ゴテェVSアリゲーターガー

武州人也

かわいそうなゴテェ

 どんよりとした花曇りの昼下がりのこと。しきりに首を左右に振りながら、池のほとりをうろうろと歩き回る丸っこい体つきの獣が一匹。体長五十センチ、体高は四十センチほどで、手足が短く、全体的に丸みを帯びてボリュームのある体つきをしている。

 

 獣、その名をゴテェという。雑食性の哺乳類で、普段は草食や死肉食いをしつつ、時折自分より小さい小動物を捕食するといった食生活を送っている。咥えた獲物を離さないための鋭い牙を持っているが、何分ゴテェ自身の動きが鈍いために狩りの方法は待ち伏せに限られ、その成功率も高くはない。研究者の調査によると、ゴテェの狩りの成功率は二十から三十パーセントほどであるとのことだ。そんな鈍さから、日本では後手から取ってゴテェというあんまりな和名がつけられてしまった。

 中国北部、モンゴル、極東ロシアなどの寒冷な地域に分布している生物であるが、その丸っこくて愛くるしい、マスコット然とした容貌のために、ごく少数がペットとして出回っている。野生個体の売買は禁止されており、少数のブリード個体のみが出回るため、それほどメジャーなペットとは言い難い。


 そんなゴテェが池の回りをうろうろしているのには理由がある。彼女(このゴテェはメスであった)の飼い主は元々ペットショップを廃業した知人から捨て値同然の価格で彼女を譲り受けたのであるが、結局飼い主自身も新型ウイルスのせいで収入が激減し、飼っているゴテェを養育できなくなったために捨ててしまったのである。どんな事情があるにせよ、人の飼育下においた生物を野外に放つのは、殺してしまうよりもずっとタチが悪い。だが元飼い主はそのことを全く理解していなかった。


 もう戻ってこない飼い主を探してうろうろする彼女の目には、ぶわりと涙が浮かんでいる。このゴテェは人間と同様、感情の動揺によって涙を流す生き物なのだ。


 その時であった。ゴテェの背後の池……その水面が、ゆらりと揺れ動いた。水面の下に、何か大きな生き物がいる。それは、徐々にゴテェのいる方へと近づいている。


 そして突然、は、大きな水しぶきを立てて飛び出した。


 飛び出してきたのは、大きなアリゲーターガーであった。北アメリカ原産の淡水魚で、ペットとして流通していたものが捨てられ、日本各地の河川や池、湖などに定着してしまった外来生物だ。全長二メートル近くになる大型種で、日本の淡水環境に天敵はいないとされる。

 ゴテェが驚いたのもつかの間、アリゲーターガーは特徴的な細長い口吻を開き、鋭い牙でゴテェの尻に噛みついた。ゴテェは必死に地面を蹴り、アリゲーターガーの口から逃れようとするが、この巨大淡水魚はがっちりと尻を咥えて離さず、ずるずると池に引きずり込もうとしている。

 このままでは、食われてしまう……ゴテェは大声で吠えながら泣き叫んだ。だが、それを聞く者は誰もない。もう人間の庇護の下でぬくぬくしていたあの頃とは違うのだ。

 ゴテェは池に引きずり込まれまいと、必死に踏ん張りを利かせた。だが力勝負では、野生に生きるアリゲーターガーに分があったようだ。口を開けていれば餌を貰えたゴテェに、自分で餌を探して食わねば生きてゆかれぬアリゲーターガーが負けるはずもなかったのである。

 土の地面に引きずり跡の残しながら、丸い体はだんだんと池に近づいていく。そうしてとうとう、必死の抵抗も虚しく、ゴテェの体は池の中に没していった。

 水中に沈みゆくゴテェは、最後の賭けとばかりに体を折り曲げ、アリゲーターガーの頭部を噛んでみた。ゴテェには獲物に突き刺すための尖った牙がある。これが通ればアリゲーターガーは負傷し、ゴテェを放してくれるかも知れない。

 だが、残念ながら何度噛んでもゴテェの牙は通らなかった。それもそのはず、アリゲーターガーはガノイン鱗と呼ばれる鱗に覆われているのだが、この鱗は非常に硬く、ナイフですら通さない代物なのだ。まさに泳ぐ重戦車が如き存在といえよう。

 ゴテェは最後の反撃が失敗したことで、完全に心が折れてしまった。酸欠によって思考を奪われたゴテェは一切の抵抗をやめ、五体を投げ出して食われるがままに任せた。

 ぐちゃぐちゃと、脂分を多く含んだ肉が咀嚼される。アリゲーターガーはただひたすら、機械的に肉を食んでいた。肉が裂け、骨が砕かれ、内臓がまろび出る。撒かれた血が水中に漂い、それを嗅ぎつけたコイやヘラブナなどが集まり、おこぼれにあずかろうと横合いから肉をつついた。

 もう、ゴテェは原型を留めていなかった。個体としての生命はすでに終わりを迎えている。もっとも彼女を食らったアリゲーターガーにとっても、おこぼれに群がる他の魚たちにとっても、彼女はただの肉でしかない。

 

 そうして、捨てられた憐れなゴテェはその全身を食らいつくされ、アリゲーターガーたちの糧となった。この魚たちとて、そうしなければ生きていけないのだ。自然界に慈悲などないのである。

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ゴテェVSアリゲーターガー 武州人也 @hagachi-hm

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