直観の読み方

まきや

第1話



 直観本能で行動するやつは嫌いだ。いや、言い直す。大嫌いだ。



 いま目の前でガツガツと飯を喰らっている男。名を貝崎かいざき シンヤという。


 こいつは田口 律子たぐち りつこの彼氏だった。


っちゃんも少し食べなよ。コーヒーだけじゃお腹すくよ」


「食べられるわけ無いでしょ! こんなもん!」


 シンヤが看板を見て直観脊髄反射で決めたレストランは、大が付くほどの失敗。店内はやかましく、出てきたのは闇鍋のような料理ばかりだった。


 今日、律子は別れ話をするためにシンヤを呼び出していた。落ちついたカフェで静かに告げるつもりだったのに、こいつの直観ペースに乗せられてしまった。


「あのさ、いまから遊園地行かない?」


 律子の突然の提案にポカンとするシンヤ。


 レストランが駄目なら観覧車。あの個室なら落ちついて別れを告げられる。それが律子の次のプランだった。




「こっち!」


 遊園地の中、律子がシンヤの腕を強引に引っ張った。


「な、なんか今日は大胆だね、律っちゃん」


 シンヤが頬を染める。残念だけどあんたの直観勘違い、外れるから。


 観覧車はもう目の前だった。それなのに――。


「律っちゃん、これ乗ろう。絶対楽しいよ!」


 律子は恐る恐る振り返った。アトラクションの看板にこうあった。


『カップルに最適! とても静かな雰囲気で……』


 最後の文字はかすれて消えていた。箱型の船で定員は二人。過激なコースターに疲れたカップルが選びそうな乗り物だった。


「いいよ」


 観覧車が混んでいたので、これでもいいかと律子は折れた。


「わー、面白いね! 律っちゃん、怖くない?」


 シンヤのワクワクの理由がわからない。こんな穏やかな乗り物なのに、どうしてそんなにテンションが高いのか。


「あのね、シンヤ」


「なに?」


「私たち、性格が違いすぎると思う。わがままだけど、私は理解してくれる人に甘えたいんだ。だからやっぱり、その、わかれ……」


「律っちゃん、捕まって! ここから激しくなるよ!」


「へ?」


 船体がものすごい角度で傾いた。滝に落ちた船が濁流に流され、左右に激しく揺れる。


「きゃああああーーー!!」


 律子はしこたま頭を打ち付け、意識を失った。



 目覚めた時、律子はアトラクションの出口にあるベンチに寝ていた。


「律っちゃん、大丈夫?」


 シンヤの表情を見て、ため息をつく律子。会話の意図が伝わっている様子が全くない。


「『とても静かな雰囲気』って看板は嘘なの?」


 あらためて見ると、律子が気を失っていた間にテープで文字が貼り直されていた。


『カップルに最適! とっても静かな乗り物ですが・・、最後の刺激的な展開に二人が燃え上がること間違いなし!」


 何てこった。律子はまたしてもシンヤの直観気まぐれに負けてしまった。




 遊園地のとなりの公園に池があった。


 これはチャンスと、律子はシンヤを手こぎボートに誘った。


 今回の私の選択。あいつの直観は関係ないから、変なことが起こる心配はない。


「体調、落ち着いたみたいだね。よかった! 律っちゃんお腹減った? 売店で買ってきたから食べない?」


 律子は差し出されたサンドイッチを受け取ってしまった。こんな時に限って、優しさ見せないでよ。


「さっき遊園地で言いかけた話、聞いてた?」


「え、なんのこと?」


「私たちのこれからの話。シンヤは自分の直観信念がすべてで、私はゆっくりと考えたいタイプよね」


「僕たちって奇跡のふたりだよね」


「あのさ……言いたいこと、わかってる? もう疲れたの。だから私たち……終わりにしな……」


「あ!!」


 シンヤが突然立ち上がった。ボートが大きく傾いたので、律子は舌を噛んでしまう。


「なんだか背筋がゾワゾワする! あっちに行けって僕の直観が叫んでる!」


 突然オールを握ると、シンヤは全速力でボートを漕ぎ出した。向かうは池の最も奥で、その先はネットがあって進めない。


「あそこ!」


 律子も気づいた。落ち葉と枯れ枝に覆われた水面に、小さな手が見えた。


「大変! 誰か溺れてる!」


 律子が叫ぶと同時に、シンヤが池に飛び込んだ。




 子供を助けたあと、ずぶ濡れのシンヤは親からも警察からも感謝されまくっていた。


 律子たちがボートに乗ったのは偶然だった。けれどその結果、シンヤの直観野生の勘がひとりの生命を救った。


 けれど結果的に、律子は別れ話を言いそびれた。


「嬉しいんだか悲しいんだか、わからない。もう一生、このループから逃れられないの?」


 英雄扱いのシンヤが戻ってきた。ベンチで待つ律子に声をかける。


「みんなにお礼を言われちゃった! こーいうの何だか照れるね……あれ……律っちゃん?」


 律子は泣いていた。どういう感情から生まれたのか、説明できない涙を流して。


「ん……よかったじゃない。帰ろうか。早く着替えないと」


 突然シンヤの体がブルッと震えた。


「やばいよ……律っちゃん……やばい」


「え?」


「体に電気が走った! いままで一番の直観ときめきだ!!」


 抵抗する間も与えず、シンヤは律子を抱きしめた。


「結婚しよう、律っちゃん!」


「は!?」


「僕の直観全身が言ってる! 律っちゃん、好きだ。大好きだ!!」


 今度は律子の背筋がゾワゾワした。


「な、なに言ってるの? 池の水飲んで、おかしくなった?」


「本気だよ! 本気なんだ!」


 唐突にも程がある! さすがの律子もキレた。おかげて今日伝えそびれた台詞が全部言えてしまった。


「ばっ、馬っ鹿じゃない? あんたなんて大嫌い! 直観その場のノリで求婚すんな! アホ! もっとちゃんと論理的真面目に口説いてみろ! あたしの『初プロポーズ受ける権利』を返せよ!」


「違う! 軽い気持ちなんかじゃない。本気だっていう証拠を見せるから!」


 律子を離すとシンヤはいきなり走り出した。向かった先は、公園の北と南を結ぶ歩道橋。この広い市立公園は中央が道路で東西に分断されていて、そこに立派な橋がかけられていた。


 シンヤは歩道橋にたどり着くと、迷うことなく手すりをつかみ、よじ登った。


「キャー!」


 律子ではない、誰かの悲鳴が響いた。


 シンヤは欄干の上に立った。平均台を進むように手をひろげ、何とかバランスを保っている。


 この時間帯、橋の下にある市道の車通りはかなり多い。道路からの高さも相当あって、運良く車に轢かれなくても落ちれば軽症では済まない。


「僕の気持ちが嘘じゃないこと、証明してみせる。いま僕の直観が『お前は橋の向こうまで歩いて行ける』って言ってる。だから律っちゃんは、そこで見てて!」


「ば、馬鹿! 知らない! そんな事したって、わたし振り向かないから! 勝手に落ちて、さっさと死んじゃえ!」


 むごい言い方だった。でもそんな言葉を使わないと、律子自身がこの場面に耐えられなかった。


「もし僕の直観予想が外れたら、律っちゃんへの気持ちが嘘だったことになる。嘘つきになるぐらいなら、僕はここから落ちて律っちゃんの前から姿を消すよ」


 シンヤの足が動き始めた。一歩、また一歩と欄干を進んでいく。


 あの馬鹿を止めなきゃ。心は言うが、律子の足は震えて動かない。


 しばらくシンヤの足取りは安定していたが、夕暮れの東からの風に煽られ、だんだんフラフラしてきた。


「ありゃ、落ちるぞ」


 律子は振り向いて、そうつぶやいた背後の男性をにらみつけた。不思議だ。あれほど大嫌いなシンヤの直観宣言を否定されたのが、許せなかった。


「持ち直した!」


 歩道橋ではシンヤが欄干の真ん中までたどり着いていた。続いて進む前に、胸に手をあて深呼吸をしている。


 その姿を見ていた律子の脳に、直観が落ちてきた。


 あ、駄目だ。


 律子は走った。足が勝手に動いていた。


 今すぐ行かないと取り返しがつかない。そんな信号が体中を駆け巡っていた。


 残り半分に向けシンヤが足を踏み出した時、道路からトラックのクラクションが激しく鳴り響いた。


「やべ!!」


 タイミングの悪いことは続くものだ。今日一番の突風が吹き、シンヤの体を道路側に持っていった。


 落ちる――。


 本人さえそう覚悟した時だった。細腕がシンヤの腰に巻き付いた。


 ものすごい強さで引っ張り戻され、シンヤの体は歩道橋のタイルに叩きつけられた。


「痛ってー!!」


 人の温もりを感じ、痛みを忘れて起き上がる。


「あ、律っちゃん……いつの間に?」


 返事はなかった。必死に走った律子は息を整えている最中だった。


 シンヤはすまなそうに言った。


「あのさ、いまのは確かに僕の失敗だって認めるよ。でも律っちゃんも『そこで見てて』の約束を破ったわけで……だからさ、お互いにやったことを帳消しにしない? それで僕にもう一度スタートからやり直すチャンスを……」


「馬鹿!」


 律子がぴしゃりと言った。


「聞いて……私にも直観ビビっがあった! シンヤが死んじゃうって叫び声が聞こえたの! そうしたら体、勝手に動いてた!」


 律子は理解した。シンヤの本当のすごさは、直観から導き出した結論を信じ切ることだと。


 その選択が失敗のように思えても、信じて信じて、信じ抜いて。現実の世界で結果を成功に変えてしまう。それがシンヤの強さなんだ。


 ちょっと強引でシャクだけど、今回もシンヤの直観申し出に従ってやるよ。


直観シンヤを一生、信じてあげる……結婚して見守ってあげる。だからこんな無茶、絶対にしないで……お願い……」


「わかった。ごめんね、律っちゃんを泣かせて」


 人々が見守る中、歩道橋の上の二人はいつまでも抱き合っていた。




 三年後。


 あるマンションの一室で、律子とシンヤの家族会議が始まっていた。


「律っちゃん、それだけは勘弁して! そんなんじゃ僕、会社の人との付き合いにも行けないじゃん!」


「だーめ。生まれてくる赤ちゃんの為に節約しなきゃ! だからシンヤの小遣いは来月から壱万円に決定!」


「異議ありあり!」


「却下します。平気よ。あなたならこの一枚で、ひと月ちゃんと生活できる。これは直観女の勘よ!





(直観の読み方    おわり)

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

直観の読み方 まきや @t_makiya

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ