第23話 甘くてにがい(SIDE千波)

「あ、森野さんのお嫁さん」


 買い物カゴ片手に、背後からの呼び掛けにしばし考える。

 これまで出会った村人は皆、耕平のことは下の名前で呼んでいた。倫子は「森野くん」と呼んでいるが、彼女は外から来た人間。そうすると、もしかして今千波を呼び止めたのは、移住者とか新しく村へ来た人間なのだろうかと考えつつ、千波は振り返る。


「こんにちは。えーっと……」


 見覚えがあるような、ないような。

 笑顔の裏で必死に記憶を探り、思い出す。

 眼鏡を掛けた女性。彼女の顔は、協力隊のブログで見た覚えがあった。


「農業体験中の、福ちゃん?」


 千波の言葉を聞いた女性が、ひまわりのような明るい笑みを浮かべる。


「田福咲です。はじめまして。お嫁さんは確か、チナさん、でしたよね?」


 はじめましてということは、年賀状の写真を撮ったあの日に、彼女は来なかったのだろう。


「及川千波です。まだ籍は入れていないので、婚約者ですが」

「村の人たちがお嫁さんと仰っていたので、もうご結婚されたのかと思ってました。今日は森野さんとご一緒じゃないんですね」

「一人で買いたい物があったので、彼は留守番です」


 相手の視線が、千波の持つカゴの中へと向けられた。


「バレンタインチョコですか?」

「ええ、そうです」


 バレンタインデーは明後日。一昨日の仕事終わりに倫子からチョコレートケーキをもらって気付いた。耕平は何も言わないが、用意してないとわかればがっかりするかもしれない。

 祝日だった昨日も仕事は休みだったが、酷い吹雪で外出できず、天候が回復した今日、慌てて材料を買いに来たのだ。


 耕平は筆が乗っている様子だったから、買い物に行くと声を掛けて、千波一人で出てきた。


「耕平のお嫁ちゃん、今日は一人かい?」

「福ちゃんも一緒なのね。若い子が揃ってると、明るくなっていいわねぇ」


 早々に買い物を終わらせて帰って下ごしらえをしてしまおうと考えていたのだが、会う人会う人に声を掛けられ、なかなか先へ進めない。


「今朝もしばれたべさぁ。東京の人にはつらかったんでないかい?」

「いえ、あの、意外と大丈夫でした」


 文脈から、とびきり寒かったねという意味だろうと推測して、千波は答える。


「チナさん。しばれるは、凍てつくような厳しい寒さだったねって意味です」


 田福がこっそり教えてくれて、千波は礼を言った。


「チナさんが良ければですけど、お茶でもしませんか?」


 なかなかそばを離れて行かないなとは思っていたが、どうやら彼女は、千波に用があったらしい。

 どうしたものかと考えて、耕平の口から名前が出たことのある相手だということもあり、誘いを受けることを決めた。


「それなら、田福さんから耕平くんに、私といることを伝えてもらってもいいですか? 私、携帯持ってないんです」


 帰りが遅ければ耕平が心配するだろうからと告げれば、田福はすぐにスマートフォンを取り出し、メッセージを打ち始める。

 送信後の画面を見せられ、既読が付いたことを確認して、千波は頷いた。


「この辺って、カフェとかあるんですか?」

「残念ながらないんですよ。パン屋に小さなイートインコーナーはありますけど。実はこれから、協力隊のメンバーでミーティングをするんです。だから、東京から嫁いで来たチナさんからお話を聞けないかなと思って」

「それは……私の話は、全く参考にならないと思いますが……」


 一度誘いを受けた手前、やっぱり無理とは言いづらい。


「役場です。すぐそこです。あ、チナさんは車ですか? 私は歩きなので、一緒に歩いて行きますか?」

「もし田福さんが嫌じゃなければ、私の車で行きましょう」


 行くしかないかと、腹を決めた。


 買い物を済ませ、助手席に田福を乗せて車を走らせる。

 役場の駐車場へ車を停めて、建物の中へと入った。

 住民票を移したりなどの手続きで耕平と共に一度来ているが、奥まで入るのは初めてだ。

 出会ったばかりの女性の後ろを歩きながら、千波は思う。

 去年は、千波の人生にはもう何もないと考えていたのに、まだまだいろんなことが起こるものだと。


「あれ? 千波ちゃん?」


 聞き覚えのある男性の声に呼び止められて振り返ると、そこには桃子の夫――スーツ姿の智之がいた。


「どうしたの? 一人? 耕平は?」

「大内さんもこれから会議室ですか? 一緒に行きましょう!」


 千波が口を開く前に反応したのは田福で、智之は千波と田福を交互に見た後で、首を傾げる。


「田福さんと千波ちゃんって……どういう組み合わせ?」

「偶然会ったので、ナンパして来ました!」


 明るく答える田福と、戸惑いが隠せない智之。千波は二人の会話が途切れるのを待ってから、苦笑を浮かべた。


「お茶でもどうかって、ナンパされちゃったの。ついて来たら迷惑だったかな?」

「いや、こっちは構わないけどさ。耕平は知ってるのかい?」

「田福さんがさっきラインを入れてくれたよ。あ、返事は来ましたか?」

「来てますよー。あれ? なんかめっちゃ心配してる?」


 ちょっとチナさんお借りしまーす。という田福のメッセージに対する耕平の返事からは、かなり戸惑っている様子が伝わってきた。



 どういうこと?


 福ちゃんと千波って接点あった?


 電話していい?



「これ、なんかマズい感じですか?」


 田福から見せられたトーク画面と、向けられた不安げな視線。

 これは千波から電話を入れたほうが良さそうだと判断して、千波は智之に、公衆電話はあるかと聞いてみた。

 千波と共にトーク履歴を読んでいた智之は、自分のスマートフォンを取り出し、すぐにどこかへ電話を掛け始める。


「耕平? 千波ちゃんのことだけどさ、田福さんと一緒に役場に来ててさ。ここにいるから、代わる」


 智之から渡されたスマートフォンを慌てて受け取り、ありがとうと頭を下げた後で千波は、自分の耳へ近付けた。


「耕平くん? 千波です」

「千波? 役場にいるって、どうしたんだ? 福ちゃんと一緒にいるの?」

「買い物してたら声を掛けられて、お茶しませんかって。その場所が何故か役場だったの。心配掛けた? ごめんね」

「いや。びっくりしただけ」

「お昼までには帰るから」

「……俺もそっち、行くか?」

「ううん、大丈夫。結局お仕事の手、止めさせちゃったね」

「千波のが大事」

「やだイケメン。ふふっ。心配してくれてありがとう」

「楽しいようなら、時間、気にしなくていいから」

「じゃあ、もしそうなったらまた、連絡入れるね」

「あぁ。したっけ」

「したっけ?」

「それじゃあ、みたいな意味」

「そっか。したっけ、ね」

「したっけ」


 通話を終了して、智之へスマートフォンを返す。


「森野さんに愛されるのって、そういう感じなんですね。いいな。羨ましい」


 切なげに曇った田福の表情が、千波の心に引っ掛かった。


   ※


 智之は、役場の担当者としてミーティングに参加するらしい。

 三人一緒に会議室へ入ると、中には既に数人の男女が着座していた。

 千波と田福の他に、女性は一人。


「千波さんじゃないですか! もしかして、耕平さんも来てるんですか?」


 年賀状の写真で世話になったカメラマンの小野田の顔が輝いて、千波は慌てて首を横に振る。小野田は、作家森野耕平の大ファンらしいのだ。


「耕平くんは、今日は家にいます」

「私がチナさんをナンパしたんです。東京からの嫁入りって、移住と同じようなもんじゃないですか。だから、今日の議題の求人について、参考になるお話が聞けないかなって」

「私、実家は神奈川ですよ」

「東京から来たんじゃないんですか?」

「高校卒業してからは中目黒で一人暮らしをしてたので、東京から来たことにはなりますね」

「東京も神奈川も似たようなもんですよ! 問題にゃぁです!」


 耕平から、福ちゃんは「にゃあにゃあ」言うと聞いていたが、これのことだろうかと千波は思う。

 敬語だとあまり方言は出ないのか、それとも東京で出会った地方出身者のように、方言は封印したのだろうか。

 さすがに出会ったばかりの相手に方言については聞けないので、少しわくわくしながら、彼らの会話を聞いてみようと決めた。


 まずは自己紹介だと、田福からメンバーの紹介を受ける。

 協力隊のメンバーは六人。様々な年齢と職業の人が集まっているようだ。

 その中でも、田福が一番若くて二十六歳。もう一人いる女性は三十五歳で、東京出身の元ウェブデザイナーとのことだった。


「僕らの活動について、千波さんはご存じですか?」


 小野田から問われ、千波は頷く。


「こちらに来てから、ブログを見つけて拝見しました」

「森野さんとは東京で出会ったんですか? 遠距離恋愛だったんですか?」


 田福からの質問に、千波は内心で首を傾げる。議題は求人についてとのことだが、この質問が関係あるとは思えなかったからだ。


 だが、だからこそ得心がいく。

 恐らく田福は、耕平に好意を寄せているのだろう。


「福ちゃん。やめときな」


 協力隊メンバーに二人しかいない女性の一人、先ほど藤代美香子と名乗っていた元ウェブデザイナーが、田福をたしなめた。

 恐らく藤代は、田福の気持ちを知っているのだ。


「求人情報をぽんと載せるだけだと、今までと変わらないじゃないですか。コンテンツとしてウェブ上に載せることを考えれば、移住者のバックグラウンドとか、そういうのもあったほうが興味を引けると思いません?」

「それは僕も面白いと思うけど、千波ちゃんは君たち協力隊メンバーとは、また違うからね」


 智之がやんわり軌道修正しようとしたのだが、田福は食い下がる。


「嫁不足問題解決の糸口になるかもですよ!」

「……嫁不足なんですか?」


 首を傾げた千波に、智之が頷いて見せた。

 これまで出会ったのは、既婚者ばかり。千波としてはそういったイメージがなかったから、意外だった。


「慎太郎は上手くやったけど、倫子さんみたいな女性は滅多にいないから。酪農家の嫁不足は、深刻かな」

「そういうことなら、倫子さんからお話を伺ったほうが良さそうですね。私の場合は耕平くんの職業含め、特殊ですから」

「その特殊も知りたいです! だって森野さん、恋人はいないってずっと言ってたのにっ」


 会議室が静まり返ったが、空気を読まないことを選択し、千波はのんびりとした笑みを浮かべる。


「耕平くんは、嘘はついてないですよ。私と会ったのは、去年の十二月のことですから。まだ二カ月と少ししか経ってません」


 知りたいというなら、話してしまえば満足するだろう。

 真実は支障があるから嘘も織り交ぜて、それっぽい出会いの話を千波は語る。


「派遣社員だったので、次の仕事を見つける前に旅行へ行こうと思い立ったんです。中目黒の自宅から、車で宗谷岬を目指して来て。どうせなら流氷が見たいななんて思ったんですが、まだ時期じゃなくて。とりあえず稚内まで戻ってホテルでも取ろうかなって、道を曲がったんです。そしたらガス欠になってしまって。たまたま耕平くんが通りがかって、助けてもらいました。その後は、あまりにも彼の隣が居心地良くて、居付いてしまいました」


 求人広告の役には立たなそうですよねと、千波は微笑んだ。

 だが返ってきたのは、男性陣からの予想外の反応。


「さすが耕平さん! 優しいですね!」

「へぇ。なんか一つのストーリーって感じじゃないっすか?」

「動画コンテンツにしようって話だったでしょう? 一人一人、それこそ福ちゃんが言ったバックグラウンド的なものを一本の短い動画にして、ストーリー仕立ての広告にするとかはどうですか?」

「動画は俺らでなんとか撮れるけど、脚本も自分たちで書くの? 出演は本人?」

「予算の範囲内でやってくれるなら、うちとしては構わないよ。耕平が協力してくれるなら、いい本書いてくれそうだけど」


 智之の発言をきっかけに、期待の眼差しが千波へと向けられる。


「耕平くんの仕事に関しては、私にはわからないので。本人と交渉してください」

「したっけ、耕平に話す前にもっとこれ、詰めておこう」


 能力の高い人材の集まりなのだろう。その後の話し合いは、かなりスムーズに進行した。


   ※


 ミーティングが終わり、途中退席することもできずに最後まで付き合った千波は、時計を確認して急いで出口へ向かおうとしていた。


「チナさん」


 会議室を出てすぐの廊下で千波を呼び止めたのは、田福だ。


「チナさんの笑顔って、冷たいです。私、そういうのわかります。森野さんが優しいからって、騙してるんじゃないですか?」


 すっかり嫌われてしまったようだ。

 吐息をこぼし、千波はまた、田福の言う冷たい微笑を浮かべる。

 万人と仲良くなるなど不可能だ。そういうことへの努力ができる人間だったなら、千波は今、この村にはいない。


「私ではなく、耕平くんとの間で解決されてはいかがですか? 選ぶのは彼ですから」


 彼女の反応を確認せず、背中を向けた。


 慌てた様子で智之が追い掛けて来て、駐車場まで送ると言われたが、千波は首を横に振る。


「心配しなくて大丈夫だよ。帰るだけだし。仕事の邪魔してごめんね」

「むしろこっちが謝るほうだよ。うちのメンバーがごめんな?」

「聞いてた?」

「まぁ、聞こえるしょや」

「智之くんも、耕平くんが心配?」

「全く。千波ちゃんと耕平は、いい夫婦になると思うよ。結婚式、桃と子どもたちが楽しみにしてる。俺も、二人を祝う気満々だから」

「ありがとう。私もね、耕平くんとなら、素敵な人生になりそうって思ってるの」


 この年になって年下の女性から男関係で恨みを買うことになるとは、本当に人生とは、予想外の連続だ。

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