髪の子だ。俺と目が合うと、


「あっ、強そうな人! 助けてください! あの子が私の本を取ろうとしたんです!」


と言って俺の背後に隠れた。


え、俺が強そう? マジで?


相手はどんな奴だと見ると、そこにいたのは……。


美少女だった。金髪で目が鋭い。彼女は慌てて言った。


「ち、違うわよ! その子が私の本を取ったのよ! 信じて!!」


ええ~~。


なんだそれ、どっちが正しいんだ。

俺は考えた。なーに、考えるのは得意だ。


「嘘ついてるのは……お前だぁっ!!」


俺は、黒髪の子の腕をつかんだ。


「きゃっ、ちょっ、痛いわよ! 離して!」


「離してほしかったら、本を返すんだな! 言っておくが、俺は本当に強いぞ!」


俺は魔法でも使いそうな感じで、手をわきわきさせた。

いや本当は魔法の使い方とか知らんわけですが。


黒髪は観念して本を地面に置いた。


「こ、これでいいでしょ!」


俺が手を離すとパッと逃げ去った。


金髪の子が近付いてきて、本を拾う。


「はあ……よかった……」


へなへなと座り込むと、俺を上目遣いに見た。


「あの、ありがとうございます。私、リーナ・ウィルヘルムって言います。あなたは?」


「俺はやま……たかし山田やまだだ」


「タカシさん? 変わったお名前ですね」


異世界の名前だからな。


「ところでタカシさん。どうしてあの子が犯人だとわかったんですか?」


「簡単な話さ」


俺はよどみなく答えた。


「あの子が被害者なら、本当に強い人間を頼るはずだ。だが俺は、どう見ても強そうにない。ちょっと行けば大通りに出るんだから、そこまで逃げた方が良い。よってあの子は被害者じゃない」


するとリーナは、キョトンとした。


「不思議な証明ですね。被害者じゃないから犯人? なぜですか?」


「なぜって、被害者か犯人かの二択だからだろ?」


彼女はまだ、不思議そうにしている。


「背理法っていう、数学の証明方法なんだが……知らないか?」


「ハイリホウですか? さぁ、数学は詳しいつもりですが、知りません」


「詳しいって、どのくらい?」


「両親の本は全部読んでます」


「いやそう言われても……リーナの両親は数学者なのか?」


「ご存じないんですか? ウィルヘルム夫婦と言えば、有名な数学者夫婦じゃないですか!」


「すまん、知らない」


リーナは頬を膨らませた。


「じゃ、じゃあ、その本も、数学の?」


「はい。両親の書いた本で、出版前なんですけど、すごく面白いですよ!」


リーナが見せた本のタイトルは、『ゼータ関数の非自明なゼロ点について』。


……えっ!? ゼータ関数の!? 非自明な!? ゼロ点!?


俺が興奮する理由を説明するのは難しい。

簡単に言うと……元の世界では、これはリーマン予想と呼ばれる未解決問題を指す言葉なんだ。


この本にその証明が? いやまさか。一般向けの解説書だろう。


「二人が、証明が完成したって喜んで書いた本なんです!」


キターーーーッ!!


いやいや、元の世界でも、リーマン予想が解けたって言い張る人はたくさんいた。きっとその両親もそうに違いない。


でも気になる。読んでみたい。


「あの、リーナさん? ちょっとその本、見せてもらっても……」


「ええ、良いですよ。あ、でも、それだったら……私の家に、来ませんか?」


***


リーナが案内したのは、超でかい家……の向かいにある家だった。


家には本がたくさんあった。全部、数学の本だ。

どの本も気になるが、一番気になるのはリーマン予想だ。


「じゃあ、早速その本を……」


「良いですけど……その前に、さっきの不思議な証明について教えてください。なんですか、ハイリホウって?」


「命題の否定を仮定して、矛盾を導く論法なんだが……例えば、素数が無限に存在することは、背理法で証明できる」


「あら、それなら簡単ですよ」


リーナは紙になにやら数式を書いた。

それは複雑な式だったが……俺にはわかった。


「素数の一般項だーーーっ!」


「えっ、なに!?」


「なるほど、nに任意の自然数を入れるとn番目の素数が得られて、自然数は無限にあるから素数も無限にある……って大道具すぎるわ!!」


「何を驚いているのかわかりませんが……ハイリホウではどうやるんですか?」


「まず、素数が有限個だと仮定する」


「無限にあるのに?」


「だから、仮定だって。そして、すべての素数の積に1を加えた数を考える」


「それは無限になるのでは?」


「だから、今は有限個なんだって! この数は、どの素数とも一致しないが、どの素数でも割り切れない。つまりこの数は、素数でも合成数でもない数になるが、1以外にそんな数は存在しない。よって『素数は有限個』という仮定は誤りであり、素数は無限個ってことになる」


「有限でなければ無限? なぜですか?」


ま、マジか。

この世界の数学はどうなっているんだ。なんで背理法がないんだ?


「どのみち、それは証明になりませんよ。証明とは、構成的であるべきですから。素数の無限性の証明なら、そこから無限個の素数を構成する方法が得られるべきです」


ドヤ顔で語るリーナの言葉を聞いて――俺はひとつの概念を思い出した。


これは、だ!

数学の体系のひとつで、背理法とかを認めないやつだ!


「面白えじゃねえか……それでどうやってリーマン予想を証明したのか、興味がある。その本、見せてくれ」


「ええ、どうぞ」


それから、俺は。


三日三晩、その本を読み続けた。


***


この三日間、俺の頭はパンク寸前だった。証明に対する考え方が全く違うからな! ストレスしかない。


そして三日経ってようやく、この家にリーナの両親がいないことに気が付いた。


「なぁリーナ、ご両親は?」


「父と母は……例の魔王に連れ去られたんです」


「魔王なんているのか?」


「知らないんですか? 一か月前に現れて、国中の知識人をさらっているんです。それで父と母も……」


マジか。


「そうだタカシさん! その本をまだ読みたいなら、魔王を倒してくれませんか?」


「そんな無茶な」


「タカシさんならできます! 魔王はこう言ってるんです。魔王の出すを誰か一人でも解けたら、全員を解放する、と」


なんだそりゃ。

でも、それなら俺でも戦えるかもしれない。


「わかった、行ってみよう。魔王はどこにいるんだ?」


「え? うちのお向かいさんですよ?」


「は?」


***


でかい家だと思っていたら、魔王城だったらしい。

ノックすると、魔物が俺達を応接間に案内した。

やがて、魔王が応接間に現れた。そいつは……。


「あっ、お前!」

「あっ、あなた!」

「ああっ、貴様ら!」


三日前、俺が締め上げた黒髪少女じゃないか!


「まだ私に用があるのか!」


「もちろんです! 両親を返してください! あなたの出す問題を、このタカシさんが解きます!」


「なに、タカシ、だと?」


魔王が俺を睨む。え、なに、俺なんかした?


「まぁいい。じゃあこの問題を解いてみろ」


魔王が指を鳴らすと、空中に問題文が表示された。


『フェルマーの最終定理を知らないものとして、次の命題を証明せよ。

 0でない整数x,y,zがあり、x^3+y^3=z^3が成立しているとする。このとき、x,y,zのうち少なくとも1つは3の倍数である』


リーナが口走る。


「待ってください。フェルマーの最終定理より、その等式は成立しません!」


「だから、それを知らないものとして、って話なんだろ」


「ありえません、そんなこと。そんな数学、無意味です」


「無意味ではない!」魔王が怒鳴った。「既に知られた結果を否定し、それで何が得られるか――それを考察するのも、立派な数学だ!」


「だとしても、こんな問題、どうやって解けば……」


「安心しろ、リーナ。これは俺が解く。背理法でな。――おい魔王、もう答えていいんだろ?」


「もちろんだ」


俺は深呼吸してから、一息に言った。


「x,y,zがいずれも3の倍数ではないと仮定する。すると、z^3を9で割った余りは1か8になる。一方、x^3+y^3を9で割った余りは0、2、7のいずれかになる。したがって、これらが等号で結ばれることはありえない。よって、x,y,zの少なくとも1つは3の倍数になる。これでどうだ!?」


魔王も、深呼吸した。


「――正解だ」


リーナの顔がパッと輝く。


「それじゃあ、みんなを……」


「ああ、解放してやる」


「やったーー!」


リーナは喜んだが、俺は釈然としなかった。


「なあ、魔王。気になることがあるんだが」


「奇遇だな、私もだ」


「え、なんですか、二人とも?」


きょとんとするリーナを置いて、魔王が言った。


「そうだな、まずは名乗ろう。私の名は、セキ・アヤカだ」


「やっぱり……日本人!」


俺は立ち上がって、魔王に――アヤカに近付く。アヤカも近付いてきた。


そして俺達は、熱く抱き合った。


「会いたかったーーー!」


「背理法がない世界なんて、生きづらいだけだったーーー!」


「同じ境遇の人間に会えて嬉しいよーーー!!」


知識人をさらっていたのは、こういう理由だった。

アヤカは背理法を知る人間を探していたのだ。背理法のない数学なんて、俺達にはチンプンカンプンだからな。リーナの両親の本、読んでてストレスしかなかった。


「そうだ、本。なんでお前は、本を盗もうとしたんだ?」


「決まっているだろう。リーマン予想の証明だぞ! 読みたくないはずがない!!」


ああ、そりゃそうだ!


俺達はずっと、抱き合って、泣き合った。

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