直観主義

エリー.ファー

直観主義

 直感という言葉を撲滅する。

 だって、論理的じゃないし。

 まず、直感ってどことなく、フィーリングに依存し過ぎていると思う。こうなると、どうしたらそれが正しくて、間違っているのかを説明できなくなってくる。まず、指摘する側だって困るのが普通だろう。まず、感覚なのだから矛盾が生まれることもあるだろうし、そもそも論理的である必要がないので全く無意味である。矛盾がそもそも生まれない可能性が高い。感覚の恐ろしいところは変幻自在であるため、観察、つまりは論理的な思考が介在してもそれを感覚という言葉で覆う可能性もあるところだ。つまりは、直感というものが、直観を支配する日が来る可能性が高いのである。

 かくして、直観帝国は多くの兵を引き連れて直感王国へと乗り込むこととなった。当然、多勢に無勢であり、直感大国は荒くれもの、つまりは感覚で生きているものが多いと聞く。まずは、交渉となったとしてその交渉が上手くいかない可能性が高い。次に、その交渉が上手くいったとして決まったことを守ってくれるとも言えない。意味がないかもしれないのだ。感覚は、気分屋であり、我が儘であり、天然とも言える。悪気があるのかないのかも分からないが、こちらの予想のつかないことをするだろう。

 直観帝国は、何もかも恐れていた。自分たちのところにある兵器はすべてしっかりとしたルールの下作られたものである。つまりは、ある一定以上の火力の出るものは持たないとしているのだ。これは何か決まりがあってということではなく、暗黙の了解でそうなっているということである。だからこそ、直感王国が守ってくれるかが怪しいのだ。そもそも、直観帝国と直感王国である。なんというか、ルール無用の残虐ファイトをしそうなのは、帝国と名の付く方であり、王国は主人公側なのである。直観と直感という言葉の小さな違いで国が分かれたのであれば、当然ながらそこに付随する言葉にもある程度影響されてしかるべきだというのに。

 何故、直観帝国は、どことなく真面目なのか。

 直観というワードが強すぎて、帝国という単語が潰されかけているのか。

 直感王国の王は語る。

 感覚的にものを見るというのは非常に難解であるし、理解してもらうことも難しい。しかしながら、それらはそれだけ貴重と言える。他人と共有できない情報は希少価値が高く、それは利用の範囲こそ狭いが、ありふれたものとして認識されることもまたないのである。尊さとはなんであるかというのは今後も考えるべきところではあるが、多くの人々が間違えているのは、それもまた感覚によるということなのだ。何を崇め、何を奉り、何を貴重として、何を想うのか、それらは論理によって得られたものではなく、心の動きなのである。私たち直感王国は決して直観帝国を敵視しているわけではない。あくまで相容れない考え方を持っているというだけで、敬うべき存在であると認識している。そして、これは誰かに論理的に説明されて納得したわけでもなければ、矛盾のない意見であるから受け入れたわけでもない。感覚的に正しいと思えたからである。信じたいと願えたからである。

 分かり合うことに、論理が必要なのだろうか。

 直観帝国は、そこに論理が介在する余地がないことを悟り、すべてを受けいれた。

 もちろん、感覚王国は隙を見せた直観帝国を叩き潰した。

 直観帝国は直観を信じるべきだったと思ったそうだが、時すでに遅し。

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